特集ワイド:植民地支配「していない」は本当か 加藤圭木・一橋大教授と「特別授業」 | 毎日新聞
既にアカデミアで歴史の検証が済んでいるのに、都合よく解釈を変えて歴史修正する輩がいる。
そして、それをビジネスにする。ヘイトビジネスと言っても良い。
以下記事
79回目の8月15日を迎える。戦没者を悼むとともに、歴史と向き合う日でもある。近年、ちまたで広がるのが「日本は韓国を植民地支配していない」または「日本は良いことをした」論だ。本当なのか? 日韓の歴史に詳しい一橋大の加藤圭木教授にお願いし、ファクトチェックを含めた「特別授業」で検証してもらった。
1時間目 「日本は植民地支配していない」論
以前、人気作家の百田尚樹氏がX(ツイッター)にこんな書き込みをしていた。
<日本が朝鮮を併合(植民地ではありません)した当時……>(2019年4月6日)
定義でいえば、植民地とは「ある国の経済的・軍事的侵略によって支配され、政治的・経済的に従属させられた地域」(明鏡国語辞典)である。
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百田氏によれば「韓国併合」でこうした行為はなかったことになる。そのベストセラー「日本国紀」でも、「韓国併合は武力を用いて行われたものではない」(21年の文庫版下巻、132ページ)と強調する。
事実はどうか? 加藤さんの答えは「誤りです。そんな事実はありません」とシンプルだ。
「『韓国併合』は1910年ですが、その過程で、例えば1895年には朝鮮王朝の王妃・明成皇后(閔妃(ミンピ))の殺害事件(日本と距離を置く王妃を王宮に乱入した日本人官憲らが殺害した事件)があり、1904年には日本軍が首都・ソウルを占領し、韓国(大韓帝国)の閣僚を日本に拉致して、(日本軍の土地の強制収用などを認める)日韓議定書の調印を強制しました」
韓国から外交権を奪い、「保護国」とした第2次日韓協約(1905年)も、軍事力を背景に強制的に調印させた。
「こうした日本の振る舞いに、人々は『義兵』として立ち上がって抵抗します。日本軍はこれに激しい弾圧を加え、多数の住民が殺されました」
東京日日新聞・韓国併合条約を掲載
当時の日本軍の統計では、1910年までに約1万8000人の朝鮮人が犠牲になった。これらは一例である。
「このようにさまざまに武力弾圧を用い、『併合』を強制したのです。ちなみに『併合』は、国家を滅ぼすという実態を隠すため、この時、初めて作られた『政治造語』です」
2時間目 「日本は良いことをした」論
「韓国併合」後、つまり日本支配下の朝鮮の実態はどうか。
前出の「日本国紀」には「全国の児童に義務教育を施し……鉄道やダムを建設し、農地を増やして米の収穫量を増やした」(文庫版「日本国紀」下巻、132〜133ページ、要約)とある。要は「良いことをした」論だ。
「まず教育です。基本から間違えています。朝鮮では日本本国と異なり、義務教育制が敷かれたことはありません」
「併合」後、確かに日本支配下で、朝鮮には4年制の普通学校が建てられた。
「だが義務教育ではなく、就学者は1937年になっても男子は3人に1人、女子は10人に1人程度。そもそも『併合』前でも、朝鮮では『愛国啓蒙(けいもう)運動』の高まりとともに、有力者がお金を出し、近代教育を取り入れた私立学校が盛んに作られた。『併合』当時で3000〜4000校あったとみられます。ですが『併合』前後に日本が私立学校に統制を加え、廃校に追い込んで数が大きく減ってしまうのです」
要はそれまでの朝鮮人の努力を事実上、無視した形だ。
「普通学校だって朝鮮人が費用を負担して建てたケースも多く、授業料はもちろん、運営費の多くは朝鮮人から徴収した。そもそも日本が行った教育は『同化教育』で、これ自体が暴力的です」
ではインフラ面はどうか。
「確かに鉄道網や電力用ダムが整備され、企業も進出して工場が建ちました。でも、言うまでもなくこれは日本人がもうけるために造ったもので、朝鮮人のためではありません」
しかも根底には朝鮮人を軽んじる差別があった。
「日本ではあり得ない巨大なダムが造られました。なぜか。植民地朝鮮では住民への配慮は不要とみなされ、強権的に土地買収が進められたからです。都市計画などの法令も日本本国より強権性がありました」
さらに、である。
「日本では公害防止運動の高まりで企業は公害防止措置をある程度は取らざるを得ず、『工場法』には不十分ながら公害規制の規定があった。一方、朝鮮では企業利益が優先され、工場法もありませんでした。後に日本で水俣病を引き起こす『チッソ』の傘下企業『朝鮮窒素肥料』は大工場を造りますが、環境汚染を引き起こし、住民に健康被害ももたらした。日本ではできないことが朝鮮では許された。差別以外の何物でもありません」
付言すれば、日本が朝鮮の米の生産を増やしたのは事実である。だが、それは正確に言えば日本本国への移出用の米だ。なるほど生産量は1920〜22年平均と30〜32年平均を比べると、約240万石(1石は10斗)増えた。だが、日本への移出も439万石増えた。つまり増収分を上回る米が朝鮮から持ち出された。(岩波ブックレット「日本の植民地支配」)
「朝鮮の人々はやむなく満州(現中国東北部)から輸入された安い雑穀でしのいだ。米の増産も彼らの利益を考えたものではなかったのです」
3時間目 「欧米の植民地支配よりマシだ」論
欧米のアフリカやアジアなどの植民地支配と日本のそれとは違う、という正当化論である。百田氏も「日本国紀」などで力説していた。
「学生にも多いんです、その考え。植民地支配は日本に限らず、欧米の多くの国が手を染めてきた。その形もさまざまですが、そこで暮らす人たちの主権や意思を無視して、従属的な立場に置いた、という意味で全て問題があるんです」
「良い侵略」も「悪い侵略」もない、ということだ。
「付け加えれば、ここまで指摘してきた植民地肯定論は、当時の大日本帝国の政治宣伝そのままです。特に目新しいものではありません」
4時間目 歴史を学ぶ意味
「そもそも『○○ができた』『××が増えた』といううわべの現象を切り取ったところで歴史は捉えられません。そこに暴力や虐殺が伴った事実こそが問われているのですから」
近年、欧米各国はアフリカやアジアでの植民地支配の責任を問われ、国家レベルで謝罪するケースも増えてきた。加藤さんがまとめた。
「過去の非を認めても、私たちの誇りが損なわれることにはなりません。現代社会には日本軍『慰安婦』をはじめとする性差別や植民地主義の問題を含め、克服すべき多くの課題があります。その現代社会はどう成り立ってきたのか、過去と対比しながら見ていく。そして課題を克服するヒントを探る。歴史を学ぶのは、昔の日本人は悪いことをした、と言い募るためではなく、より良い未来への道筋を考える指針とするためです」【吉井理記】