大江健三郎さん 護憲、反原発…文学者として社会的責任と常に向き合う:東京新聞 TOKYO Web




記事より

3日亡くなったノーベル文学賞作家大江健三郎さんは、護憲派の市民団体「九条の会」の呼び掛け人や、「脱原発法制定全国ネットワーク」の代表世話人を務め、平和・護憲、反核に立脚した言論活動を晩年まで積極的に続けた。文学者としての社会的責任と、常に向き合った人生だった。(石井敬、清水祐樹)
 「私は広島、長崎、そして福島をなかったことにしようとする連中と闘う。もう1台の原子炉も再稼働させぬ、そのために働く」「反原発に向けて頑張っていく以外に、日本人が21世紀で尊敬される道はない」—。2011年3月11日に東日本大震災と福島第一原発事故が起きて以降、脱原発集会やデモ行進が全国各地で開かれた。大江さんは頻繁にその場に足を運び、声を上げた。
 福島原発事故は、大江さんにとって大きな衝撃だった。事故後の日本を舞台にした小説「晩年様式集(イン・レイト・スタイル)」を刊行した13年10月のインタビューで、原発に対する事故前の姿勢を質問したとき、「事故前の私は、50数個の原発に対してまったく有効な抵抗をしなかった人間であることを認めます。それは有罪だと思います」と自責の念を語っていた。その「罪」を償うかのように、大江さんは悪くなった足をつえで支えながら、各地の会場を回った。「核兵器に脅かされる人類」を小説の主題の一つとしてきた作家にとって、原発は晩年の切実な課題となった。
 安倍晋三首相(当時)が特定秘密保護法の制定や集団的自衛権の行使容認などを相次いで進めると、政治的な発言から距離を置く文学者が目立つ中、大江さんは敢然と反発。14年12月、この問題をテーマにした本紙の連続インタビュー企画「言わねばならないこと」で、「政府が言う『積極的平和主義』は、憲法9条への本質的な挑戦だ」と批判の声を上げた。
 大江健三郎賞を受賞した作家星野智幸さんは「社会に生きる一人の人間として身をもって、『そういうことを言っていいのだ』とずっと示し続けてくれたお手本。私が政治的な要素を小説に書いて批判されても、大江さんの存在があったので、自分の姿勢は間違っていないと思えた。喪失感がすごいが、これからはそれを維持していくのが自分たちの役割だと痛感している」と話した。