おやじのぼやき

日々おやじが思う事。。。。。

原発

電力危機 宇佐美典也 星海社新書 2023

図書館本

元経産省官僚の方の著作

電気無くして生活無しな社会であるこは誰でも認識している。
しかし、本邦での電力の歴史(会社史などかなり詳しい)を紐解き、3.11原発震災を経て、今後の日本のでの電力問題を詳しく説明しています。
エネルギーミックス、地域による電力供給の差異
火力、水力、石炭、再生可能エネルギー、原発等々

そして、貯蔵の困難性(蓄電池の進化はあるが、現状、揚水発電)
原子力政策の困難性(再稼働問題、使用済み燃料処理問題等々)

果たして、日本は今後、どの様に電力問題に対峙していくのか。
多くの参考文献も提示して、我々に問いかけている。


すずめの戸締り Netflix





3.11ボランティアで何度か東北を訪問したものとしては、物語が進むに従い
胸が締め付けられる思いがしました。
特に、東京から車で東北に向かうシーンで、何か所が出て来る
巨大防潮堤という復興の名で作られた巨大公共事業インフラ。
自然を管理し征服出来るといる人間の愚かさを感じざるを得ませんでした。

すずめの母親を探すシーンは、実際には多くの3.11の被災者、そして原発震災として、故郷にすら戻る事が出来ない人々が実体験した事なのだと。

素晴らしい作品でした。

廃炉への道 福島原発震災



録画して視聴

13年を経ても核燃料デブリは1gすら回収出来ていない。
そして、毎日数十トンもの汚染水が産出し続けている。

それでもまだ再稼働をと言い続ける人々がいる。

被曝し、なおかつ移住や転居を強いられた人たちになんと声をかけるのだろうか。

3.11から13年

3.11で日本は変るかと少し期待した。

まったく変わらない。

今だけ、金だけ、自分だけ、そして口だけNIMBYだらけ。

真面目で、一生懸命生きている人が理不尽に震災の被害で苦しむ。

復興五輪だの、能登より大阪万博優先だという。

そんな連中が愛国者だと自己主張する。

そんな連中が本当の非国民なのである。

3.11 13yrs3.11 13 yrs 2

原発事故 最悪のシナリオ 石原大史 2022 NHK出版

図書館本 お勧め

2011年3.11原発震災

原発事故対応における、種々なセクターの対応と危機管理
そして、最悪のシナリオがいかに作られたか?そしてそれがいかなる効果があったのか?

2021年3月放送のNHK番組の取材および追加取材によって本書が出来たとある。

政府、東電、防衛省・自衛隊、米国・米軍、原発関連研究者・官僚などを取材して明らかになった事が綴られている。

今振り返って、3.11の原発震災、それは明らかに人災であり、安全神話に基づいた思い込み
そして危機管理能力の低さであろう。

本書でも、「また同じ事は起こるのだろう」と指摘している。まったく同感である。

そして一番の被害者は、最悪のシナリオの直接被害者である、福島原発周辺の住民である。
後書きにも書かれている、3月の番組を見た元農家の方が都内で自死されたと。

2024年元旦の能登の震災では、原発周辺の道路は寸断され、事故が起これば、避難すら出来なかったと報道されていた。

原発がある以上、常に最悪のシナリオは作らねばならないのであろう。
東日本壊滅、西日本壊滅 そして日本滅亡と。

原発事故 最悪のシナリオ
石原 大史
NHK出版
2022-02-18


絶対原子力戦隊スイシンジャー

12年前のyoutube

推進ジャーだらけの利権に負けない




絶対原子力戦隊スイシンジャー

原発再稼働 日野行介 集英社新書 2022

図書館本 読んでいる最中に2024年1月1日の能登震災が起こった。
志賀原発の被害は小出しにされて、1月12日現在まだ全体像は見えない。
また柏崎刈羽原発の被害もあるようだ。もし珠洲原発が出来ていたら一体どうなっていたかと
思うと背筋が凍る

日野さんが毎日新聞記者として書いた記事をブログでも以前紹介した。



さて、本書である。
まさに、調査報道の基本を忠実にしつこく、そして丁寧に裏を取りながら嘘を暴いていく。
誰のための原発なのか?誰のための電力行政なのか?
読み進むほどに、原子力ムラの巨悪に呆れるのである。

秘密会議と再稼働ありきですすむ規制委員会
国会事故調が指摘した「規制の虜」がめんめんと継続していること
避難計画の数字捏造
再稼働を進めるための住民無視の避難計画
核燃料があるから避難計画を作るという詭弁

あとがきに著者は記す。
「これほどまでに巨大なウソの被害を暴く方法は調査報道しかない。青臭い物言いかもしれないが、今はこれが自分の使命だと感じている」

日野さんの今後さらなる調査報道を期待し、応援したい。



なぜ日本は原発を止められないのか? 青木美希 文春新書2023

予約して購入したが、少しづつ読んだのでちょうど能登地震の報に触れて
志賀原発および柏崎刈羽原発の被害が気になった。また建設を阻止された珠洲原発計画が
あった事を知った。

著者の青木氏の著作は地図から消される街等は読んでいて、まさに調査報道が出来る
ジャーナリストとして認識していた。
本書はあとがきでも触れられているが、所属の新聞社の許可が下りずに文春新書からの出版と
なった事が綴られている。

いったい何に忖度しているのだろう?
再稼働を推進する政権や巨大スポンサーとなる電力業界なのか?

本書ではまさに本邦における原発の歴史と原子力ムラの構図(軍産複合体の様なあまりに
強固な繋がりと利権集団)を記しています。
アカデミア(学会等)との癒着や研究費による支配、言論封殺的な行政の有識者会議という罠など。
メディアにおける原発広告や洗脳記事
福島原発震災で被災した人々の苦悩

福島の事故を認識して原発を廃止するとしたドイツ、イタリア、それでもなお再稼働に走る日本。

より多くの方に読んでいただきたい調査報道書籍である。


能登地震 報道

被災者救助がなぜ遅いのか?
台湾からの支援を断り、4日以降になって在日米軍の支援は受け入れ?
震災は元旦の夕方です。

助かる命を、自助、共助だけで生き延びろと!!

3.11の教訓(3.11の対応の方が良かったという意見多数)は今の政権には無いのだろう。

1月3日から6日までの東京新聞


240103240104240104夕240105240106

能登地震

志賀原発直下での震度7

余震も続いています。

輪島では火災が続いています。

どんどん被害が広がっています。

3.11を想い出します。

昨年、能登観光に行ったので、特に気になります。

能登能登2

女川原発 

「機動隊が盾で殴るんだよね」“原発頼み”の町が強いられた50年前の分断と、迎える再稼働のとき | TBS NEWS DIG (1ページ)



調査報道として良く出来ています。

金に絡み取られた町、原発依存の町の今後は?



キノコの放射能汚染 

食用キノコのセシウム汚染の現状は? 東京電力福島第1原発事故から12年8カ月 福島県飯舘村で調査 2023年秋【動画】:東京新聞 TOKYO Web




アンダーコントロールなんですかね??
再稼働だとか、稼働期間延長だとか? 狂ってませんか?

きのこ福島20231106









「欠如モデル」 汚染水処理 原発

欠如しているもの|雷鳴抄|下野新聞 SOON(スーン)


安全、安心の前にあるもの、それは「信頼」という当たりませの事が、今の日本では
ウソや虚言で曲げられていく。

以下記事より
「科学的根拠に基づき、国際社会に丁寧に説明する」「放出の安全性は科学的に立証された」−。東京電力福島第1原発処理水の海洋放出に反対する人や不安を訴える人に対し、岸田文雄(きしだふみお)首相ら多くの人が口にするのが「科学」という言葉である▼「科学に基づいて説明をすれば理解が得られるはず」という考えらしい。放出に反対する地元の人の中には「反対するのは非科学的な連中だとのレッテル貼りがされつつある」と怒りを口にする人もいる▼何か問題があった時に「人々の科学的知識を増やすことで対立を解消できる」と考えることは、科学コミュニケーションの世界では「欠如モデル」と呼ばれる▼科学の結論を受容しないのは、その人の科学的知識の「欠如」が原因なのだから、説明して知識を増やせば問題は解消するはずだという想定に立つ。だが、欠如モデルに基づくコミュニケーションはうまくいかないことが多いと広く知られている▼反対する漁業者らと対等な立場で議論せず、いくら上からの「説明」を続けても理解が得られるはずがない。日本学術会議会員の任命拒否など、どう見ても科学を大切にしてきたとは言えない政府なのだからなおさらだろう▼欠如しているのは人々の科学的リテラシーではなく、政府や東電の真摯(しんし)な姿勢と信頼なのだと知るべきだ。





信濃毎日の矜持 原発汚染水

〈社説〉原発処理水の放出 責任の重み分かっているか|信濃毎日新聞デジタル 信州・長野県のニュースサイト


アンダーコントロールと宣った首領様がいましたね。

以下社説


東京電力福島第1原発で処理水の海洋放出が始まった。

 漁業者の反対を押し切っての開始である。政府と東電が地元漁協と交わした「関係者の理解なしには処分しない」との約束は、ほごにされた形となった。

 岸田文雄政権は漁業者から「一定の理解を得た」とし、風評被害対策や漁業の継続に「責任を持つ」と強調している。

 額面通りに受け取ることはできない。放出は今後30年は続く。どう責任を持つのか。政府、東電の方こそ、その重さを理解しているのだろうか。

  ■信頼の積み上げなく

 そう疑問に思わざるを得ないのは、原発について政府と東電がこれまで、不信を招く対応を繰り返してきたからだ。信頼の積み上げが決定的に欠けている。

 2011年の事故でメルトダウンした原子炉に地下水や雨水が流れ込み、汚染水が発生してたまり続ける。これは当初から重大な問題と指摘されてきた。

 事故から12年、政府と東電は解決にどう取り組んだか。保管するタンクがいずれ満杯となるのは確実なのに、限界が近づくまで実質的に先送りが続いた。

 浄化処理して海に流せばよい。トリチウムという放射性物質は除去できないが、各地の原発でも流している―。最初からそんな甘い考えがあったのではないか。

 過酷事故を起こした福島第1原発を、他の原発と同じように考えることはできない。

 溶け落ちた核燃料の残骸などはデブリと呼ばれ、強烈な放射線を出し続けている。全貌は今も明らかでなく、耳かき一杯分ほどの採取の試みさえ難航している。

 そんな物質に触れた水だ。きちんと浄化できるのか。海に流す以外の方法は本当にないのか。疑問がわくのは当然だろう。

 政府は委員会を設けて処分方法を探ったものの、議論は海洋放出ありきの感が漂った。

  ■第三者による監視を

 地元住民や漁業者向けに説明会は開いてきた。だが一方的に「理解」を求める内容にとどまり、意見が出ても、それで対応が変わる余地はほぼなかった。

 浄化したはずの水に、トリチウム以外の放射性物質も残っていると判明したこともあった。放出前に浄化し直すと釈明したが、情報を分かりやすく伝え、説明する感覚に欠けていた。

 有識者の間には今も、海洋放出以外の方法を検討するよう求める声がある。例えば、10キロ離れた福島第2原発の敷地なども使った長期保管だ。トリチウムの半減期は12年。保管しながら放射能の減衰を待つという手もある。

 海に流し続ける以上、不安を取り除いていくには、トリチウムなどが海中にどう広がっているかを詳細に追跡し、逐一発信していかねばならない。

 政府や東電は、周辺海域の100カ所以上でトリチウム濃度を測定する。国際原子力機関(IAEA)も現地で監視を続ける。

 内外の注目が集まる現段階は監視が効いている。問題は放出が日常化していった後だ。緊張感を維持しなくてはならない。

 東電は、11年の事故の後もミスや不祥事が止まらない。柏崎刈羽原発(新潟県)の再稼働に向けては、テロ対策の不備などで原発の運転主体としての適格性自体が疑われている。その東電が今後、確実に信頼を積み上げていける保証はない。

 処理水の検体を公開し、IAEA以外からも専門家が広く検証に関われる仕組みをつくるなど、監視の目が行き届く態勢をもっと充実させられないのか。

  ■その場しのぎでは

 放出前、岸田首相は、現地視察や漁業団体との面会を慌ただしくこなした。儀式を足早に済ますような対応からにじんだのは、避けがたい当面の難局をどううまく切り抜けるか、という姿勢だ。

 「責任を持つ」の言葉が、世代を超えて漁を続けたいと願う漁業者に響かないのも無理もない。

 思い出すのは2013年、東京五輪開催を目指す中で、当時の安倍晋三首相がIOC(国際オリンピック委員会)総会で述べた「状況はコントロールされている」との言葉だ。制御下にあるとはとても言えない状況だった。

 その場しのぎの対応が、後の政権に代々受け継がれている。処理水の放出に至ったことを重く受け止め、事故が人々にもたらした現実と未来に改めて向き合う。そうあるべき場面ではないか。

 忘れてならないのは、処理水の放出が、廃炉に向けて直面する放射性廃棄物処分の、ほんの一歩でしかないということだ。

 汚染水の絡みでは浄化の際に生じる汚泥もたまり続けている。敷地には事故で発生したがれきも残る。そして何より、デブリを本当に取り出せるのか、出せたとしてもどう保管するのか。決まっていないことがあまりに多い。

 原発推進を唱えられる状況なのか、政府は考え直すべきだ。






高木仁三郎先生の生き様

聴き逃し番組を探す | NHKラジオ らじる★らじる




カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス▽声でつづる昭和人物史 〜高木仁三郎1
8月7日(月)午後8:30放送


ポッドキャストで聞くことが出来ます。
1999年 東海村の臨界事故 1mg のウラン  広島の核爆弾は1kg

いかに日本の原発ムラ(核ムラ)が科学に基づかない行いをしてきたか。

それが2011の福島原発災害に繋がったわかですね(高木先生は天国から嗚咽をあげて眺めていたと思います)




市民の科学 (講談社学術文庫)
高木仁三郎
講談社
2014-04-25

高木仁三郎セレクション (岩波現代文庫)
高木 仁三郎
岩波書店
2012-07-19

市民科学者として生きる (岩波新書)
高木 仁三郎
岩波書店
2015-01-22

3.11 大津波の対策を邪魔した男たち  島崎邦彦 青志社 2023

図書館本 お勧め

津波対策をしなかった東京電力の犯罪に関してはすでにジャーナリストの
添田さんらが地道な取材や情報公開により明らかになり、裁判においても
東電の犯罪を立証してきている。

本書は原発ムラの中でもアカデミア(学問分野)での関係者が3.11までの種々な審議会
会合等での悪事を実名告発していて興味深い。秘密会合等に関しても指摘しており、これも
添田さんらも指摘してましたね。

ただ、著者が専門とする地震学会も過去において地震は予知可能であるとして多額の
学術交付金(科研費等)を得ていたムラでもある事は知っておくべきであろう。

原発ムラ(核ムラ)としての行政、電力会社、大学、ゼネコンの関係性が良く分かります。
予算を提供して土木学会に研究委託し、そのデータを都合よく使う。
電力会社は総括原価方式ですから決して損はしない、そんな業界に色んな企業や忖度して
金儲けに勤しむ。

3.11 1Fの非常電源装置が津波を被らなければ、歴史にIFはないけど。
当時の1F所長が前職において防潮堤に非積極的であったことも議事録等で明らかであったことは
再現フィルムや映画、ドラマでは描かれていないのが非常に残念です。







東電のハードディスクから掘り起こされた重要メール Level7 books
添田 孝史
一般社団法人 原発報道・検証室(名称:Level 7)
2022-10-08



サヨナラ原発 坂本隆一さん

坂本龍一さん 政府の原発回帰に「なぜ」「なぜ」「なぜ」 本紙に寄せたメッセージ全文:東京新聞 TOKYO Web






2011年の原発事故から12年、人々の記憶は薄れているかもしれないけれど、いつまでたっても原発は危険だ。
いやむしろ時間が経てば経つほど危険性は増す。
コンクリートの劣化、人為的ミスの可能性の増大、他国からのテロやミサイル攻撃の可能性など。
なぜこの国を運営する人たちはこれほどまでに原発に固執するのだろう。
ロシアによるエネルギー危機を契機にヨーロッパの国々では一時的に化石燃料に依存しながらも、持続可能エネルギーへの投資が飛躍的に伸びているというのに。
わが国では、なぜ未完成で最も危険な発電方法を推進しようとするのか分からない。
発電によってうまれる放射性廃棄物の処理の仕方が未解決で増えるばかり。
埋める場所もない。
事故の汚染水・処理水も増えるばかり。事故のリスクはこれからも続く。
それなのに何かいいことがあるのだろうか。
世界一の地震国で国民を危険にさらし、自分たちの首もしめるというのに、そこまで執着するのはなぜだろう。
坂本龍一(音楽家)



3.11 12年

原発震災

12年が過ぎ、原発回帰しようとする勢力がある。
まったく愚かな政治である。

3.11をきっかけに日本は良くなると思っていたが
まったく反対に動いている。

自然を破壊し、なおかつ自然をコントロールできると未だに過信している。

日本は一度崩壊した方が良いのかもしれないと思った。3.11である。

原発60年超運転案は「安全側への改変とはいえない」by 石渡明委員

原発60年超運転案は「安全側への改変とはいえない」 異例の反対意見で規制委が正式決定を先送り:東京新聞 TOKYO Web



原子力ムラの中にも常識人が居る。
3.11以前 故吉岡斉先生が講演の中で述べていました、審議委員会や有識者会議の中にはかならず反対学者を入れておく、一応、話を聞いた事にするわけだ。審議会委員が決定した時点で結論は決まっているんだと。そして3.11の人災としての原発震災が起こった。


以下記事

原子力規制委員会は8日の定例会合で、原発の60年超運転に向けた新たな規制制度案を正式決定するかを議論したが、石渡明委員が「安全側への改変とは言えない」と述べて反対し、決定を見送った。来週、定例会で改めて議論する。規制委の重要案件で意見が割れたのは、極めて異例だ。 (小野沢健太)
【関連記事】運転60年超の原発、世界で実例なし 設計時の耐用年数は40年 配管破れ、腐食で穴...トラブル続発
◆パブリックコメント 大半は見直しに反対
 新たな規制案は、原発の運転開始から30年後を起点に10年以内ごとに劣化状況を審査、規制基準に適合していれば運転延長を認可する。昨年12月の定例会では全員一致で了承。この日は、国民からの意見公募(パブリックコメント)の結果を受けて、最終案を議論した。
 意見公募に寄せられた2016件の大半は制度の見直しに反対する内容だったが、規制委事務局は規制案の内容を変更することなく、案を正式決定するかどうかを定例会に諮った。委員5人のうち、山中伸介委員長ら4人は案に賛成したが、石渡委員は反対を表明した。山中委員長は多数決で決定することはせず、運転期間を規定する原子炉等規制法(炉規法)の条文改正案とともに再び議論するとした。
 定例会後の記者会見で山中委員長は「(石渡委員に)誤解もあると思う。反対意見があること自体は問題とは思わない。委員の間で議論を深めたい」と話した。
 政府は昨年12月、原発の再稼働審査や司法判断などで停止した期間を運転年数から除外し、実質的に60年超の運転を可能にする方針を決定。関連法の改正案を今国会に提出することを目指す。現行の炉規法に定められた「原則40年、最長60年」とする運転期間についての規定は削除され、経済産業省が所管する電気事業法で改めて規定される見通しだ。
「将来老朽化した原発が動くことになる」と石渡明委員
 「私は、この案に反対します」—。会合の終盤、石渡明委員がきっぱりとした口調で異を唱えた。
 「今回の改変は科学的な新知見があって変えるものではない。運転期間を法律から落とすことになり、安全側への改変とは言えない。われわれが自ら進んで法改正する必要はない」

 地質の専門家として東北大教授などを歴任し、2014年から委員を務める。日本原子力発電敦賀原発2号機(福井県)の審査で、地質データの書き換えが判明した際には、審査の中断を提案した。原発の運転期間見直しでは、昨年11月に規制委事務局が新規制案について電力会社からの意見聴取を提案した際も、「時期尚早」と反対。議論は先送りになった。
 新たな政府方針では、審査による停止期間が運転年数から除外される。現在、審査中の10基は電力会社の説明が不十分で長引いているケースがほとんど。地震津波対策の審査を担当する石渡委員は「いたずらに審査を延ばしているのではなく、残念ながら時間がかかっている。審査が長引くほど、その分だけ運転期間が延び、将来的により高経年化(老朽化)した原発が動くことになる」と指摘した。
 審査が難航することで、老朽原発の運転を助長する事態に強い懸念を示した。この日の会合では、山中委員長が「どういう運転期間になっても規制ができるようにする仕組みだ」などと説明したが、石渡委員は「私の考えは述べた通り」と引かなかった。








電気代 燃料費調整額 


2022年12月電気代買電の方
高い理由は燃料調整額 1月は更に高い。そして2月から下がるらしい。

だから原発再稼働とか原発新設とか廃炉60年とか、バカな連中に騙されてはいけない。

原発も軍事基地も仮に敵国が想定されれば確実に標的になる。
ロシアーウクライナ戦争しらない?



2212電気代

原発再稼働 新設 



ロシアーウクライナ戦争においても原発は攻撃目標になっている。

そんな中、原発を再稼働および新設とか言っている場合なのですか?
原子力ムラ(核ムラ)がゾンビの様に湧き上がる。
どうぞ、東京湾に作ってはいかがですすか?



未だに3号機爆発の原因も良く分っていないのですよ。

企業責任 東電 原発震災 経産省ー電力ーアカデミア 原発ムラ

原子力企業の役員の責任を重視 13兆円賠償命令の東電株主代表訴訟 「ほかの訴訟にも影響与えるのでは」:東京新聞 TOKYO Web




英雄視されている元1F所長の吉田氏などが前職で地震対策をおざなりにしてきたことは
記録として残されている。
いかに金をかけずに儲けようとした結果が原発震災でしょう。
添田氏の詳細な調査記録(新書3部作)がありますので、是非読んで頂きたい。

当たり前の判決がどうしてこれほど時間がかかるのか?
そして、高裁、最高裁とまたムダに時間が浪費されるのだろうか。

経産省ー電力ーアカデミア(利権学者、御用学者の原発ムラの責任には踏み込んでいない(株主訴訟だから)原発ムラすべてのムラ人が責任を取るべきであるのは言うまでもない。
プルトニウムは飲んでも平気だとか水素爆発は絶対起こらないと言った東大教授がいましたよね?
兼業でいくら私腹を肥やしたのでしょう?

リニアもJR東海の株主さんがどうして訴訟を起こさないのかな?
事故が起きたりした後にするのかな?





権力に忖度する司法 一縷の望み

津波対策の不備はすでにこれまでの裁判でも東電や他の電力会社の記録やメイルから
明らかなのに。。(添田氏の著作参照)




今回の裁判での三浦裁判官の反対意見が司法の正義である。

東京電力福島第一原発事故の福島県内外の住民らが国と東電に損害賠償を求めた4訴訟の最高裁判決。国の責任は否定されたが、1人の裁判官は他3人の多数意見の判決を痛烈に批判し、国が東電に規制権限を行使しなかったのは「国家賠償法1条1項の適用上違法だ」とする反対意見を書いた。原告らはこの反対意見を「第2判決」と呼び、後続の第2陣や全国各地の同様の訴訟で、最高裁で勝つまで闘い続ける覚悟を固めている。(片山夏子)
【関連記事】原発事故、国の責任認めず 避難者訴訟、最高裁が統一判断「津波対策命じても防げなかった可能性高い」
◆「この反対意見は『第2判決』」
 国に責任があるとする反対意見を書いたのは、検察官出身の三浦守裁判官。1陣、2陣含め原告が5000人超の福島訴訟への判決文では、補足意見を含め全54ページ中、30ページに及ぶ。
 福島訴訟原告団の馬奈木厳太郎弁護士は「反対意見が判決の形で書かれているのは極めて異例のこと。これが本来あるべき最高裁判決だという思いを感じる。原告の思いに向き合い、法令の趣旨からひもとき、証拠を詳細に検討しているこの反対意見は後陣の訴訟にとって宝。第2判決として位置付けたい」と評する。
 判決文の実質的な判断が書かれた部分が4ページなのに比べると、反対意見の内容は多岐にわたり、判断も詳細な理由が述べられている。「多数意見は国や東電の責任を問う裁判で、最大争点である津波の予見可能性や長期評価の信頼性への明確な評価を避けるなど、触れていない重要なことが多い」
 一方で、三浦裁判官は長期評価も予見可能性も認めた上で「想定された津波で敷地が浸水すれば、本件事故と同様の事故が発生する恐れがあることは明らかだった」とし、遅くとも長期評価公表から1年後の2003年7月頃までには、国が東電に何らかの対策を取らせるべきだったとした。
 また判決の多数意見は、予想された津波以上の津波が敷地を襲っており、対策も防潮堤以外は一般的でなかったとし、「仮に津波対策が取られていたとしても、事故が発生した可能性が相当ある」と判断。国が東電に対策を義務づけなくても、原発事故の発生に因果関係はないと結論づけた。
◆多重的な防護対策「検討すべきだった」
 これに対し、三浦裁判官は津波が予想された方角以外からも遡上する可能性の想定をするのは「むしろ当然」とし、津波の大きさも相応の幅を持って考えるべきだと言及。津波の侵入口や経路をふさぐ水密化も国内外で当時実績があり、それら多重的な防護対策を「万が一にも深刻な災害が起こらないようにする法令の趣旨に照らし、検討すべきだった」とした。
 さらに三浦裁判官は、原発の技術基準は電力会社の事業活動を制約し、経済活動に影響する一方で、原発事故が起きれば多くの人の生命や、身体や生活基盤に重大な被害を及ぼすと言及。「生存を基礎とする人格権は憲法が保障する最も重要な価値」とした上で、「経済的利益などの事情を理由とし、必要な措置を講じないことは正当化されるものではない」と断じた。馬奈木弁護士はこう解説する。「つまり原発稼働による経済活動を優先し、人の生命や身体を脅かすことは許されないということ。これはまさに原告側が訴えてきたこと。もっとも注目されるべき点ではないか」
 国の規制権限は「原発事故が万が一にも起こらないようにするために行使されるもの」という三浦裁判官の反対意見は、1992年の四国電力伊方原発を巡る最高裁判決が説いた内容を受けたもの。馬奈木弁護士は言う。「重要な争点にも触れないなど判断を避けた部分が多く、今回の最高裁判決は、後続裁判が縛られるものではない。この第2判決の意見が多数派になり、再び最高裁まで勝ち上がって勝訴するまで闘う」


◆「希望持てる」続く裁判に光
 三浦裁判官の反対意見をよりどころに今後も国の責任を追及していくとしても、やはり17日の最高裁判決の衝撃は、原告団にとって大きかった。
 「こんな判決認めねぇぞー。許せねー、許せねー」17日午後、最高裁正門前で福島訴訟の服部崇事務局次長(51)は声を振り絞って叫び、泣き崩れた。東電の3幹部を訴えた刑事訴訟も含め、国や東電の責任を問う全国各地の約30の被災者訴訟で、弁護団が連携して積み上げてきた十分な証拠があり、勝訴だと信じてきたから「パニック状態だった」と振り返る。
 翌日の原告団らの判決検討会には、服部さん含め原告団幹部が顔を出さなかった。服部さんも抜け殻のようになり、福島で判決を待つ原告仲間にもどう言っていいのか分からず、福島にも帰れなかった。心配して電話をかけてきた馬奈木弁護士に「泣いてばかりいたら、これで終わってしまうぞ」と言われ、気力を振り絞った。南雲芳夫弁護士にも「判決文を読め、希望が持てるぞ」と言われ、福島に戻り判決文を読んだ。
 「三浦裁判官の反対意見は俺たちが求めていた判決だった。俺は自分のためじゃなく、原発事故の被害にあった福島県民全体のために頑張ってきた。闘いの第1章は終わったけど、これから第2章だ」。闘う力が体内から湧き上がってくるのを服部さんは感じた。


◆二度と原発事故が起きない社会を
 福島原発事故で国に損害賠償を求める訴訟は全国各地で争われている。
 2016年以降に福島地裁に提訴した「福島訴訟」第2陣の原告は、1200人を超える。判決直後の週末に行われた弁護士による原告募集説明会には、54人が参加。その場で原告に加わった人のほか、「国の責任を認めない最高裁判決はおかしいと思って参加した」という人もいた。7月も現時点で、県内各地で14回の説明会が予定され、弁護団は「原告を第1陣、第2陣合わせて早い段階で1万人としたい」と意気込む。
 福島訴訟は、各地域で共通する最低限の被害を立証し、原告以外の同じ地域にいる住民も同等の賠償が得られるように考えており、原発事故の被害者全体の救済を目指す。「放射性物質が飛び散った福島県民は全員、被害を受けた近隣の県の人たちも原告になれる」と弁護団は説明する。
 判決後、福島訴訟の原告団が東電や経済産業省、原子力規制委員会、福島県議会の各党を回り、被害者の早期救済や賠償基準を定めた中間指針の見直しを求める行動には、第2陣提訴がなく今回の最高裁判決で敗訴が確定した「群馬訴訟」代表の丹治杉江さん(65)や、「千葉訴訟」共同代表の瀬尾誠さん(69)も参加した。
 丹治さんは福島市内で開かれた記者会見で「後続の裁判を支えるなど、いろいろな形で不正をただしていきたい。未来を担う子どもたちのためにも、この悔しさをエネルギーに闘っていきたい」と話した。
 「あれだけの原発事故を起こしながら、国にも東電にも過失責任がないとされ、対策を取ったとしても事故は防げなかったと多数意見はした。対策を取っても防げないのならば、深刻な被害を出す原発事故を防ぐには、原発の稼働を止めるしかないということになる。社会としてそれでも原発を稼働するのかが問われている」と馬奈木弁護士。
 もともと最高裁判決が出ても終わりではなく、原告団は解散しないことは決まっていたと明かした中島孝原告団長(66)はこう語る。「このままでは原発事故の責任を誰も取らず、あの事故の教訓も何も学ばないまま。原発事故はまた起きる。二度と原発事故が起きない社会を次世代に引き継ぐまで闘い続ける決意は変わらない」

 デスクメモ 国も東電も悪くない。悪いのは想定外の津波を起こした「自然」だと最高裁判決。あまりと言えばあまりな理屈だが、逆説的に原発推進側にとっても痛いはずだ。いくら防護をしても自然には無力で事故は防げない、と認定されたのだから。これでどうやって再稼働をするというのか。(歩)






メルトダウン Netflix 2022 ドキュメンタリー

是非多くの方に見て欲しいドキュメンタリー

いかに原発業界と政治が結びついて情報操作をしてきたかが分かる。

そして常に被害を被るのは住民たちである。

スリーマイル島原発事故は1979年3月 未だ廃炉処理は終わっていない。ガン多発の報告 レベル5

チェルノブイリ原発事故は1986年4月 多大な人的被害 レベル7 

福島原発事故は2011年3月 レベル7 未だデブリの回収すら出来ていない。完全廃炉の予定は未定。


月命日 3.11

10年前 

鎌倉市の災害ボランティアで南三陸などに出かけていました。

津波の被害の広大さに驚き、内陸部は稲穂が実っているという光景に
言葉を失いました。

最近もまた大きな地震がありました。

世界が平和であいますように。

黙祷

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白い土地 三浦英之 集英社 2020 

図書館本 個人的本年のベスト5に入ると思う良書

原発震災の地を新聞記者として地域に密着したルポ、調査報道。
企業やスポンサーに忖度することなく、被災者や住民に寄り添い、しっかりと聞き取りを
行っている様に思えます。
是非多くの方に原発震災が我々に、地域に、地球に何を起こっているのかを読み解いて貰いたいですね。
本書では原発震災地住民の方々、町長らの震災と震災後の生き様を丁寧に取材して綴っています。

ひとつ気付かされたのは、なぜ福島第一原発なのか?
他の原発は立地する市町村名が付いているのに? 柏崎刈羽原発、女川原発、大飯原発など
なぜ、大熊双葉原発、楢葉富岡原発とはならず福島第一、福島第二なんだろう。
これが福島県の風評被害の一因でもありであろうと。

ある住民の方の人生が、満蒙開拓、敗戦による引き揚げ、原発事故と3度の国策移住に翻弄されたことなどは胸が締め付けられる。
台風水害で流されたフレコンバッグ問題に関してのメディアと政府のやり取りの不可思議。(回収可能との印象操作)
震災が無ければ建設が行われたであろう、浪江・小高原発の土地疑惑。(水素製造施設への変更)
復興五輪とうたった東京五輪と福島の関係性 誰のためのオリンピック
まさに東京復興のためのオリンピックであると。

白い土地 ルポ 福島 「帰還困難区域」とその周辺
三浦 英之
集英社クリエイティブ
2020-10-26

トリチウム汚染水 原発

大学院時代 トリチウムサイミジン(チミジン)を沢山使ってリンパ球の機能の実験をしておりました。使用後は垂れ流しせずに厳重に保管した後に専門業者が回収しておりました(その後どうなったんだろう、半減期長しい)
同じラボにいた先輩(今はテキサスで教授)は32Pをガリガリ鳴らしながらフィンガープリンティングでコロナウイルスのDI粒子の研究をしていました。Pは半減期が短いので保管して減衰させて普通に廃棄していたかな?

飲んでも大丈夫だそうです。

過去にはプルトニウムは飲んでも平気、水素爆発は起こらないと断言した東大の大橋教授なんてのがいましたね。

確かに健康に害は無さそうな学術的アウトプットはありますが
1Fが爆発した後に垂れ流しして、その後ALPSで浄化して、でも危険だと認識してこれまで貯めてきたんですよね。
さらに、ALPSでの処理が不十分だったことも後に判明。

要するに東電も国もまったく信用されていないのです。もちろん世界もね。
だから、絶対安全ですから海に流すと言っても信頼できるんでしょうかね?

廃炉に100年単位で時間がかかるのですから、タンクを増設してあるいは大型化して100年貯蔵しても良いとの(モルタルで固化したり、今後の技術で濃縮して体積を減らすとか)事。

東電の杜撰さは添田孝史氏(元朝日新聞記者)の連続する著作を読めば明らかですよね。



まあ、知ったかぶって安全だから流せばよいと言いふらすバカにはならないでね。





そしてこんな会社 刈羽はリニアの電力基地でもあります。






いぬとふるさと 鈴木邦弘 旬報社 2021


人間が管理出来る、そして絶対安全だと言っていた原発。
植物、動物が、そして人間が暮らしていた自然。
明らかに人災でしょう。
双葉町に通い続けている鈴木氏が見た、そして愛犬が見た現実。
復興五輪? 福島は復興したのだろうか?
子供も大人も見て、読んで、知って欲しい、そして考えて欲しい。
そんな素晴らしい絵本です。

いぬとふるさと
鈴木邦弘
旬報社
2021-02-18

「原発ムラ」と闘った元官僚 バイオジェットで描くエコな未来とは

「原発ムラ」と闘った元官僚 バイオジェットで描くエコな未来とは - 毎日新聞


官僚が潰される時代

原発ムラに楯突いた正義の人。 たしか古賀茂明さんも誉めていたと記憶

以下備忘録として 毎日もこういう記事を書き続けて欲しいものです。

冬晴れの青空が広がった2021年2月4日。日本航空(JAL)のジェット機が羽田空港を飛び立ち、ぐんぐん高度を上げていった。機体は普段と同じだが、実は燃料には、古着を利用した国産初のバイオ燃料が混入されていた。燃料製造に協力したベンチャー企業を経営するのは伊原智人さん(52)。かつて国家公務員として脱原発政策を進め、「原発ムラ」から繰り返し反発を買った人物だ。日本のエネルギー政策の変革は、今もあきらめておらず、再生エネルギーを利用した新たな挑戦に乗り出した。【岡大介/統合デジタル取材センター】

 「大きな一歩になると思います」。2月4日午後1時前、羽田空港の福岡行きの定期便搭乗口で、伊原さんは笑顔を見せた。

 国産バイオ燃料を利用した初の飛行は、伊原さんが社長を務めるバイオベンチャー「グリーンアースインスティテュート(GEI)」(東京都)など複数社がJALに協力して実現した。全国から不要になった古着25万着を回収し、その綿から作ったバイオ燃料を製造。既存のジェット燃料と混合した。新型コロナウイルス感染拡大で航空業界が大打撃を受ける中、フライトの日程はなかなか決まらなかったが、ついに定期便に使われた。
国産バイオジェット燃料の旅客機への給油作業を見守るグリーンアースインスティテュートの伊原智人社長(右から2人目)=羽田空港で2021年2月4日午後0時25分、丸山博撮影

 現在はベンチャー企業を営む伊原さんだが、かつてはキャリア官僚だった。それも異例の2度にわたり……。
若手官僚時代、原発ムラに突きつけた「怪文書」

 伊原さんは、父親が転勤族だったため香川、宮城、愛知県を転々とした後、東京大に入学。中高大とハンドボールに打ち込んだ。

 バブル真っ盛りの1990年春、大手都銀と通産省(現在の経済産業省)の内定を得たが、「幅広い行政課題にかかわれそう」と官僚の道を選んだ。

 主に情報関連の部署を歩み、同じく情報・通信行政を担った旧郵政省との間で折衝や権限の奪い合いに追われた。比較的順調に官僚街道を歩んでいたが、「性に合わない」と当時始まったばかりの官民の人事交流に手を挙げ、01年にリクルートへ出向した。

 2年後の03年6月経産省に戻り、エネルギー関連の部署に就き、そこで運命が大きく変わった。業界について勉強する中、「核燃料サイクル政策」に疑問がわいた。原発での発電に用いた使用済み核燃料を「再処理」してウランやプルトニウムを回収し、再び核燃料として利用する計画のことだ。56年に「原子力長期開発計画」の中で位置づけられ、エネルギー資源の乏しい日本にとっては切り札になると期待されたが、着手から数十年過ぎても実現のめどが全く付いていなかった。

 核燃料サイクルは、技術やコスト面の問題から欧米の多くの国が90年代には見切りを付けていた。国内の大手電力会社も経産省も、実は止めたがっているのではないか、と伊原さんは感じていた。事実上、政策は破綻しているのに、「どちら側も責任を取るのがいやで言い出せない状態だった」

 日本の原子力行政は、国がレールを敷く一方で、表向きには大手電力会社が自主的に取り組む形の「国策民営」で進められてきた。責任の所在があいまいになり、後ろ向きの決定が取りにくい構造になっていた。それでも、青森県六ケ所村にある再処理工場の建設に巨費がつぎ込まれていた。

 「これでは後世につけが回るだけだ」。意見を同じくする経産省の若手官僚6人で、夜な夜なファミリーレストランに集まり、議論を重ねた。2カ月がかりで、A4で25ページにわたる文書を作成。タイトルは「19兆円の請求書」とした。再処理工場の建設を続ければ、関連経費が膨らみ、19兆円もの国民負担が将来生じる、と試算したものだった。03年秋ごろから、伊原さんら有志は、この文書をもとに、理解を示してくれそうな与野党の政治家、メディアの記者を一人ずつ訪ね、考えを訴えた。
返り討ちに遭うも、原発事故を機に2度目の国家公務員に
核燃料サイクルを継続すれば19兆円もの費用が無駄にかかると指摘する全25ページの「19兆円の請求書」=東京都内で2021年2月4日午後11時43分、岡大介撮影

 伊原さんら有志の訴えは当初、あまり注目されることはなかったが、やがて電力業界の怒りを買うことになる。04年春、大手経済紙の論説委員などが集まる場で「19兆円の請求書」を配って解説したところ、これがすぐに業界の知るところになった。

 電力業界団体「電気事業連合会」の職員が「請求書」を手に経産省に乗り込んだ。「おたくの若いのがこんな紙を配って『核燃料サイクルは不要』と言っている。どうなっているんだ」

 有志6人の活動が省内で批判の的となり、この年の夏、伊原さんは電力担当を外された。2〜3年での異動が多いキャリア官僚では異例の人事だった。伊原さんは「もともと人事交流で民間のスピード感にひかれていた」こともあり、翌05年、経産省を退職して出向先だったリクルートに転職。大学の特許技術を企業とのライセンス契約に結びつける仕事に就いた。

 いったんエネルギー政策の仕事から離れたが、再び転機が訪れる。11年3月11日、東日本大震災に伴う東京電力福島第1原発事故だ。

 当時、経産省と電力業界は「原子力ルネサンス」と称し、温室効果ガスを出さないクリーンな電源だと評価し、民主党政権下も含めて原発推進路線をひた走っていた。「事故が起きる前に、頑張って原発ムラを止めていれば……」。悔やしさがあふれた。

 そんな時、伊原さんの過去を知る民主党(当時)の国会議員から、エネルギー政策の見直しを担う政府の国家戦略室への任用を打診された。
警戒区域に設定されるのを前に、福島第1原発の20キロ圏内を出入りする車(一部画像を処理しています)=福島県南相馬市で2011年4月21日午後1時42分、須賀川理撮影

 エネルギー業界を変える難しさは身にしみている。しかし、「原発事故をきっかけに、皆がエネルギー政策について考える今こそ、見直しのチャンスだ」と考え、2度目の国家公務員となった。

 伊原さんが手がけた大きな仕事の一つが、各電源のコスト計算方法の見直しだ。当時は「原発は圧倒的に安価」というのが常識だったが、原発を受け入れた自治体に支払う国からの交付金や、福島で起きたような事故発生時の賠償金も「コスト」に参入するよう改めた。すると、原発の発電コストは1キロワット時あたり8・9円になり、04年に経産省が試算した値(同5・9円)の1・5倍に膨らみ、石炭火力(同9・5円)との差が縮まった。
原発巡る「国民的議論」へのこだわり

 伊原さんは当時、原発不要論に傾いてはいたが、「国民的な議論を経た上で、ぶれないエネルギー政策を定めることがより重要だ」と考えていた。

 そこで試行したのが「討論型世論調査」だ。不作為に電話をかけて原発への賛否を問うまでは通常の世論調査と同じだが、同意を得られれば資料を送り、1泊2日で原発を含めた国内エネルギー事情について勉強し、グループ討論する「合宿」も実施した。討論の前後での意見の変化も分析した。

 調査での選択肢には、30年の原発の電源構成比が「ゼロ」「15%」「20〜25%」の三つを用意した。資源に乏しい経済大国の日本で、コストや安定供給、温室効果ガス抑制など、さまざまな要因が絡むエネルギー政策を考えることは難しい。伊原さんは、国民が学ぶうちに中間の「15%」に支持が集まるのではないかと予想していたが、意外にも「ゼロ」が増えていった。

 他にもパブリックコメントを募ったり全国各地で意見聴取会を開いたりし、その結果をもとに12年9月に「革新的エネルギー・環境戦略」をまとめ、「2030年代原発ゼロ」と踏み込んだ。

 ただ、そのころすでに民主党政権は下り坂に入っていた。解散・総選挙をすれば政権が自民党に戻ることが確実視され、今後の実効性も不安視された。

 伊原さんは、古川元久・国家戦略担当相の指示を受け、宿願である核燃料サイクル撤退についても検討していた。しかし、六ケ所村議会が12年9月、核燃料サイクルから撤退するなら、すべての核のごみの受け入れを拒否するとの意見書を提出した。撤退を強行すれば、英国に再処理を委託し、返還される予定の高レベル放射性廃棄物が搬入できなくなり、国際問題になりかねない。
国産バイオジェット燃料を使った国内初飛行に臨む旅客機。燃料全体に占める割合はわずかだが、ドラム缶2缶分の400リットルのバイオ燃料が混合された=羽田空港で2021年2月4日午前11時45分、丸山博撮影

 結局、核燃料サイクル打ち切りには踏み込めなかった。「民主党政権が長続きしそうだったら、英国と腰を据えて保管の延期を交渉できたかもしれない。時間が足りなかった」。伊原さんは悔やんだ。
2回目の敗北、ベンチャーで再起

 12年12月の衆院選で、予想通り、民主党政権は終止符を打たれた。発足した安倍晋三政権は、早々と「原発ゼロ」目標を見直す方針を示した。活躍の場を失った伊原さんは13年1月、国家戦略室をひっそりと退職。役所から出向していた同僚が次々と古巣に戻っていった。

 伊原さんはさらなる転身を図る。ベンチャーファンド「東京大学エッジキャピタルパートナーズ(UTEC)」社長で経産省出身の郷治友孝社長に声をかけられ、GEIに就職した。

 植物の茎や葉などを使ったバイオ燃料の研究開発をする会社で、「国際ビジネスに育て、やがては経営者として関わりたい」と夢を持っていたが、来てみれば、現実は社員7、8人。すぐに売り上げにつながる技術はまだ無く、資金は、成長を見込んでくれるファンド頼みだった。

 経営は厳しい時期が続いたが、軸足をコスト面でまだ化石燃料に対抗できないバイオ燃料から、植物の茎などを利用したバイオ由来の化学品の製造技術の開発に移した。18年にバイオ由来のアミノ酸の製造について中国企業との大口のライセンス契約が決まり、事業が好転。売り上げも数億円規模に伸びた。

 一方、JALなどと協力し、18年には古着を活用したバイオ燃料を開発し、航空機を飛ばすプロジェクトも始めた。

 新型コロナによる混乱、JALの経営悪化もあり、20年内という当初の予定からは遅れたが、なんとか実現にこぎつけた。「ベンチャーでも、業界初の純国産バイオ燃料を作れるということを示せた。意義はある」
今も官民もたれ合い、エネルギー政策は停滞

 伊原さんが霞が関を離れた後、日本のエネルギー政策は、再び官民とも軸が定まらず、漂流しているように見える。

 安倍晋三政権は再稼働や老朽原発の稼働延長を容認したが、新増設の可否など、より踏み込んだ議論は封印してきた。一方で再生可能エネルギーの利用も他の先進国ほど進まない。依存度を高めていた石炭火力は、温室効果ガスの排出が多いため、近年国際社会から批判されるようになった。
国産バイオジェット燃料を使った国内初飛行に臨む旅客機=羽田空港で2021年2月4日午前11時49分、丸山博撮影

 核燃料サイクル政策も迷走が続く。再処理した燃料を消費する高速増殖炉「もんじゅ」は94年の初臨界から、ほとんど稼働することなく、16年に廃炉が決まった。一方、六ケ所村の再処理工場は20年に原子力規制委の安全審査に合格し、今も稼働を目指している。

 難局にあるにもかかわらず、数年おきに見直される政府の「エネルギー基本計画」は、経産省が開く有識者会議で決められ、民意は十分に反映されているとは言いがたい。

 伊原さんは語る。「原発事故以来、国民の間には、原子力を含むエネルギー政策について、不信が残っている。今のままでは、国が上から長期的な方針を示そうとしても、国民は信用して受け入れてくれない。もっと幅広く意見を聞き、議論を徹底すべきだ」
グリーンアースインスティテュートの伊原智人社長=羽田空港で2021年2月4日、丸山博撮影

 伊原さんは希望も持っている。経産省で情報通信業界を担当していた90年代、NTT分割・再編を目の当たりにした。政財界で賛否が割れた分割で、調整に相当な労力を払ったが、結局、当時傍流扱いだったNTTドコモが手がける携帯電話が普及し、固定電話そのものを圧倒した。「既存の勢力が抵抗しても、一つの新しい技術によって、変わっていくことがある。行政や政治が強制的に変えるのではなく、技術革新による競争によって良いものが生まれ変化していくのがあるべき姿だ」と熱っぽく語る。

 政府は昨秋、2050年に温室効果ガスの排出量実質ゼロを目指すと掲げたが、実現に向けてカギを握るのは、エネルギー業界を筆頭にした各企業や個人だ。

 伊原さんは、この目標実現にも、バイオ燃料が大きく寄与する可能性があると考える。「コストや品質面で自然と選ばれる存在になれば、きっと社会を変えられる」。経営者の立場から変革への挑戦が続く。




「暗闇の思想」

この国に、女優・木内みどりがいた:<18>反原発の後景に「暗闇の思想」 - 毎日新聞



木内みどりさんと「暗闇の思想」松下竜一

木内さんと自分が同じ思いを共有していたことに有難い。
きっと松下さんの沢山の著作も読んでいたのだろう。
Amazonのおいらのレビューがこれは削除されていないのが奇跡的?(笑)

以下記事

東京電力福島第1原発事故で、古里を追われた人は多数いる。だが、東京都内で暮らしていた女優の木内みどりさんは、そこまでの被災体験はしていない。そんな木内さんが政治的・社会的行動をあえて実践した背景には、思想や哲学、あるいは確信のような「何か」があるはずだ。私は、木内さんが2019年11月に亡くなってから、その「何か」を探し続けてきた。そして、「暗闇の思想」にたどりついた。【企画編集室・沢田石洋史】
作家の松下竜一さんと重なる行動力

 私は生前の木内さんから何度も「暗闇が好き」と聞かされていた。海外の「辺境」を旅するときは、夜の暗闇に魅せられる、とも言っていた。私はそれが反原発運動に参加する行動原理につながっているとまでは考えず、「木内さんの趣向だろう」との認識だった。しかし、20年9月、木内さんと親交のあった武蔵大の永田浩三教授(66)に取材して、一つの発見があった。永田さんは木内さんに作家の松下竜一さん(04年に67歳で死去)の本を紹介していたと言う。

 私は、はたと思い当たった。松下さんの作品に「暗闇の思想を/明神の小さな海岸にて」(影書房)がある。私は原作を読んでいなかったが、元京都大原子炉実験所助教の小出裕章さん(71)が松下さんのことを取り上げた著書「今こそ<暗闇の思想>を 原発という絶望、松下竜一という希望」(一葉社)を読んでいた。

 私は永田さんへの取材を機に、原作を買って読んだ。そして、驚いた。松下さんと木内さんの行動力が、そっくりだからだ。そして、木内さんが「暗闇の思想」をまとっていたことに気付いた。まず、松下さんのことを紹介したい。

 1937年、大分県中津市生まれ。貧乏な豆腐屋の長男だった。早くに母親を亡くし、松下さんは大学進学の夢を諦め、家業を継ぐ。代表作「豆腐屋の四季」は67年11月から1年間の出来事をつづる。

 午前0時過ぎに起きて仕事にかかるが、せきが出る。幼いころから多発性肺のう胞症を患っているからだ。出来損ないの豆腐を怒りを込めて投げ捨てる。冬は冷たい水で手がしばれる。そんな焦燥の日々を自作の短歌とともに記した。厳しい仕事に黙々と耐える「模範青年」として評判を呼び、この本はベストセラーに。豆腐屋を廃業して文筆業に入るのは70年のときである。
松下竜一さんの「豆腐屋の四季」の直筆原稿=大分県中津市で2017年5月29日、大漉実知朗撮影
70年代の公害、そして福島第1原発事故へ

 その2年後に届いた1通の手紙がきっかけで、遠浅の海を埋め立てて巨大コンビナートを造る「周防灘総合開発計画」、そしてコンビナートに電力を供給する火力発電所の建設反対運動に立ち上がる。当時の火力発電所は亜硫酸ガスなどを大量に排出して公害と健康被害を引き起こすとして、各地で反対運動が起きていた。

 しかし、松下さんは、共闘する団体の背後に政党などの組織があることさえ知らない。初めての集会に招く講師が決まると、ある政党関係者はこう言って反対した。

 <わが党の組織を通じて調査しましたところ驚くべきことに、(講師は)皆、民主運動の破壊分子トロツキストと判明しました。こうなった以上、今集会は中止すべきです>

 松下さんはこの発言を聞いたときのショックをこう記している。

 <私はうろたえた。大学を知らず、労働組合とも無縁、一度も運動の世界に触れたことのない私は、革新運動の内部事情を、まるで知らない。トロツキストとは、どのような人びとをさすのかも知らないのだ>

 ビラ配りをしたり、デモ行進を繰り広げたり、行政と交渉したりしても、敗北に次ぐ敗北。地域経済の発展を期待する住民からは「非国民」と呼ばれ、次第に孤立していく。だが、自分の信念に従って行動をやめない。その理由を、こう記している。

 <「あなたは、なぜそんなに孤立しても反対運動を続けることが出来るのですか」と、よく聞かれる。(中略)私はそんな問いに、こう答えることにしている。「局面的には敗(ま)けても、われわれの主張する“暗闇の思想”は究極正しいのです。その方向にしか、われわれの生き延びる道はないのですから。−−だったら、どんなに孤立しようと敗けようとも、その主張を変えることはできないじゃないですか」と>
講演する松下竜一さん=北九州市小倉北区で2002年6月30日、金澤稔写す

 これは、東京電力福島第1原発事故後、自分の生き方を変えた木内さんの行動原理に限りなく近いように思える。「暗闇の思想」がどんな内容かは後述する。
脱原発運動の世界で戸惑いも

 脱原発デモに1人で参加し、集会に足を運ぶようになって、やがて司会を務めるようになった木内さんも、市民団体や労働組合など多くの組織がかかわる脱原発運動の世界に戸惑ったこともあったようだ。私には、こんなことを話してくれた。

 「ストレスで嫌な経験になりそうなときもあって。『木内さんばかりなんで司会なの。私にもやらせて』とか『私なんか20年も前から反原発運動をやっているのよ』と言われて、めげる日もあります。だけど、私はお金を一切もらっていないし、どこの派閥にも属していない。自分の『思い』だけでやっている。だから、こう言い返したこともあります。『そうですか。それなら、司会もなさってください』と」

 集会では、英語の看板を設置して全世界に呼び掛けるよう提案したり、ノーベル文学賞作家の大江健三郎さんが登壇する時は海外向けに「KENZABURO OE」と英語で書かれた表示をするよう求めても、「じゃあ、木内さんがやって」と言われ、受け入れられない。

 木内さんの著書「またね。木内みどりの『発熱中!』」(岩波書店)には、こんな焦燥感を記している。

 <自分の人生の手綱は誰にも渡さない、委ねないという決意のもと、原発を止めるために自分なりにできることはなんでもしてきた、重ねてきた。寄付、署名、デモ、集会、選挙の応援……。でも、その結果はいつだってなんとも無残な現実。10日前の衆議院総選挙(14年12月)で自民党圧勝という結果には決定的に打ちのめされました>
「停電の日」を提唱
木内みどりさんが司会を務めた集会で原発の話をする大江健三郎さん=東京都新宿区で2013年3月9日、久保玲撮影

 松下さんの「暗闇の思想」に戻りたい。新聞に寄稿したこの文章は自宅にかかってきた1本の電話をきっかけに、書き上げられた。「火力発電所の建設に反対しているのに、なぜお前の家にはあかあかと電気がともっているのか」と。松下さんは「暗闇の思想」で答える。

 <かつて佐藤(栄作)前首相は国会の場で「電気の恩恵を受けながら発電所建設に反対するのはけしからぬ」と発言した。この発言を正しいとする良識派市民が実に多い。必然として、「反対運動などする家の電気を止めてしまえ」という感情論がはびこる。「よろしい、止めてもらいましょう」と、きっぱりと答えるためには、もはや確とした思想がなければ出来ぬのだ。電力文化を拒否出来る思想が>

 そして、こう提案する。

 <誰かの健康を害してしか成り立たぬような文化生活であるのならば、その文化生活をこそ問い直さねばならぬと。(中略)いわば発展とか開発とかが、明るい未来をひらく都会志向のキャッチフレーズで喧伝(けんでん)されるなら、それとは逆方向の、むしろふるさとへの回帰、村の暗がりをもなつかしいとする反開発志向の奥底には、「暗闇の思想」があらねばなるまい>

 単行本として「暗闇の思想を」が刊行されたのは74年だった。「停電の日」をもうけるよう提唱する松下さんの矛先はその後、反原発へと向かっていく。木内さんがこの本を読んでいたことを私が知ったのは、つい最近のことである。
バリ島で経験した「暗闇」

 この冬、木内さんと小出さんが対談したコミュニティーFMの番組「市民のための自由なラジオ Light UP!」(16年4月2日)のアーカイブを聞き返すと、木内さんはこう話していた。

 「1日ぐらい全家庭が、日本列島の全家庭がテレビを消して、電気を消して、静かにしたら、と提唱したらどうかしら。『あの人おかしいこと言っている』と笑われておしまいかしら。私たちがつくってしまった科学が、どれだけ地球をめちゃくちゃにし、この地球がどれだけ悲鳴を上げているか気が付かないと。そのためには、暗闇ね。夜は暗いんだということ、冬は寒いんだということに気が付かなければ。それに気が付いたきっかけは『暗闇の思想』を、松下竜一さんのことを教わったからなんです」

 この番組で、木内さんはバリ島で体験した「暗闇」についても語っている。16年3月、バリ島のお正月ニュピ(Nyepi)に合わせて旅行していた。
8回目の「竜一忌」で講演する小出裕章さん=大分県中津市で2012年6月16日、大漉実知朗撮影

 「夜12時から24時間、サイレントデーなんですよ。一歩も外に出てはいけない。火を使ってはいけない。電気を使ってはいけない。食べてもいけない。映画とかテレビとかラジオとか全部だめ。だから真面目な人はその日1日は断食をして瞑想して、しゃべりたいことあってもヒソヒソヒソと聞こえるぐらいの声でしかしゃべれないのだそうです。国際線、国内線ともに発着はなし。だから外を走っている車もバイクも人もいないんですよ。で、夜。日が暮れていったら島全体が素晴らしくて、島の声、虫の声、カエルの声、ほんとに体全部で、島全体が浄化されるのと一緒に私までが浄化されてしまったという気がして」

 この前日には、オゴオゴ(Ogoh−ogoh)と呼ばれる、悪霊を追い払う祭事が行われた。木内さんはこう話す。

 「祭事を村々の人たちが本気でやっているんですよ。本気で信じているんですよ。悪霊がたまってしまうから、悪い気が島にたまってしまうから、1年に1度、24時間ぐらい浄化しよう。静かにして(悪霊に)立ち退いていただいて新しい新年にしよう。私たちはクリスチャンの人もいれば、仏教の人もいれば、新興宗教の人もいれば、いろいろですよね。だけど本当にこの国を1日だけかけてきれいなものにしようと本気で祈る。この国のために、とか。それってどうなんでしょうね。私は大切なことだと思った」

 これに対し、小出さんはこう応じる。

 「そうですね、みどりさんがバリ島で経験したような本当の静寂、本当の暗さというものは今の日本では得ることができませんけれども、やはり私たち一人一人が自然の中で生きているということは、やはり知らなければならないと思います。人間というこの生き物が、科学技術というものを手に入れて、次々と自然を破壊してきてしまっているわけです。それを知るためにはいわゆる皆さんが信じてきた科学技術文明というようなものをときには離れてみるということが必要だろうと思うし、バリ島で1年に1回行われているような行事を日本でこそやってみたらいい」
松下さんと木内さんの共通点

 小出さんはチェルノブイリ原発事故が起きた86年、松下さんから講演依頼を受けて、大分県中津市を訪れている。松下さんの死後、毎年1回行われていた「竜一忌」の8回目(12年)に小出さんはゲストとして招かれた。その講演内容を収めたのが、前掲書「今こそ<暗闇の思想>を」である。小出さんは「あとがき」にこう記している。

 <夜の人工衛星から地球を見ると、日本は不夜城のごとく浮かび上がる。本来、夜は暗い。その夜を不夜城のごとく明るくすることが幸せということなのか……。「暗闇の思想」は、私に問う。他者を踏みつけにせずに生きていかれる社会、エネルギーなどふんだんに使えなくても豊かな社会がきっとあると松下さんは私に教えてくれた。遅ればせながら、私も松下さんが教えてくれたことを心に刻んで、生きていこうと思う>

 小出さんは「みどりさんと松下さんの共通点は、いちずなところです」と振り返った。








暗闇に耐える思想 松下竜一講演録
松下 竜一
花乱社
2012-01-01


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