欠如しているもの|雷鳴抄|下野新聞 SOON(スーン)


安全、安心の前にあるもの、それは「信頼」という当たりませの事が、今の日本では
ウソや虚言で曲げられていく。

以下記事より
「科学的根拠に基づき、国際社会に丁寧に説明する」「放出の安全性は科学的に立証された」−。東京電力福島第1原発処理水の海洋放出に反対する人や不安を訴える人に対し、岸田文雄(きしだふみお)首相ら多くの人が口にするのが「科学」という言葉である▼「科学に基づいて説明をすれば理解が得られるはず」という考えらしい。放出に反対する地元の人の中には「反対するのは非科学的な連中だとのレッテル貼りがされつつある」と怒りを口にする人もいる▼何か問題があった時に「人々の科学的知識を増やすことで対立を解消できる」と考えることは、科学コミュニケーションの世界では「欠如モデル」と呼ばれる▼科学の結論を受容しないのは、その人の科学的知識の「欠如」が原因なのだから、説明して知識を増やせば問題は解消するはずだという想定に立つ。だが、欠如モデルに基づくコミュニケーションはうまくいかないことが多いと広く知られている▼反対する漁業者らと対等な立場で議論せず、いくら上からの「説明」を続けても理解が得られるはずがない。日本学術会議会員の任命拒否など、どう見ても科学を大切にしてきたとは言えない政府なのだからなおさらだろう▼欠如しているのは人々の科学的リテラシーではなく、政府や東電の真摯(しんし)な姿勢と信頼なのだと知るべきだ。