Last Days 坂本龍一 最期の日々 - NHKスペシャル - NHK



録画はしていた。でもなかなか見る事が出来なかった。素の坂本龍一さんと何度か関わったから。

1983年から84年頃だと思う。東京の大学院に入って、配属先は白金台の大学の付置研だった。
車を持っていた自分は、まさか港区の駐車場が月極で3万円もするとは思っていなかった。
見つけた下宿は目黒駅から山の手線内で4畳半一間(もしかしたら6畳だったかも)で電気代込みで
20000円だった。一度、近所に路駐していて目の前でレッカーに持っていかれた事がある。ちょうどパトカーも居て、パトカーに同乗して警察まで行って罰金払った事がある。
その後、車はその研究所内にずっと駐車していた(良い時代だね)。

そんな時、バイトしないと食っていけないので、バイトを探した。時間千円で見つけたのは、霞町(現西麻布)交差点近くのレッドシューズというカフェバーだった。一度面接して(社長は松山さんで、早逝されたとバイトを辞めてから聞いた)T大生が来ちゃったよ笑っていた。
六本木から少し離れているせいか、業界人や芸能人が多く深夜に賑わっていた。
自分は週2−3回程度、夜7時から12時位の勤務だったと記憶しているが、店は朝までやっていた。
バイト明けで地下から階段を上り、車を置いた裏通りに歩いていく時などに龍一さんに逢って
無理やり?レッドシューズに戻ってスタッフやお客さんと戯れていた事を思い出す。
当時すでの超有名人であったはずであるが、そんな素振りはまったくない、普通のカッコよい
アーチストという感じだった。

その時に記憶が録画を見ながら蘇った。

亡くなって天国暮らしが1年となった龍一さん 安らかに!

アジサイ(紫陽花)に涙した古希 20220614 

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Last Days 坂本龍一 最期の日々

初回放送日:2024年4月7日

YMOのメンバーとしてテクノ・ミュージックで世界に衝撃を与え、その後も独創的な音楽で多くの人の心をとらえた坂本龍一さん。最晩年の日記には「死刑宣告だ」「安楽死を選ぶか」という闘病生活の苦悩や、「音楽だけが正気を保つ唯一の方法かもしれない」「残す音楽、残さない音楽」といった音楽を深く思考する言葉など、本音が刻まれていた。知られざるYMOのメンバーとの交流、最後になってしまった未発表の曲も心を打つ。