イトウの「聖域」で2社の風力発電計画競合 自然保護団体から批判相次ぐ:北海道新聞デジタル
絶滅危惧種イトウが生息する「聖域」とされる猿払川水系(宗谷管内猿払村)などの上流域の宗谷丘陵一帯で、風力発電大手2社の大規模な事業計画が競合する異例の事態となっている。いずれも「環境に配慮する」考えを示すが、同管内では200基を上回る風車が稼働中で「すでに過密状態」の声も。再生可能エネルギー導入が「国策」として進む中、生態系が脅威にさらされる構図は全国で生じ、自然保護団体は「企業のモラル」を問題視する。
■「なぜ、ここなのか」
「なぜ、ここなのか」―。猿払川、猿骨川などイトウが生息する4水系がある猿払村。地元有志でつくる「猿払イトウの会」会員は3月、国内最大手ユーラスエナジーホールディングス(東京)が示した「(仮称)宗谷管内風力発電事業」の事業想定区域に「ふざけている」と感じた。
一帯では昨年9月、石油元売り大手ENEOS(エネオス)子会社のENEOSリニューアブル・エナジー(東京、旧ジャパン・リニューアブル・エナジー)が最大59基の風車を建設する「(仮称)宗谷丘陵南風力発電事業」の計画を示した。国立環境研究所(茨城県つくば市、国環研)の福島路生・主幹研究員は事業想定区域内の猿払川水系にイトウの産卵床が118カ所あると指摘。猿払イトウの会など10団体でつくる「イトウ保護連絡協議会」は中止を求める意見書を出した。
ところが、ユーラス社は今年3月、ENEOSの2倍を超す最大160基の風車建設を計画、環境影響評価の2番目の手続きの「方法書」を公表した。「イトウの産卵床に配慮」し、猿払川水系そのものは想定区域から外したが、水源に最も近い区域や川沿いの尾根は含まれている。同協議会は区域内の猿骨川、鬼志別川など4水系8河川にも産卵床があるとして中止を求めた。
■森林伐採を懸念
猿払イトウの会の川原満さん(54)は工事に伴う森林伐採を懸念する。イトウは春に上流で産卵し、成長するにつれて川を下る。一方、風車の建設や、部品を運ぶ作業道の敷設には森林を伐採しなければならず、川の水量を調節する「保水力」が低下すれば雪解け水が大量に流れ込んで卵が流されたり、土砂が川底にたまり窒息死したりする恐れがある。渇水になれば日本最大級の淡水魚であるイトウは川を遡上(そじょう)できず、産卵ができなくなる。
すでに道北のイトウは個体数が減少している。国環研の福島主幹研究員は昨年、猿払川水系の狩別川を遡上するイトウの定点観測を実施。前回調査した2014年には424匹の遡上が確認されたのに対し、23年はわずか139匹だった。猿払川水系のイトウは22年に大量死が確認されており、福島主幹研究員は「数を減らしたイトウは容易に回復しない」。川原さんも「(計画が実現したら)一層減ってしまい、イトウが姿を消してしまうかもしれない」と懸念する。
ユーラス社に対しては、計画の「進め方」への批判も強い。同社は2年前、方法書の前段階の「配慮書」を公表したが、方法書の9倍近い13万1千ヘクタールを事業想定区域とする曖昧なものだった。イトウの会のメンバーは「宗谷全体にかかるほどの範囲で意見の出しようがなかった」とする。
■「環境影響評価の体をなしていない」
日本自然保護協会(東京)は、18年から5年間の環境影響評価図書267件の事業想定区域を解析した昨年4月の報告書で、ユーラス社の配慮書は全国で最も環境への影響が大きいとし、「事業の環境影響を予測、評価する環境影響評価の体をなしていない」と厳しく指摘した。
また、方法書の事業想定区域の9割は国有林で、うち3割が下流に重要な保全対象がある場合に指定される「土砂流出防備保安林」となっている。同協会の若松伸彦・保護チーム室長は「川を除外しても、その上流で森林が伐採されれば当然、土砂は流出する」とした上で、「配慮書からやり直すべきだ」と批判する。
宗谷総合振興局の集計では3月5日現在、管内の15カ所で206基が稼働中。ユーラス社の浜里ウインドファーム(幌延町)では昨年5月の稼働開始後、国の天然記念物で絶滅危惧種のオジロワシ3羽、オオワシ1羽が回転する風車に衝突して死んだ。日本生態学会北海道地区会は、同管内の風力発電はすでに「オーバーユース」とみる。
露崎史朗・北大大学院教授(植物生態学)は「イトウが生息するのはいい森があって、川があるから。植生や鳥類への影響の観点からも、これ以上の風車建設は認められない」と語る。
■企業側「共生の道探りたい」
地元の人々や専門家の不安に2社はどう答えるのか。ユーラス社の諏訪部哲也社長は5月23日、子会社の道北風力(稚内)が市内で営業を始めた風力発電所の竣工(しゅんこう)式に出席、取材に対し「重く受け止めている。これから調査を重ね、データを開示することで共生の道を探りたい」と述べた。
宗谷丘陵の一帯で風力発電の事業計画が相次ぐ背景には、全国有数の風の強さに加え、付近に住宅がなく、騒音が大きな問題になりにくいことなどがある。
ただ、宗谷管内猿払村では宗谷丘陵から流れる川の水を引き、水道水にしている。土砂流入で川の水が濁ったり、水量が少なくなれば、人々の生活も脅かしかねない。ユーラス社は風力発電の電力を使って水素を製造し、データセンターも誘致する考えだが、空港がある稚内市を中心に検討中で、村への経済効果は薄い。村民の1人は「(風力発電は)猿払へのメリットは一つもない」と語る。
地元にこうした声がある中、ユーラス社稚内支店の加藤潤支店長は道北で風力発電を行う利点を「(管内は)発電原価を安くし、大量に再エネを導入できること」とする。
また、配慮書で広大な事業想定区域を示したのは「送電ルート」などが大きな理由とする。政府は再エネの「主力電源化」を掲げ、道内で発電した電力を首都圏などに運ぶ送電線の整備を計画中。ユーラス社はこの送電線から売電する予定だが、計画の詳細が明らかになっていないことなどから、配慮書では区域を絞り込むことができなかったと説明した。加藤支店長は今後実施する現地調査で「影響が大きいと分かれば、見直しを行う」と語る。
河川上流域での森林伐採で土砂が流入する可能性については「対応は十分可能」と主張する。国有林での風車建設は「一定の要件を満たした場合は保安林の改変が認められている」とし、日本では国土の3割が保安林とされていることを強調。「改変が一切認められなければ、国の再エネ導入に大きな影響がある」と反論した。
一方、ENEOSリニューアブル・エナジーは今年8月に方法書を公表予定で、北海道新聞の取材に事業規模は「配慮書より縮小する方向で検討中」「イトウの産卵床を回避する計画を策定する予定」(広報CSR部)と回答した。また、同社は北限のブナ林で知られる後志管内黒松内町の事業計画を中止した。「環境への影響や事業性等を総合的に勘案した」としている。
<ことば>イトウ 北海道と極東ロシアに生息する国内最大級のサケ科の淡水魚で、環境省と国際自然保護連合(IUCN)が絶滅危惧種に指定している。かつては東北にも生息していたが、1960年代ごろから多くの河川で絶滅。現在では、比較的安定した個体群が生息する河川は道内の6水系しかないとされ、宗谷管内にはこのうち宗谷丘陵を水源とする猿払川、猿骨川、天塩川、声問川の4水系が流れる。