<社説>年のはじめに考える さよなら、武者ぶるい:東京新聞デジタル
昨年12月8日、中日新聞の記事を熟読しました。アジア太平洋戦争のさなかの1944年、ビルマ(現ミャンマー)の激戦地に派遣された元従軍看護婦が、初めて記者に語った回想録の記事です。
その人は102歳の中村ミチさん=写真、岐阜市在住。日本軍の最も無謀な戦いとされる「インパール作戦」で、傷病兵の手当てをした日赤の看護婦でした。
この作戦は弾薬や食料の補給を軽視した劣悪な計画で、動員された兵士ら約10万人のうち、3万人以上が落命します。中村さんも感染症で死線をさまよいます。
やがて、作戦は中止。中村さんたちは徒歩での撤退を命じられます。行き倒れた兵士らの姿もある山岳地帯や雨期のジャングルを、命懸けで逃げ延びたのでした。
◆102歳が語る「戦争」
この辛酸の体験を聞き取ったのは井上京佳記者。2019年入社の若手です。23年から中村さんに何度も会い、「胸にしまって死んでいきたいと思っていた。あまりに悲惨だから」という実に重い述懐を、丁寧に取材しました。
とはいえ、平和な時代に生まれた20代です。毎回2時間ほどの面会で聞く中村さんの回想には、分からない点が多々ありました。
そこで取り組んだのが、日々の仕事のかたわら、中村さんと同じ班の看護婦や衛生兵の手記、記事などをこつこつと探し、読むことでした。「その結果『こうだったのか』と分かったこともたくさんあります。やはり、記録に残すのは大事なんだなと改めて感じました」と語る井上記者です。
元従軍看護婦が長い沈黙を経て明かす戦争の実相を、70歳以上も年若い記者が後世に伝える−。自国に不都合な史実を糊塗(こと)する「歴史修正主義」がはびこる現代にあって注目したいこの記事は、全4回の連載。掲載日が違う地域もあれば、一部の地域は未掲載なのでこの欄で紹介しました。
さて。中村さんの言葉で、特に印象に残るものがあります。
「日本は負けてよかった。戦争に勝ったとしても、また次の戦争に向かっていただろうから」
「また次の戦争に」とは、何と重い指摘でしょう。でも、それが納得できる文章があります。
坂口安吾が1951年に発表した「武者ぶるい論」。敗戦後の日本を鋭く見つめたこの作家は、短くも重要なこの随筆で訴えます。岩波文庫版から引用しましょう。《戦争という一向に実利のない仕事にどうして多くの国々が精を入れるのだか、私は頭が悪いから、どうにも理解がつかなくて仕様がない。軍備などという反生産的な物をそっくり生産面にふりむけ、トーチカや軍艦をつくる代(かわ)りにアパートだの病院でも造った方が、悪い筈(はず)はなかろう》
◆坂口安吾の見た「世相」
同感、というほかありません。作家の筆は、さらに指弾します。《然(しか)し、戦争来(きた)れ、と待ちこがれている日本人が、老若男女シコタマいるのには驚くのである。私の言うのは軍国主義者、右翼浪人のことではなく(中略)あまねく庶民に於(おい)てのことなのである》
日本人がみな戦乱を憎み、反省して、「二度としない」と誓ったわけではない。「今度戦争になったら、儲(もう)け放題に儲けてやる」。あの壊滅的な敗北の後、わずか6年でそんな考えがうごめきだす世相を、安吾はよく見ていました。《虎視タンタン、戦争をはるかに望んで武者ぶるいしている老若男女が数知れないのである》
それは決して遠い時代の話ではありません。昨年11月8日発行の経済誌「週刊東洋経済」は、「防衛産業の熱波」と題する特集を組みました。「高市政権下で業界狂騒!」との見出しを付け、防衛予算の大幅増に沸き立つ国内の軍需企業の現状を伝えています。
日本だけではなく、今や世界の国々が「防衛」のために軍備を増強しています。スウェーデンのストックホルム国際平和研究所が昨年12月に発表した報告の記事を読んだ方も多いでしょう。2024年、世界の軍需企業上位100社の販売額が過去最高になったと。
要は、多くの国々や企業が「防衛」の名で「武者ぶるい」をしているようなのです。いや、そんな「反生産的」な軍拡競争にはもうさよならしませんか?
前出の中村さんの記事を読んだ12月8日は、アジア太平洋戦争の開戦日でした。為政者の火遊びのような軍拡が不測の事態を招くことのないよう、そして今年も来年も、将来にわたって「開戦!」の文字が新聞に載ることのないよう新年のはじめに祈ります。
