土記:支配した側の重い石=伊藤智永 | 毎日新聞






 徴用工問題で悪化した日韓関係が修復へ向けて動き出す。東アジア情勢を考えれば、もはや解決は両国の政治的使命である。

 ここまでこじれたいきさつは、両国民双方の心の壁がなお厚く高いことを考えさせずにおかない。韓国はゆるす苦しみと葛藤している。壁を越えるには、向き合う側にも植民地を支配した経験の重い石をのみ込む覚悟が求められる。

 先週紹介した経済ジャーナリストの石橋湛山(たんざん)には、その点でも腹の据わった先見性があった。

 韓国併合から8年半。1919年3月1日、朝鮮で日本帝国主義支配に反対する学生や民衆の抵抗運動が起きた。京城(現ソウル)で独立宣言を読み上げ、数千人が「朝鮮独立万歳」と叫ぶ。朝鮮総督府が軍隊と警察で弾圧したが、運動は全土に広がり、5月までに膨大な死傷・検挙者が出た。

 5月15日、湛山は経済雑誌「東洋経済新報」社説に「鮮人(原文のママ)暴動に対する理解」を書く。今風に直せば「反日運動にも理はある」となろうか。もう頭に血の上る読者はいるだろう。

 湛山の視線はまっすぐ核心へ向かう。鎮定は表面だけ圧伏したにすぎず、何の解決にもならない。日本でも前年、各地に米騒動が起きた例を引き、根本のカギは「暴動をいかに理解すべきかにある」と説く。「いかなる民族といえども他民族の属国たることを愉快とする事実はない。いかなる善政に浴しても、彼らは独立自治を得るまで断じて抵抗をやめない」

 日本国内では「万歳事件」と呼び、独立運動とは報じられず、朝鮮人たちが暴れたという風聞だけが残った。そこへ4年後、関東大震災が発生。軍や警察、戦争帰還兵の在郷軍人を中心に自警団を名乗る日本人民衆が、在日朝鮮人、たまたま上京していた方言を話す日本人、中国人らを数千人(内閣府の中央防災会議専門調査会報告書)も虐殺する悪夢となる。

 不安があるから「自警」する。おびえているから朝鮮人が襲ってくるというウソを信じ込む。

 湛山は同誌「小評論」で国際的不名誉を嘆き、「血と涙とを以(もっ)て罪をつぐなわなければならぬ」と書いたが、惨劇の全貌真相は戦後まで長く不問に付された。今年は関東大震災100年。

 ウクライナ戦争を巡る国連総会のロシア非難決議に、アフリカの多くの国は賛成していない。欧米では奴隷制度に起因する黒人差別抗議運動が起き、欧州各国は今、旧植民地から奪った文化財を競うように返還している。支配の清算は、現在進行中の時に命も左右する現実である。(専門編集委員)