トンネル工事で水が減り、河川の生態系に「不可逆的な影響を与える可能性が高い」。2014年、リニア中央新幹線の工事に対して当時の環境相はそう意見した。そのころからリニアに反対の声を上げていた静岡県の登山家がたびたび現地に「調査」に入っている。登山道ではなく沢を登るため「沢ヤ」とも呼ばれ、山の奥深くを知る彼は今も、工事は「やめるべきだ」と訴える。
「生命はどうなる」
「ここを(トンネルにして)直線で通れば一番効率的に移動できるというのは人間の都合だ。そこで水が減るのは仕方がないのか。そこの生命はどうなるのか。乱暴な論理ですよ」
10代のころから南アルプスの山々に登り続けてきた静岡県焼津市の服部隆さん(72)は、そう力説した。
南アルプスは約60万人の生活を支える大井川の上流にあり、「世界の南限とされる希少動植物が多数存在し、守るべき極めて希少な生態系がある」(県の説明)場所でもある。
南アルプス・赤石岳に登る途中、荒川岳方面を望む=静岡市葵区で2014年8月3日、平塚雄太撮影
リニアのトンネル工事はその地下を貫通する。対策をしなければ地下水がトンネルに流れ出て川の水が減少する。上流の沢への影響はわからない点も多いが、県指定絶滅危惧魚種のヤマトイワナをはじめとする動植物も影響を受ける可能性が指摘されている。
ただ上流部はほとんど人が入ったことがなく、その実態も不明な部分が多い。そこで服部さんはその豊かさを確かめて発信しようと、長年の沢登りの経験を生かし、仲間らと大井川上流の沢の遡行(そこう)を始めた。
24年7月に蛇抜(じゃぬけ)沢を2泊3日で登り、25年10月は塩見岳近くの沢に入った。
専門家らも見た映像
服部さんら一行は蛇抜沢の遡行後、ここを守るべきだとの思いを改めて深め、報告書にまとめた。上部に池や草原、氷河の浸食作用でできたカール地形(圏谷)があり、「南アルプスの豊かさを体現するような美しい沢だった」と振り返り、「ここの水がなくなればどうなるのか」と工事の影響を懸念した。
遡行中はコマドリやシジュウカラの鳴き声を聞き、ヒョウモンチョウなどの姿も目にした。希少な動植物を確認したわけではないが、「希少種がいるから守るべきだというのも人間の都合だ。そこにいる生き物たちの視線を忘れてはいけない」と服部さんは話す。
大井川上流の地図を示しながら、リニア中央新幹線の工事を批判する服部隆さん=静岡県焼津市で2025年6月13日、平塚雄太撮影
遡行の様子は市民団体を通じて動画投稿サイト「ユーチューブ」でも公開した。リニア事業の影響を評価する静岡市の専門家会議でも視聴された。
「嫌がらせ」ではない
記者は静岡支局にいた11年前にも、服部さんを取材していた。14年11月にJR東海が静岡市内で開いたリニア事業の説明会で、南アルプスの動植物への影響を質問していたので、話を聞いて記事で触れた。当時から「失った自然は元に戻らない」と事業停止を主張していた。
その時の説明会は紛糾し、長引いた。前年に大井川の流量が最大で毎秒2トン減る可能性が示され、県内は流域住民を中心にリニア事業への批判が相次いだ。その後も今に至るまで議論が続き、県は着工に同意していない。
転勤で静岡を離れてから「静岡県はリニアの駅ができないから、JRに嫌がらせをしているんでしょう?」と聞かれることがあり、取材した身として「そんな単純な話ではない」と否定した。
大井川流域は水不足に悩まされた過去がある。14年に南アルプスはユネスコエコパークに登録された。服部さんのようにそこに思い入れがあれば、抵抗を覚えるのも当然だ。
JR東海はトンネルの掘削面に水を止める薬液を注入するなどの対策を示しており、県の有識者専門部会で議論が続いている。県は対話が必要だとする28項目をこれまでに整理したが、そのうち生物多様性やトンネル発生土に関する15項目は今も対話が続く。
「沢ヤ」の意思表示
服部さんは知人を通じて東京の山岳会などに呼びかけ、沢登りができる人は工事の影響を受ける可能性がある沢に入るように促した。数パーティーが25年夏に奥地を遡行してきたといい、今後情報を共有して発信していくという。
大井川の上流部=静岡市葵区で2014年7月12日、平塚雄太撮影
「大井川上流の豊かさを伝えていく。沢ヤなりの意思表示だ」と服部さんは笑う。そしてリニア事業について「そもそも、そこまでして『より速く』を求めて何の意味があるんだ」と疑問を投げかける。
JR東海はホームページで、東海道新幹線の経年劣化や災害対策の意味でもリニア事業は必要で、移動時間の短縮などのメリットも大きいと説明する。一方、「南アルプスは豊かな自然が残る重要な地域であることを強く認識している」ともしている。
取材に対し、JR東海は「法令にのっとって環境影響評価法の手続きを足かけ4年かけて丁寧に実施した」とし、南アルプスを通るルート選定も含めて適切な手続きを取ってきたと説明した。その中で「工事の実施が環境に及ぼす影響も調査・予測・評価を行った」と述べ、「環境保全措置を適切に実施することで、できる限り環境影響の回避または低減を図っていく」などと回答した。
また「工事は計画から施工の各段階で、環境への影響をできる限り低減できるよう適切な工法を選定するとともに、事前に説明を行うなど、十分な配慮を行って進めていく」としている。【千葉支局・平塚雄太】

