村上春樹をめぐるメモらんだむ:村上春樹さんが表明 「神宮外苑の再開発には強く反対しています」 | 毎日新聞



誰のための開発? 利権だらけの業界




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またまた出ました。よくぞここまで――。といえば、昨今では米大リーグ・エンゼルスの大谷翔平選手のホームランを思う人が多いかもしれないが、これはラジオ番組「村上RADIO」での村上春樹さんの発言である。6月25日放送のタイトルは「再びアナログ・ナイト」。要するに、村上さん所蔵のアナログレコードコレクションから面白い曲を選んでかけるという「緩い」テーマの回だった。

 ファンはご存じのように、この番組、「セルフカバー」だの「クラシック音楽が元ネタ」だの、あるいは「村上作品に出てくる音楽」や「戦争をやめさせるための音楽」といった「攻めた」企画があるかと思うと、時には「在庫一掃」とか「落ち穂拾い」などと銘打ち、やや雑多なラインアップの「緩い」回もある。この夜も、初めに「猫の頭でもなでながら気楽に聴いてください」というコメントが振られ、すっかり油断していると、放送の半ばを過ぎたあたりで、東京・明治神宮外苑の再開発問題に関して次のような発言がなされた(引用は番組ウェブサイトによる。表記を一部改変)。

 「神宮外苑の再開発がいろいろと話題を呼んでいますね。僕はヤクルト・スワローズのファンなので、東京にいる時は神宮球場に歩いて行けるところにずっと住んでいます。昔はほとんど毎朝、外苑の周りをランニングしていました。あの周回コース、1キロメートルちょっとで、走るのにちょうどいいんです」

 そして若い頃、走っていて、よくすれ違ったという一人の女性ランナーの思い出を紹介した後、おもむろに続けた。

 「まあ、そういうこともあって、僕は神宮外苑の再開発には強く反対しています。緑あふれる気持ちの良いあの周回ジョギングコースを、そしてすてきな神宮球場を、どうかこのまま残してください。一度壊したものって、もう元には戻りませんから」
坂本龍一さんとの40年前の対談

 神宮球場と秩父宮ラグビー場を建て替え、高層ビルなども新たに建設するという神宮外苑の再開発計画は3月下旬に工事が始まったものの、大規模な樹木の伐採を伴うことなど、環境への影響を懸念する声が高まっている。「強く反対」と村上さんが異例の強い調子で述べたのは、長年のスワローズファンというだけでなく、3月に71歳で亡くなった音楽家の坂本龍一さんに対する思いもあるのではないかと感じる。環境問題にも熱心に取り組んだ坂本さんは神宮外苑の自然破壊を危惧し、計画の見直しを求めていた。


 二人の接点はかなり古く、少なくとも40年前の1983年にさかのぼる。雑誌「平凡パンチ」同年5月30日号に掲載された「創作作法対談」で、両者は息の合ったところを見せていた。坂本さんが出演し、音楽を手がけた映画「戦場のメリークリスマス」(大島渚監督)の公開時で、坂本さんはYMO結成から5年、3歳年長の村上さんもデビューから4年後。いずれも注目の若手音楽家であり、新進作家だった。特に若い世代の二人に対する支持は絶大で、大学生だった筆者も彼らが創作する世界の魅力にひき付けられた一人だ。二人の人気を示す指標を挙げると、翌84年から雑誌「朝日ジャーナル」が連載して話題を集めた筑紫哲也編集長(当時)によるインタビューシリーズ「若者たちの神々」で、浅田彰さん(著書「構造と力」が大ベストセラー)、糸井重里さん(コピーライター)らに続いて村上さんは第7回、坂本さんが第8回に登場している。

 対談は「戦場のメリークリスマス」について、村上さんが「不思議なおもしろさがあったね」と感想を述べるところから始まる。大島映画の面白さは「ハッタリでつなぎあわせてゆくデタラメさにある」が、「そのハッタリがね、ますます見えてきたっていう感じがあって、ぼくは好きだったな」と。坂本さんは「それは当たってるかもしれない」、「キャスティングがまずデタラメでしょ」などと応じている。

 坂本さんが作曲した同映画の音楽に関しても、村上さんが「おもしろかった。テーマ曲が『新日本紀行』みたいで」とユニークに評したのに対し、坂本さんは「『新日本紀行』って好きなんだ」と答え、意気投合していた(ちなみに「新日本紀行」は63年から82年まで続いたNHKの長寿番組で、テーマ音楽は冨田勲の作曲)。気鋭の創作者として互いの才能を認め合い、敬意を持つ様子が伝わってくる。

 その雰囲気は世紀をまたいで持続したようである。今も「村上RADIO」でアシスタントや関連イベントの司会などを、坂本さんの娘でミュージシャンの美雨さんが務めているのは周知の事実だろう。当の発言があった放送の前半では、知られざるフォーク歌手、林ヒロシさんの曲「片道切符」をかけたが、この曲を含むアルバムのピアノ演奏とアレンジに若き日の坂本さんが参加していたという秘話も明かされた。林さんは本名・小林政広、やはり村上さんより年少の古い知人で、後に映画監督として活躍し、22年に68歳で病没した。
人間の「こころの古層」描く

 さて、今回は臨床心理学者の河合俊雄さんが今年3月に刊行した著書「夢とこころの古層」(創元社)を取り上げたい。長年、村上文学を深く読み込んできた人で、「村上春樹の『物語』」(11年)という本も出している。同じく臨床心理学者で文化庁長官も務めた河合隼雄(1928〜2007年)の長男でもある。村上さんと河合隼雄の間に親交があったのはよく知られているが、ここでは河合俊雄さんの新著について書く。

 といっても、本全体は心理療法において重要な夢――人間が睡眠時に見る夢――の問題、とりわけ、その「象徴性を超える」「直接性の次元」を扱っている。ユング派分析家である著者自身のものなど、セラピーの現場で得られた具体的な事例が多数紹介され、興味をかき立てられるが、ここでは村上作品に言及した部分に限定して見ていこう。

 最初の章で、トラウマの後に見る夢に「自己調節機能や自己治癒の働きがある」例として、村上さんが地下鉄サリン事件の被害者にインタビューしたノンフィクション作品『アンダーグラウンド』(97年)が参照されている。被害者らが「インタビューに答えるなかで夢の自発的な報告」をしているからで、そこには「典型的なトラウマに関する夢が含まれている」という。

 中には、通勤中に事件に遭った後、「口にスプーンをくわえていた駅員さん」の姿が夢に出てきたという女性の話のように、「ショッキングな出来事を体験すると、体験したことがそのまま夢に出てきてしまう」「フラッシュバックの現象」もある。この夢の場面は、「舌を喉の奥に呑(の)み込まないように、サリンガスを吸って気を失っている駅員さんの口に誰かがスプーンを入れてあげたもので、彼女が実際に見た光景とまったく同じ」だった。

 一方、外国人騎手の男性の場合、事件後、同じ夢を必ず見るようになった。「誰かがやってきて、大きなハンマーで僕の頭をがつんと叩(たた)く」という「トラウマによる一種の反復夢」である。しかも、最初は「すごく硬くて、痛かった」ハンマーが、日がたつにつれて「だんだん柔らかくなって」いき、「最後の頃には、叩かれても、まるで枕で打たれたような感じしかなくなっていた」。これはフラッシュバックではなく、「ショックがハンマーで頭を叩かれるというイメージに置き換えられたり、言わば象徴化されたり」しており、しかもショックが「次第にこころにおさまっていく様子が、見事に夢に示されている」。この例は後の章でも、夢の「自然治癒的な機能」などを重視する「精神分析における新しい夢理論」、あるいは夢の象徴性を重視するユング派の理論との関連で論じられる。

 興味深いのは、象徴性やメタファー(隠喩)的な意味を解釈するのではなく、「夢の内容と現実での結果が強く直接に関連」する「夢の直接性」を論じる文脈で、村上作品を例に挙げていることだ。一つは、著者も言及するように、文芸評論家の加藤典洋が村上作品の特徴をメタファーではなく、メトニミー(換喩)に見たことに表れている。

 つまり、「メタファーは(中略)象徴によって理解できるが、メトニミーはただ何かのイメージに置き換えられているだけで(例えば、小説「海辺のカフカ」=02年=に登場する「カーネル・サンダーズ」や「ジョニー・ウォーカー」)、極端な場合には意味のつながりがない」。これに続けて著者は、「象徴解釈が通用しないことが、村上春樹の作品を難解と思う人が多く存在し、またいわゆる心理学的解釈が不毛なことの一つの理由である」と指摘している。

 さらに、村上作品には「単なる象徴の欠如した直接性だけではなくて、象徴を超越したリアリティを描いている場合がある」として、小説「ねじまき鳥クロニクル」(94、95年)や「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」(13年)を例に議論を展開する。「ねじまき鳥クロニクル」については、心理療法の過程でクライアントの見る夢が「外の現実に転換していく」例とも重ねつつ論じられる。同作では、妻が失踪した後で主人公は近所にある水のかれた井戸に降り、「その中にいるときに夢のような状態で『壁抜け』」をして、あるホテルの一室に至るという奇妙な事態が起きる。また、主人公は井戸の底での「夢のような」体験の中で男をバットで殴るのだが、すると、妻の失踪にも関係する「悪を具現しているような」人物が「現実に病気で倒れる」。

 夢の直接性について著者は、「古代ギリシャの聖地において治療夢を見ると実際に病気が治った」例など多くの文献を参照しつつ、古代社会では「夢と現実が同じだけのリアリティを有していた」こと、「個人を超えた共同体の運命に夢が直結していた」ことを示している。確かに、そうした人間の「こころの古層」に関わる物語を描き出したことが、村上文学が読者に与える独特なリアリティーの理由かもしれない。一見、小説らしい奇想天外な話にすぎないようでいて、村上作品において夢(のようなもの)と現実が違和感なく直接絡み合い、先へ先へと読者をいざなうのは、現代人が無意識のうちに抱え続ける心のありように触れるからだろうか。