自然への挑戦、やめるべき 文化人類学者・楊海英氏(静大教授)|静岡新聞アットエス


調査報道も素晴らしいが、この様な専門家の論考をしっかり載せるのも素晴らしい。

以下記事



新型コロナウイルス感染の嵐が世界で吹き荒れる中、サクラエビの不漁に揺れる駿河湾と、20世紀最大の環境破壊とも言われ旧ソ連時代の自然改造計画で10分の1まで干上がったアラル海(カザフスタン・ウズベキスタン国境)を対比し、自然への挑戦をそろそろやめるべきだと警鐘を鳴らす研究者がいる。中国内モンゴル自治区出身の文化人類学者で、静岡大人文社会科学部教授の楊海英(ヤン・ハイイン)氏。社会主義と資本主義の両世界を見渡しながら、環境破壊と感染症を語る。

 環境問題は、特定の海や湖、どこかの工場の煙や汚染水など個別の問題を想像しがちだが、世界的広がりがある。グローバリゼーションといえば、普通はヒト、モノ、カネの自由な移動を思い浮かべるが、同時に負の要素もグローバル化されている。環境問題だけでなく、感染症拡大も自然への挑戦、人間の欲望という同根から生じているのではないか。
 グローバル化前の世界であれば、新型コロナも武漢周辺で自生自滅して「南中国で妙な肺炎が流行して多くの人が亡くなった」と緩やかに情報が世界へ伝わる程度だったはず。だが、今や感染拡大はあっという間だ。皮肉にも中国が進める「一帯一路構想」に沿うように、熱心だったイタリアやスペインで真っ先に感染が広がった。
 過去に同じようなことがあった。14世紀末から15世紀前半に掛けて欧州でまん延した黒死病だ。黒海沿岸で発生したペストだと言われる。13世紀に朝鮮半島から東ヨーロッパまで征服したモンゴル帝国が世界最初のグローバリゼーションを実現した約100年後。交通網が敷かれ同じシステムでヒト、モノ、カネが自由に流通、そして疫病も急拡大した。
 文明の繁栄後は、負の連鎖が来るとよく言われるが、エボラ出血熱やSARSなど、現代に掛けて感染症の流行ペースが速まっていることを指摘したい。
 新型コロナウイルスはコウモリが起源になった可能性が指摘されているが、背景には動物への一種のアビューズ(英abuse=不当に扱うこと。虐待の意も)があるのではないだろうか。コウモリは漢字で「蝙蝠」と書く。「福を遍(あまねく)」という縁起の良い意味に掛けた信仰から、中国の一部地域では、珍味としてスープにして食べる。いまや豊かな中国で食べ物が不足する訳ではないのに、わざわざ食べる。
 モンゴルではヒツジを20キロ、30キロに育ててから食べるが、フランスでは子ヒツジを食べる。これでは資源の再生産にならない。一部では、胎内にいる子ヒツジが珍味中の珍味とされる。何が珍味とされるかは豊かさによって変わる。これが人の欲望だ。人間とはなんと罪深いのだろうか。
 サクラエビを食べなくても死にはしない。支えてきたのは消費者の欲望と資本主義ではないか。学生と数年前から由比などで調査している。外国人目線で率直に言えば、日本人がなぜ、ひげが長くて調理上の扱いも難しいサクラエビを好んで食べるのか不思議だ。由比でも、大昔から取っていたわけではない。
 船のエンジンが強くなり燃料が安くなり、冷凍技術が進歩して、新鮮なまま東京に出荷できるようになったから特産になった。マルクス流に言う、資本主義の利潤追求にほかならない。いつからこれほどサクラエビを食べ始めたのか、地元の人いわく、高度経済成長が終わり日本人が豊かになってからだと。よりよい生活を求め、ゆがんだ形で海の開発とブランド化が進んだ。
 実際、駿河湾と並びサクラエビが取れる台湾では当初、食感覚に合わず、見向きもされなかったが、日本人が食べるのを見てカネになると分かった途端、欲望の対象になった。人間の食欲は、種を食い尽くしてしまう。
 私が調査で訪れているアラル海は、かつて琵琶湖の100倍、世界第4位の大きさを誇ったが、旧ソ連時代の綿花栽培のダム開発で干上がり、湖沼面積の9割を失った。根本にあったのは、自然への挑戦、自然の征服だ。
 ソ連は「社会主義は何でも勝つんだ」「人類は自然に勝つ」と言った。「砂漠を緑に」のスローガンでかんがい開発を進めた。ユーラシアは乾燥した大草原、砂漠。近代まで諸民族には「水を汚した人間はその場で殺してしまえ」という暗黙のルールがあったほど、水そのものが財産だった。無理な開発で巨大なオアシスを失った。
 人類ほど学ばず、歴史を繰り返してきた動物はいないかもしれない。動物は普通、危険な場所には二度と近づこうとしない。だが、ホモサピエンスは危険を承知で繰り返す。対策を考えて先に進もうとする。黒海沿岸でペストが流行した時も大移動をやめなかった。
 大井川の水をいくらか戻すことで人類未到達の地下のトンネル掘削に納得を得ようとしているリニア中央新幹線の静岡工区問題もまさにそれだ。本当に大丈夫だろうか。ここ数年、猛威を振るう台風や河川氾濫、疫病の流行なども全て自然への挑戦からきているのではないか。コロナ禍にあるいま、自然に謙虚になり、無謀な行いはそろそろやめるべきだと強く呼び掛けたい。
 人類全体がいま、パンデミックという先の見えない苦悩の中に置かれている。人が欲望を制御することは難しいが、それでも一人一人が努力しなければならない。解決できなくても、耐えることを学ばなければいけない。人類は、矛盾の塊だ。

 ■楊海英(ヤン・ハイイン) 1964年生まれ。北京第二外国語学院大卒。89年来日。国立民族学博物館などを経て、99年静岡大人文学部助教授、2006年教授。中国共産党による文化大革命の粛清の中、内モンゴルで幼少期を過ごした。「墓標なき草原−内モンゴルにおける文化大革命・虐殺の記録(上下巻)」(09年、岩波書店)で第14回司馬遼太郎賞。ニューズウィーク誌コラムニスト。日本名は大野旭。