おやじのぼやき

日々おやじが思う事。。。。。

共事者になる

沖縄 共事者




当事者にはなれないが、共事者には誰でもなれる。ただ冷笑するだけのひろゆきの様な日本人・人間には成りたくないと思う。

三上さんの書き込み
「放送局を退社する前の
最後の特集に
私は
恩納村の都市型訓練施設の
闘争を選びました
これがあるから
日本政府やアメリカ軍に
抗うことが出来る
「座り込みなんて意味無い」
と言ってしまう人は
自分が闘いたくないから
参加しなくていい理由を
みんな100探してるから
「あんな闘い方では勝てないよ」
と言ってるだけ
そんな人に限って
ほかの有効な手段を
死に物狂いで探しているか
見てみるといい
負けそうな戦いには
参加したくない
勝ち戦にだけ
参加したい
勝てるとわかってからなら
参加しちゃう
そんなの誰にでもできる
多くの潰された闘いがあった
恩納村の人たちだって
怖かっただろう
でもこの足跡は
消えない
勝利の歴史も
消えない」

当事者と共事者

当事者から共事者へ(1) 障害と共事|小松理虔 - webゲンロン|考えるを育てる




無知な私は最近まで「共事者」という言葉を知らなかった。

昨今の冷笑主義や「ひろゆき問題」などは当事者でも共事者でもない、安全な場所に居座って勝手に
主張しているだけなのだと分かった。

自分は原発震災の被害者ではないが、現場を訪問してその悲惨さが分かり、さらに、高木仁三郎さんや小出先生の著作に3.11以降に読ませていただき、自分の無教養さを痛感して、反原発の立場になった。

また、釣り人として、多くの河川がダムや堰堤、護岸工事で壊されていく現場を見て釣り人としての当事者とその無駄な公共事業に対する憤りを感じて、ダムや無駄な公共事業反対の立場になった。

もちろん、戦争も同じ、悲惨な戦争や内線現場(ラバウル他)を見て、非戦の立場を取っている。

当事者の気持ちや状況に寄り添い、共事者として生きる事が爺に出来るわずかな事である。




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