社説:益川敏英さん死去 「科学と平和」問い続けた | 毎日新聞






 「戦争のない世界」のために科学者は何ができるか。正面から向き合い、問い続けた。

 京都大名誉教授の益川敏英さんが81歳で亡くなった。宇宙の成り立ちに関わる素粒子の理論で世界的な業績を上げた。一方、「二足のわらじを履く」ことを自らに課し、核兵器廃絶や護憲・平和の社会運動に関わった。

 2008年にノーベル物理学賞を受賞した時には、記念講演で研究の紹介に加え、自らの戦争体験にも触れた。

 ノーベル賞を受けるような研究は、人類の発展に貢献することもあれば戦争の道具にもなりうる。「科学に携わる人間は身にしみて感じていなければいけない」との思いからだ。

 こうした考えは、名古屋大で師事した理論物理学の泰斗、坂田昌一博士から受け継いだものだ。

 「科学者として学問を愛するより以前に、まず人間として人類を愛さねばならない」との師の教えを信条とした。

 政治にもの申すことをためらわなかった。安倍晋三前政権が進めた特定秘密保護法や安全保障関連法には、科学者を代表して異議を唱えた。菅義偉首相が日本学術会議の会員候補6人の任命を拒んだ際にも、抗議声明に名を連ねた。

 研究を取り巻く空気が年々、息苦しくなっていることへの危機感もあったのだろう。

 自然の原理を解明する基礎研究より、「役に立つ」応用研究を評価する傾向が強まっている。

 政府は国立大学向けの交付金を削減してきた。その一方で防衛省は、軍事転用可能な技術を支援する研究費制度を創設した。100億円規模の枠に、昨年度は120件もの応募があった。

 こうした動きに益川さんは「怖いのは科学者が慣らされ、取り込まれてしまうこと」と警鐘を鳴らした。先の戦争でも、多くの科学者が軍に動員され、兵器開発に携わった。

 名古屋空襲で、焼夷(しょうい)弾が自宅の屋根を突き破って目の前に落ちてきた時の記憶が、平和を願う原体験となった。「戦争を知る世代として、孫たちの未来のために発言する」とも語っていた。

 その真っすぐな思いが、若い世代に託された。