リニア2027年開業断念 「静岡工区」だけじゃない山積する課題 | 毎日新聞
リニア中央新幹線(品川―名古屋)を巡り、事業主体のJR東海は今年3月、2027年の開業を断念した。まだ着工許可が出ていない静岡工区は完成まで10年以上かかるとされ、開業は早くて34年以降にずれ込む公算が大きい。これまで静岡県の対応が注目されてきたが、リニアが抱えるリスクは他にもある。
地元との調整、技術的ハードルも
「静岡以外にも、完成まで10年以上かかりそうな地域がある」。リニアに詳しいジャーナリストの樫田秀樹さんはそう指摘する。JR東海は24年3月末現在、品川―名古屋間の用地の75%を取得済みだが、神奈川県や山梨県の一部地域では地権者の反対が強く「取得の見通しは立っていない」(樫田さん)という。
沿線では少なくとも5件の住民訴訟が起こされた。そのうち東京都内の住民らが国にリニア事業の工事認可取り消しを求めた訴訟は、23年に東京地裁で請求を退けられたが、山梨県南アルプス市の住民らが工事差し止めなどを求めた訴訟は近く判決を迎える。JR東海は「地域との連携重視」を掲げており、住民の意向は無視できない。訴訟が年単位で長引けば、計画の進捗(しんちょく)に響く。
技術的ハードルも高い。東京・北品川のトンネル工事は、21年10月から半年で約300メートル掘るはずが、掘削機の故障で中断を繰り返し、2年半たった今なお半分も進んでいない。岐阜県中津川市のトンネル工事では21年10月、爆破による掘削作業中に岩盤が崩落し、作業員2人が死傷した。今後は地下1000メートル超の大深度を掘り進める予定で、難易度はさらに上がる。
こうした中でJR東海は4月4日、「山梨県駅」(甲府市、中央市)と長野県飯田市の高架橋の完成が、いずれも31年中になるとの見通しを明らかにした。軟弱地盤への対応や地元との調整に手間取っていることが主因だという。静岡工区以外でも当初予定された27年に間に合わない実態を公式に認めた形だが、同社は「いずれも静岡工区の遅れの範囲内だ」とし、さらなる遅れには直結しないと説明する。これに対し樫田さんは「遅れの原因を『静岡のせい』と強調することで、自分たちに批判の矛先が向かないようにしている」と批判する。
開業遅れ むしろ「財務の負荷軽減」
リニアの建設資金は、JR東海が既存事業で得た手元資金を中心に、不足分は借入金で補うことになっている。同社の「健全経営」が前提だが、開業の遅れは影響しないのか。
SMBC日興証券の川嶋宏樹シニアアナリストは「費用が膨らむリスクは十分ある」と指摘する。大規模な土木工事は工期が延びて工費が増えがちで、トンネル掘削などは「やってみなければ分からないトラブルも多い」という。現に品川―名古屋間の総工費は21年4月、難工事への対応や地震対策強化のため、それまでの5兆5200億円から7兆400億円に見直された。
ただ、JR東海に焦りの色はない。丹羽俊介社長は4月30日の決算発表記者会見で、開業延期の影響について「人員や資機材が必要となる期間が延び、費用が増えていく可能性はある」と認めながらも、工事の内容が変わるわけではなく「全体のコストに大きな影響を及ぼすレベルではない」と強調。むしろ手元資金を蓄える時間が増えることで将来の借入金が減り、「財務上の負荷が軽減される」との見方を示した。
これには同社特有の収益構造が関係している。24年3月期決算(単体)は、売上高に当たる営業収益が1兆4173億円で、そのうち運輸収入は1兆3428億円。この93%に当たる1兆2479億円を稼ぎ出しているのが、東京―新大阪間を結ぶ「ドル箱」の東海道新幹線だ。毎年ここから安定して生み出される数千億円規模の利益が、巨額プロジェクトの元手となる。
東海道新幹線は新型コロナウイルス禍で一時、輸送人員、旅客運輸収入ともに前年比6割以上も激減したが、現在はコロナ禍前の水準をほぼ回復。SMBC日興の川嶋氏も「開業延期で当面の資金繰りは楽になる。コロナ禍でも(JR東海に対する金融市場の信用は)びくともしなかった。将来の借金返済に心配はない」と評する。
「早期開業を目指す姿勢に変わりはない」と丹羽社長は強調するが、ある国土交通省幹部はこう見透かす。「彼らはリニア開業を全然急いでいない。遅れて困るのは沿線自治体だけだ」
すべては東海道新幹線頼み
とはいえ、開業が遠のく間に国内の人口減少は加速する。コロナ禍でビジネス客のリモートワークも増えた。リニアが開業にこぎつけたとしても、利用は伸びるのだろうか。
鉄道ジャーナリストの梅原淳さんは「人口減少に伴って都心に人が集まると、大都市圏同士を結ぶリニアの需要は増える可能性はある。インバウンド(訪日外国人)客も追い風になる」とみる。
東海道新幹線の輸送人員は、最も多かった18年度で1日当たり約47万人。このうち国交省の調査(15年度)で、首都圏と愛知、関西、山陽地方との間を移動する約20万人がリニアを利用すると梅原さんは予測する。「のぞみ」の本格導入時は新幹線の利用客が1割ほど増えたほか、他の新幹線でも新設によって潜在需要が掘り起こされる傾向があるという。
最高時速500キロで走るリニアは品川―名古屋間を最速40分、品川―大阪間を最速67分で結ぶ。国交省は23年10月、リニアが品川―大阪間で開業すると、品川―名古屋間と品川―大阪間の直行需要がリニアにシフトし、東海道新幹線の輸送量が約3割減少するとの推計を公表した。「のぞみ」が減る分を「ひかり」などに割り当てることで、静岡県のようにリニアが停車しない地域にもメリットがあるとの見立てだ。
もっとも、こうした筋書きはすべて、東海道新幹線が今後も長期間、堅調に利益を出し続けることが前提となっている。そもそもリニア建設の最大の目的は「大動脈の二重系化」、つまり東海道新幹線の老朽化対策と自然災害リスクの回避にある。梅原さんは「今の東海道新幹線は(過密ダイヤで)当初想定の輸送量を超えている。開業から今年で60年を迎え、大規模な修復もしなければならない」と話す。
JR東海によると、現在は鉄橋の補強など新幹線を運行しながらできる工事を進めているが、やがて鉄橋そのものの架け替えなど、一部運休を伴う改修も必要になる可能性があるという。
内閣府がまとめた南海トラフ巨大地震の被害想定では、東海道新幹線の沿線は最大で震度7の揺れが見込まれている。JR東海は「十分な対策を講じている」というが、運行に何らかの支障が生じる恐れは否定できない。同社の収益構造は東海道新幹線に大きく依存しているだけに、リニア開業は時間との闘いでもある。【原田啓之、佐久間一輝、真貝恒平】