京の人今日の人:「北陸新幹線延伸計画の環境アセスメントの一旦停止を求める会」事務局長 榊原義道さん=京都市 /京都 | 毎日新聞




リニアの環境アセスメントの杜撰さをご存じなのだと思います。
事業者に忖度するアセスメント会社が担当するのですから。


以下記事


声を上げ、つながり広く 「北陸新幹線延伸計画の環境アセスメントの一旦停止を求める会」事務局長 榊原義道さん(74)

 3月、北陸新幹線が金沢から福井県の敦賀まで延伸開業した。ではその先は――? 6月、石川県議会は、滋賀県の米原を通って新大阪へつなぐよう、ルート再考を求めて決議した。決議文はこう断言している。「地盤沈下、地下水の枯渇及び莫大(ばくだい)な残土処理の問題などに対する京都府民の不安は大きく、さらには、多額の地元負担金まで伴う工事について、メリットが少ないと思われる京都府民の理解を得るのは至難の業である」

 おそらく、議員たちを焦燥させたかもしれない府民の1人。現在、建設を担う鉄道・運輸機構が環境影響評価(アセスメント)手続きを進めているのは、敦賀から米原ではなく、小浜(おばま)、京都、松井山手を経て新大阪へつなぐ「小浜・京都ルート」。延長約140キロの8割が地下トンネルという計画に疑問を感じ、問題点を調べて広め、府内各地の住民の会をつなぐ運動に取り組んでいる。


 北陸新幹線を新大阪にどうつなぐかは、米原経由をはじめ複数のルートで綱引きがあった。だが、2016年末に与党のプロジェクトチームが小浜・京都ルートに決めた。「緑のダム」である山々と、豊かな井戸水が生業や文化をもたらしている京都盆地の底を掘り抜くとどうなるか。機構自身が「地下水に影響を及ぼすおそれがあると予測される」と認めている。「あまりにも考えなしに地図に線を引いただけ」。工事は難航し、16年の決定時に約2兆700億円と試算された建設費も青天井で膨らむと見る。

 議論再燃の6月、リニア中央新幹線のトンネル掘削工事で枯れた井戸を岐阜県に見に行き、住民の話を聞いた。運動を始めて3年余り。「知ってもらえれば、京都の地下を掘るのはダメや、という結論はおのずと出る」。京都でも声を上げる人が増えてきたと感じている。

 1950年、現在の愛知県豊田市に生まれた。父は中心部の病院に薬剤師として勤め、母は看護師。矢作川や自然のなかで遊ぶのが大好きな少年だった。逢妻女川(あいづまめがわ)は自転車でさかのぼると、上流域にサギソウが白い花を咲かせる湿地が広がり、養魚場から逃げ出した金魚が網ですくえた。天国のようだった。天文少年でもあり、庭に望遠鏡を据えて星空観望にも熱中。教育者だった母方の祖父に「地上のことをしなさい」と諭された。

 豊田西高から69年、京都府立大の農学部に進学。時は大学紛争のさなか。「大なり小なり皆がこの社会はどうあるべきか考えなあかん、と思っていた」。自分が特別だったとは思わないが、誘われて自治会活動にのめり込み、2年生で府立大の自治会委員長に。共産党の支部長も務めるようになり、5年で卒業したのち、77年からは京都市内の党地区委員会の職員となった。

 最初の下宿先は京都市左京区の市原。続いて岩倉。北山の自然のなかを歩いて遊ぶようになった。80年代、市内でも宅地、ゴルフ場、ダムと開発計画が持ち上がる。環境を守ろうと運動するようになったのは、自然の流れだったかもしれない。91年には、登山愛好者や昆虫の研究者らと「北山の自然と文化をまもる会」を結成。府が85年に着工して造成を進めていた「丹波広域基幹林道」について、希少チョウの生息地や若狭に至る歴史古道の峠などを守るよう申し入れ、府は一部の計画ルートを変更した。

 北陸新幹線の小浜・京都ルートの問題点は、決定後しばらくは「よく分かっていなかった」と言う。だが20年の秋、右京区の旧京北町の林業者から林道建設時の発生土が豪雨で川に流れてしまった、との連絡を受けて見に行った。「新幹線でトンネルを掘って大量の土をどうするのか。山に捨てられたら大変なことになるよ」とも聞き、腑(ふ)に落ちた。

 共産党として運動しているの? とよく聞かれる。党府委員会を退職後の現在も「市民運動部長」のかたがきは残っている。でも「趣味ではないが、個人として自主的にやってきた」。事務局長を務める北陸新幹線のグループ名が長くて分かりにくいのも、単純に「新幹線反対」ではなく、異なる考えの人ともつながって一緒に考えるためだ。

 「いろんな人と知り合いになって、変化が出てくると面白いよね」。自らは「百害あって一利なし」と考えるに至ったが、もっと話をしたいし、できる土壌があると思う。「京都には『社会』と『街』がある」。一人一人がつながって、そのつながりの裾野が広いのが京都。だからワクワクしている。【南陽子】

 ■人物略歴
榊原義道さん

 1997年に京都で開かれたCOP3を機に、NPO法人「気候ネットワーク」の設立に参加、現在も監事。だが地球温暖化は進み、「次の世代に申し訳ない」。移動手段はもっぱら自転車。毎日20キロは走っている。