倉重篤郎のニュース最前線:甦れ!石橋湛山 親米自立の保守革命へ 政党政治を根底から変えよ | 毎日新聞
図書館本 鎌倉図書館凄い。この本が蔵書で今もあることが。
石橋湛山の巻頭文書より 昭和33年8月 山中湖畔にて
このように2回落第の憂き目を見たおかげで、私は自分の一生を支配する影響を受けた大島正健校長にめぐりあった。何という幸運であろう。もし順調に五年で卒業していたらいうまでもなく御目にかかれなかったし、六年で卒業しても大島先生を逸したのである。だからなまけるのがよいというわけではないが、世の中は塞翁の馬で、如何なる偶然があるかわからという感を強く抱く。
個人主義は利己主義ではなく、一切の行為の規準を自覚に求める。これが個人主義の精髄である。これがクラーク先生の教育思想。
備忘録メモ
洋行帰りの高橋是清にディベートを習う 東京英語学校
クラーク博士は11人の子女をもうけられた
黒田長官とクラーク博士 学問だけを教えるのでなく、生徒たちを薫陶し北海道の拓殖に役立つ人材に。キリスト教に対する寛容 職員生徒に禁酒禁煙
クラーク先生の鉄則 Be gentleman.
この倉重さんという編集員の良し悪しは別にして。
石橋湛山の思想信条が実行されていれば、多くの若者は死なずに済んだ事は間違いない。
植民地政策や帝国主義的国家運営がいかに日本を衰退させたのか。
その石橋湛山は、甲府中学を留年したおかげで、恩師となる大島正建校長(クラーク一期生)に出会い、生き方を決めた。
今だけ、金だけ、自分だけ、口だけの政治家が増えすぎたこの日本をどう見ているのだろう?
本当の国益と世界平和を考える人のみが議員になれる日が来るのだろうか?
以下記事
自民党裏金問題は解決には遠いが、派閥解消、党内流動化の動きは想像以上の勢いだ。自民党はどこに向かうか、派閥を離脱した衆院議員、岩屋毅氏と古川禎久氏が展望する。2人の共通点は、かつて自主独立、民主主義擁護、派閥解消などを旗印に、首相にまで上り詰めた石橋湛山をいまに引き継ごうとする意志である。
このカオス(混沌(こんとん))の中から何が生まれるのか。
今回の裏金政局、一つ注目すべきは、派閥解消の動きである。岸田文雄首相の宏池会解散宣言が、ティッピングポイント(小さな変化が蓄積し、劇的な変化を起こす境目)となり、連鎖反応的に各派が解散、自民党の衆参国会議員376人のうち約75%が無派閥議員となった。これまで派閥のガバナンス(統治能力)に依拠して、政策、政局運営していた自民党が、その足場を失った。政権与党の統治体制は、前代未聞、未踏の領域に入った、ともいえる。
既存の6派閥体制は、より小さなグループに解体、分断化されていく。一方で、280人近い「無派閥派」は、ただ一人の総裁・総理である岸田氏の公認権、人事権、解散権の下、集権化する。このベクトルのぶつかり合いで何がどう起こるか。ここに野党と世論が加わり政局は流動化、予測がつかない状況でもある。
問題はこのカオスの中で何を築き上げるか。ピンチはチャンスとも言う。権力構図の再編は政策、政治路線の再編にも通じる。単に政治とカネ問題の処方箋を講じるのではなく日本の今後のあり方、生き様という大テーマで、しかるべく構想、ビジョンを出し合い、骨太な議論もしてほしい。真の意味で日本政治を刷新する好機になるかもしれない。
石橋湛山(たんざん)という政治家がいた。戦前は、言論人として小日本主義を掲げ、領土拡張・植民地獲得という大日本主義への代案を提示、戦後は、政治家として占領軍と対等にやり合い、冷戦時に日中米ソ同盟という平和構想を打ち出した。大勢に流されない自立自尊、徹底した経済合理主義、理想を捨てない現実主義、骨太の構想力。自由党を2度除名されながら首相に上り詰めた不屈の闘志。その彼に学ぼうという超党派議員連盟(湛山議連)が昨年発足したことは当欄で紹介した。
この裏金カオスから起(た)ち上げるべき一つの軸として、湛山的精神、構想力がヒントにならないか。この稿では、湛山議連の2人に問う。岩屋毅(議連共同代表 当選9回 66歳)、古川禎久(よしひさ)(同幹事長 当選7回 58歳)両衆院議員である。奇(く)しくも2人はこの政局で同じ行動に出た。岩屋氏は麻生派を離脱、古川氏は茂木派を出た。まずは岩屋氏だ。30年前、自民党を離党してまで政治改革にのめり込んだ若手議員の一人だった。
国力停滞への国民の怒りが顕在化した
今回なぜ離脱?
「派閥政治に対する疑問、モヤモヤが自分の中で蓄積されてきたが、今回の事件でその思いがはじけた。世論動向も背を押した。政治を変えるべきだという国民の声が伴わないと改革はできない。久々にそういう機運が巡ってきた」
「今回の事件で着目すべきは、その温床が派閥だったことだ。帳簿処理がしっかりしている派閥とそうでない派閥との差が出ただけともいえる。党のメカニズムの中にガッチリ組み込まれている派閥という構造の問題だ。それが本来一人一人が屹立(きつりつ)すべき議員の自立を妨げてきた。国の方向を決める総裁選で、何人かの親分が話を決め、お前ら従え、従わないと冷や飯食わせるぞ、ではもうやっていけない。派閥が政治の主役である体制は壊す必要があると決意し、退会した」
今何が起きている?
「ひとつは平成の政治改革の制度疲労だ。30年前、私は改革のため自民党を飛び出し落選、国会に戻るまで7年間浪人した。それでもある種の達成感はあった。5年越しの政治改革が細川護(もり)熙(ひろ)政権でようやく日の目を見て、2度、本格的な政権交代が起こり、首相の指導力と政治主導が強化された。自分は七転八倒したが、改革ができて良かったと思えた。だが、ここにきてその改革効果が薄れ、1強多弱、モラル低下など負の側面が目立ってきた。ここは令和の政治改革が必要だ。30年ぶりにあのころに戻ってもう一回、汗をかいてみたいと思った」
「もうひとつは、この30年間の国力停滞への国民の失望、心配、怒りの顕在化だ。冷戦終焉(しゅうえん)という世界のパラダイムシフトに適応していくための意識と努力が十分でなかった。バブルがはじけ、その後始末に追われ、その後は財政バラマキ、金融緩和を繰り返し、技術革新を生むことなく、ある意味で日本全体がスポイルされた。(異次元金融緩和も)カンフル剤としての役割は果たしたが、打ち続けて体力が弱まった。政策、制度全般を見直すべきだという時代の要請を感じる」
派閥解消が最初の一歩?
「総裁派閥が自ら解散する、というのは岸田さんの大決断だった。追い詰められてやったと言う人がいるが違うと思う。第2次安倍政権以降の10年間は、言ってみれば安倍体制と言っていい構造ができあがっていた。岸田首相もその体制から生み出され、その呪縛の中にあった。それを解いたのがあの決断であり、ようやく自立した。心中深く期するものがあると思う。彼が慌てているように見えないのはそういうことだろう」
約75%が無派閥議員だ。
「かつてこんなことはなかった。自民党内はいったんカオスになった。この中でもがき苦しみ、新しいものを創っていかねばならない。こういうことは、人知だけではなかなか起こりえない。大仰に言えば、日本が直面する危機的状況の中で、天による差配なのではないかと感じている」
カオスの中どう動かす?
「まずは国民の信頼をどう取り戻すか。政治資金規正法は適切な形で厳格化・厳罰化の方向で改正する。その上で、政治とカネを監視する強い権限を持った行政委員会を起ち上げる、という令和臨調の案に賛成だ。すべての政治団体はそこに登録し、違反があれば返金を命じたり、登録の取り消しができるようにする」
「重要なのは、改革の機運をそれだけに留(とど)めず、国策全般にまで議論を深化させることだ。これからの日本の国の形をどうするか。例えば、人口が毎年100万人減り、急速な高齢化を迎える中、いかに国力を維持し、一人一人の国民が充足感を得られる社会を創り上げるのか。女性、高齢者、外国人、障がい者、性的マイノリティーらいろんな人たちがこの列島で活躍できる、もっと多様性を包摂できる社会にするのがひとつの方向性だと思う。違うものが混じり合ってこそイノベーションが起こる」
「国際的激動の時代をどう生き抜くかも重要なテーマだ。中国が台頭し米国の力が相対的に落ちている。日本にとって日米安保体制が基軸であることには変わりはないが、これまでの対米追従の姿勢は改めていく。親米自立だ。日本の役割は、米中対立のお先棒を担ぐのではなく、(対立悪化を防ぐ)つっかい棒になることだ。中国と真剣に話し合い日中関係を再構築、TPP(環太平洋パートナーシップ協定)など経済連携協定についても、米国に戻ってきてもらうのと同時にやがては中国、韓国をも取り込んでいく。その仲介機能を日本が果たしていくべきだ」
湛山の知恵から新しい日本の展望を
湛山の知恵をどう活用?
「湛山の言説がすべて今に当てはまるとは思わないが、その大胆な構想力と勇気に学びたい。日本全体が軍国主義、植民地主義、大日本主義に向かう時に小日本主義で異を唱えた。日本が科学技術に依拠して自由貿易に徹すれば、海外領土がなくても日本は繁栄できると主張した。まさに戦後は湛山が正しかったことが証明された。米ソ冷戦が始まる時に、日中米ソ平和同盟を唱えた。突拍子もないと聞こえたかもしれないが、実現していれば今日の事態はなかったともいえる」
今後の議連の役割は?
「超党派で湛山の言説を学ぶ中で、共通の土壌、土台ができればいいと思う。その先どうするかについて具体的な構想が今あるわけではないが、そこでできた新しい政治的な塊が、現在の国難を脱し、新しい日本のビジョンを描いていく上で何らかの役割を果たすことができればと思っている」
次に古川氏だ。建設官僚を3年で退官、その後、政界に出るまで一時期、焼き鳥屋をやるなど変わり種だ。やはり改革のスタート地点は派閥解消だと言う。
「大変なことをしてしまった、と自民党が心から反省し、自己改革の覚悟をすることが起点だ。派閥解消がそれだ。岸田首相が率先垂範、覚悟を示した。ならば我々仲間も結集してすべての派閥は解散、いったん更地にしてそこから新しい自民党を考えようと」
総裁選後は派閥が復活?
「総裁選のあり方も変えるべきだ。推薦人20人という立候補要件は緩和する。全国の党員や都道府県連、地方議員の意向も入れ、間口は広げるが、途中で絞り、最後は上位5人くらいで国民の前で各種重要政策について、徹底論戦させる」
「ただ、派閥解消がことの本質ではない。政党政治の近代化という令和の政治改革が必要だ。一つは政治資金の透明化、二つに国会改革、三つに選挙制度改革、これを大きなパッケージにして国民の前に約束、この通常国会、秋の臨時国会、来年の通常国会で順次実現していく。そこで衆院は任期を迎え、信を問えばいい。途中、解散になっても自己改革の姿勢が大事だ」
「これは自民だけでできる話ではない。野党はもちろん、国会の外の人たち、例えば令和臨調などと提携、大きなテーブルをセットして、大きな議論をすべきだ。国会改革では、『事前審査』を見直すことも一案だ。国会提出前に与党が法案を事前審査する。与党は審査を済ませているので、国会質疑時間は野党に重点的に配分するという慣例だ。これでは、『攻める野党、守る与党』の構図になり、国民には喧嘩(けんか)に見えてしまう。事前審査をやめ、与党議員も国会で本音で議論、妥協、修正してより良いものを作る。政治の信頼回復につながる可能性がある」
選挙制度はどうする?
「自公政権が国民受けのいい政策をひねり出し、都合のいい時期に解散し、政権維持のための政権運営をしているように見える現状では、国民はしらけ、投票率が下がる。国民のしっかりとした支えがなければ、本来あるべき政策の断行は難しい。できるだけ幅広く民意を反映、吸収できる選挙制度が望ましい。個人的には、中選挙区連記制か大選挙区連記制がベターだ」
自民党はどう変わる?
「ある意味、55年体制的な政党政治は歴史的な役割を終えている。政党はあくまで国家国民のための道具であり、政党のために国家国民がいるわけではない。時代に合わなくなれば新しい政党政治につくりかえる。選挙制度を改め、全国の志ある人をどんどん国会に集める。幕末維新と同じだ。徳川幕藩体制が時代の変化に対応できなかった時には、田舎の下級武士たちが集まって知恵を凝らし危機を乗り切った」
日米同盟一筋では立ち行かなくなる
自民党に代わる新党?
「新党ではなく新しい連立だ。保守中道勢力が軸となる新しい政党政治を目指したい。各政党が昔の自民党各派のように、時に応じて合従連衡(がっしょうれんこう)する。欧州のように、選挙結果に応じて政党同士が政策協定によって連立を組む。政治とは船に喩(たと)えれば舵(かじ)取りだ。時代の舵を切るには国民の支持がないとできない。逆に、国民から反発、ネット攻撃があっても、それにすくんで、氷山を見ないふりをすれば、国民もろとも壊滅、船は沈没する。変える勇気、変わる勇気、それを持つことだ」
「世界を見渡すと100年前に似ている。格差が拡大し、分断と対立が生まれ、政治が不安定化する、そこに破滅的なポピュリズムが台頭する。ヒトラーも日本の軍部もそこから出てきた。このタイミングで政党政治が信頼を失ったのは極めて深刻だと思っている」
湛山議連と連動?
「全く重なるわけではないが、強い親和性がある。湛山の独立自尊、自主自立精神は今も生きる。世界が流動化、米国発の価値観も縮んで行く中、自分の頭で考え、自分の足で立ち、重心を低く構える、そういう体制にシフトすることだ」
自力でどう立つ?
「日米同盟一本足打法から『多国間主義』『多元的外交』へと大きく舵を切るべきだと考えている。日米関係が重要であることは否定しないが、米国が世界の警察官としての意思も能力も失い、自国主義の殻に閉じこもりそうになっている今、日米同盟一筋にただ米国と足並みを揃(そろ)えていればいいというわけにはいかない。日本は独自の外交を展開し、米国に対しても適時的確に助言できる関係を築くべきだ。そのために現行の日米安保、地位協定の見直しは不可避だと思う」
◇ ◇
カオスとは、ギリシャ神話で言う、万物発生以前の秩序なき状態のことだが、それは同時に、すべての事物を生みだすことのできる根源、でもある。裏金カオスの創造力にも要注目だ。
ふるかわ・よしひさ
1965年、宮崎県生まれ。衆院議員。法務大臣政務官、財務副大臣、法相などを歴任。裏金政局で茂木派を離脱した
いわや・たけし
1957年、大分県生まれ。衆院議員。防衛庁長官政務官、外務副大臣、防衛相などを歴任。裏金政局で麻生派を離脱した
くらしげ・あつろう
1953年、東京都生まれ。78年東京大教育学部卒、毎日新聞入社、水戸、青森支局、整理、政治、経済部を経て、2004年政治部長、11年論説委員長、13年専門編集委員
(サンデー毎日2024年3月3日号掲載)
図書館本 鎌倉図書館凄い。この本が蔵書で今もあることが。
石橋湛山の巻頭文書より 昭和33年8月 山中湖畔にて
このように2回落第の憂き目を見たおかげで、私は自分の一生を支配する影響を受けた大島正健校長にめぐりあった。何という幸運であろう。もし順調に五年で卒業していたらいうまでもなく御目にかかれなかったし、六年で卒業しても大島先生を逸したのである。だからなまけるのがよいというわけではないが、世の中は塞翁の馬で、如何なる偶然があるかわからという感を強く抱く。
個人主義は利己主義ではなく、一切の行為の規準を自覚に求める。これが個人主義の精髄である。これがクラーク先生の教育思想。
備忘録メモ
洋行帰りの高橋是清にディベートを習う 東京英語学校
クラーク博士は11人の子女をもうけられた
黒田長官とクラーク博士 学問だけを教えるのでなく、生徒たちを薫陶し北海道の拓殖に役立つ人材に。キリスト教に対する寛容 職員生徒に禁酒禁煙
クラーク先生の鉄則 Be gentleman.