リニアで幸せになるのは誰なのか 財政学、地域経済学の観点から 静岡大教授・川瀬憲子【時事時評】:時事ドットコム





現在、総事業費9兆円を超えるリニア中央新幹線(以下、リニア)開発計画が進められている。超伝導によって、時速500キロで走行することで、東京―大阪間を約1時間で結ぶ計画であり、事業主体はJR東海である。

 もともと民間が全額出資する事業ということで、国会ではほとんど議論されることなく、進められてきた事業でもあるが、一大国家プロジェクトとして位置づけられるようになった。しかも、スーパーゼネコン4社の談合問題が生じるなど、企業の開発利益と国土開発の効率性が最優先された「国策民営」の計画であるといってよい。財政学・地域経済学の立場から、論点となるところを整理してみたい。
リニア開発計画と国家的プロジェクト

 リニア開発の構想は高度経済成長期にさかのぼる。1962年から鉄道技術研究所が始めていたが、97年からは山梨県の18.7キロ実験線での走行実験が開始された。90年代に5兆円と見積もられていた事業費は、2007年時点で9兆円にも膨らんだ。

 2010年、国の審議会にて、A(木曽谷ルート)、B(伊那谷ルート)、C(南アルプスルート)の三つのルートが提案された。中央線や飯田線沿いの従来型の新幹線案や南アルプスを迂回(うかい)するリニア案も浮上したが、リニアが「直線」で走ることを前提に議論が進められ、最も危険な南アルプスを貫通するCルートが選択されたのである。

 2014年、JR東海による十分な環境アセスメントが実施されないまま、国は工事実施計画(その1)を認可した。16年には約3兆円もの財政投融資が投入され、国家的プロジェクトへと転換していくことになる。21年にJR東海は品川―名古屋間の総事業費が1.5兆円増の7兆円となると発表したが、物価高の影響を受けて、さらに事業費が高騰していくことが予想される。
品川―名古屋間は9割がトンネル

(1)リニア工事と裁判

 リニア開発では、品川と名古屋間の86%(品川と大阪間では71%)がトンネルである。工事をめぐって深刻な環境問題を引き起こしており、公共事業の公共性が問われる状況になっている。トンネルからの膨大な残土に加えて、水枯れ、安全性、ウラン鉱脈、電磁波、難工事、膨大な電力需要など、課題は山積している(樫田2017)。

 こうした中で、沿線住民による「行政不服審査請求に基づく異議申し立て」を経て、2015年に「工事認可取消請求」が東京地裁に提訴されたほか、各地で工事差止を求める裁判が続いている。裁判では地域住民や専門家から環境に及ぼされる影響等について指摘されてきた。

 さらにジャーナリストの樫田秀樹氏の調査によれば、1都6県のすべてにおいて、当初計画よりも大幅に遅れている状況も浮き彫りになっている(樫田2017、川村他2023)。15年12月の着工から8年たった現在も、全体の1〜2割程度しか進んでいない。


(2)南アルプストンネルと「盛り土」・渇水の懸念

 全長25キロの南アルプストンネルは、土の表面からトンネルまでの深さが最大約1400メートルであり、日本のトンネルの中では最大である。このトンネルは、長野工区、静岡工区、山梨工区に分かれ、約1000万立方メートルの掘削残土が、品川―名古屋間全体で5680万立方メートルの建設残土などが出るが、静岡工区以外は処分地が明らかにされていない。

 このうち静岡工区の約9キロのトンネルからは、約370万立方メートルもの残土が想定される。急峻(きゅうしゅん)な大井川上流における高さ65メートルもの「盛り土」造成を含む残土処理や、毎秒最大で2トンもの大井川の水量が減少するといった渇水対策も争点の一つとなっている。しかも2021年に発生した熱海市伊豆山土石流災害は、「盛り土」の危険性とチェックシステムの重要性を改めて浮き彫りにした。

 南アルプストンネルは、地上から1400メートルもの下を、掘削面にコンクリートを吹き付け、補強しながら進む「NATM工法」で掘削する難工事である。周辺には破砕帯や断層帯も多く、震災による災害リスクも高い。そのことが難工事を生み、工事に10年超という歳月を要することとなる。にもかかわらず安全対策はとられていない。避難するためには非常口のある所まで上らなければならない。冬場には氷点下10度を下回る極寒地である。環境アセスメントが事実上機能していないことに加えて、地元への説明責任を十分に果たさず、「リニア開発ありき」で進められてきたところに最大の問題がある。


(3)大都市圏内での大深度地下の開発と環境権侵害

 東京や名古屋などの大都市圏内でも、リニア開発をめぐって問題が顕在化している。それは、大深度地下許可区域になっているためである。2000年に成立した「大深度地下の公共的使用に関する特別措置法」(大深度法)の適用を受けて、地下40メートルより深い地域においては、地権者の同意なしに、事業者が開発できることになっている。18年に国交大臣は、第1首都トンネル36.9キロ区間中の33.0キロと、第1中京圏トンネル34.2キロ区間中の愛知県下の17.0キロにおいて大深度地下利用を許可した。現在、大都市圏の住宅街における深刻な騒音公害や陥没リスク、膨大な残土処理をめぐる問題が顕在化している。

 2020年に、東京都調布市の住宅街で東京外環状のトンネル工事が原因で、陥没事故が発生した。首都圏では、地権者らが、住宅街での大深度地下の開発に対してリニア工事の差し止め訴訟に踏み切っている。深く掘り進めるため、膨大な残土が出る予定だが、処理の候補地すら決まっていない地区も多い。また、北品川工区(9200メートル)は124メートル掘削した時点で、シールドマシンが2度故障して工事は止まったままであった。4月から調査屈進を再開したものの、5月時点で133メートルにすぎない。原告弁護団によれば、品川から甲府までの路線は、今世紀中の完成も困難な状況下にあり、2023年12月現在、トンネル部分で完工したのは、第1南巨摩トンネルのわずか0.7キロにすぎないとされる(裁判資料)。

(4)リニア沿線の開発と地元負担

 リニア沿線の駅についてみると、品川―名古屋間には、神奈川、山梨、長野、岐阜各県に中間駅が設置されるため、駅が設置される自治体では開発計画が進められている。名古屋以西はまだ決まっておらず、神奈川県駅、山梨県駅、長野県駅はいまだ未着工である。

 しかも、駅周辺整備や市内からリニア新駅までのアクセスは地元負担となる。JR東海の説明では、リニアは完全予約制であるため、エレベーターやエスカレーターなどの最低限の諸施設の整備にとどめ、待合室や売店などは一切作らず、通常、事業者と自治体が折半で負担される駅前広場の整備費用も地元負担とした。

 たとえば、長野県駅の設置をめぐっては、飯田市がJR飯田駅に隣接する旧国鉄貨物線跡地に誘致を進めていたが、信濃毎日新聞社の調べによると、駅から5キロも離れたリニア郊外駅が選定されることになっている(同2023)。その理由は、「直線」で走らせるためだという。飯田駅に隣接すれば、余分な費用がかかるというのがJR東海の主張だが、地元住民のためのまちづくりとはまったくかけ離れたところで、しかも地元負担で、リニア駅周辺の開発が進められているのである。JR在来線とリニア新幹線とのネットワークを持たず、一体何のための鉄道なのか疑問を抱かざるを得ない。誰のための巨大開発なのかを問い直す必要があろう。

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 これまで見てきたように、リニア開発は、国家的プロジェクトへと転換したが、トンネルによる残土処分地確保の困難性、盛り土による土石流災害リスクの高まり、渇水対策の不備、大深度地下開発による陥没リスクの高まり、難工事など、各地で問題が多発し、それらが工事の遅延につながっていることは言うまでもない。

 2024年5月16日、岐阜県瑞浪市のリニアトンネル掘削工事が行われている地域で、異常な渇水が起こっていることがJR東海の調査で明らかにされた。今後沿線各地で渇水をめぐる問題が表面化することになろう。さらに、この付近にはウランの鉱脈がある点も問題視されている。十分な対策を講じることなく掘削工事が行われ、盛り土によってさらに拡散されれば、深刻な労働災害のみならず住民への健康被害を含む公害問題へと展開する可能性がある。

 リニア中間駅周辺の開発状況をみても、生活者の視点からの豊かな地域づくりの方向性は追求されておらず、東京一極集中と地方切り捨てがますます強まることが懸念される。また、リニア新幹線が従来の新幹線に比べて、電力消費量が3倍以上にのぼる点も課題となっている。予防原則に沿って災害リスクを最小限に抑えつつ、コミュニティーを重視したサステナブルな社会の実現こそ、求められるのではないか。

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筆者の川瀬憲子氏(本人提供)

筆者の川瀬憲子氏(本人提供)

川瀬 憲子(かわせ・のりこ)静岡大学教授(財政学、地方財政論)、経済学博士(京都大学)、日本地方財政学会常任理事、日本地方自治学会理事。1999年、米ニューヨーク大公共サービス大学院行財政研究所客員研究員などを経て、2004年から現職。主な著書に『「分権改革」と地方財政』(自治体研究社)、『アメリカの補助金と州・地方財政』(勁草書房)、『集権型システムと自治体財政』(自治体研究社)、『入門 地方財政』(自治体研究社、共編著)など。

【主要参考文献】
・樫田秀樹(2017)『リニア新幹線が不可能な7つの理由』(岩波書店)
・川村晃生編(2023)『リニアはなぜ失敗したか』(緑風出版)
・信濃毎日新聞社編集局(2023)『土の声を 「国策民営」リニアの現場から』(岩波書店)
・橋山禮治郎(2014)『リニア新幹線 巨大プロジェクトの「真実」』(集英社新書)
・樋渡俊一(2022)「リニア中央新幹線と大深度地下使用法」『環境と公害』52巻1号
・宮本憲一(2014)『戦後日本公害史論』(岩波書店)