南京の日本人 - FNSドキュメンタリー大賞
良い番組でした。深夜でしか流せないのが残念です。
未だに南京事件(虐殺)は無かったと平気で語る歴史修正主義者が居る事が日中友好にも
影を落としている。
もちろん、僕は現場を見た訳でもないが、歴史学者や清水潔さんのレポートなどを拝見すれば
事件があった事を明らかだろう。日本軍兵士も証言している。
TVでの検証番組もありましたね。
BSフジ
019/04/08
BSフジ 【第27回FNSドキュメンタリー大賞】
石川テレビドキュメンタリー・南京の日本人
中国江蘇省・南京市に移住し、インターネット番組「私がここに住む理由(我住在這里的理由)」を作り続けている日本人ディレクター・竹内亮に密着した。
1978年10月23日、日中は平和友好条約を締結し、錆びついていた歴史の歯車が再び動き出した。
竹内はまさにこの日、千葉県で生まれた。
映画好きが高じて日本の映画制作会社に就職。
2010年、中国・長江が舞台の番組を制作。
アジア各国での取材を重ねる内、激しく変動する中国に惹かれ、妻の故郷・南京への移住を決意。
南京から情報を発信する珍しい日本人だと、中国メディアにも注目されている。
中国を理解しようという竹内を、番組ファンは親しみを込めて「假日本人(ニセ日本人)」と呼ぶようになった。
箭厂視頻(インターネットメディア)・郭容非ディレクターのコメント。
日中平和友好条約批准書交換式の映像。
ナレーター:秋元才加。
以下HPより
日中戦争さなかの歴史認識をめぐり、中国・南京市には、今も日中関係のわだかまりが残っています。そんな南京の地に移住し、インターネット番組を発信し続ける日本人男性がいます。日中両国をありのまま紹介する番組は中国で人気を博し、日本に対する中国人の意識を変えつつあります。避けては通れない歴史問題と向き合いながら、一人の“南京の日本人”は何を思い、何を表現しているのでしょうか。日中関係の今を見つめ、これからを考えます。
中国の古都・南京市で、中国向けのインターネット番組を作り続けている日本人がいます。千葉県出身の竹内亮さん(39)は1978年、日中平和友好条約発効の日に誕生。元々日本のテレビディレクターとして活躍していましたが、アジア各国を取材するうち、変化の激しい中国にひかれて移住を決意。2012年、妻・趙萍(ちょうへい)さんの実家がある南京へ渡り、翌年、インターネット番組の制作会社を立ち上げました。看板番組の『私がここに住む理由』は、中国に住む日本人、または日本に住む中国人を主人公とする人気コンテンツ。累計再生回数は配信開始から2年余りで3億回を超えました。
妻と二人三脚で仕事に励みながら、2児の父として不自由ない生活を送る竹内さん。しかし南京という地で暮らす以上、避けては通れない道を歩んでいました。1937年のいわゆる“南京事件”。日中戦争さなかの歴史をめぐり、両国の議論は80年経った今も平行線をたどったまま。南京市内には史実を伝える施設(通称:南京大虐殺紀念館)が建ちますが、展示資料の中には真偽に争いがあるものもあります。“南京の日本人”として竹内さんは多くの中国メディアから取材を受けましたが、答えの出ない歴史について何を口にすべきか、迷いを抱いていました。
歴史問題に領土問題、さらには文化や習慣の違い。日中両国の関係は浮き沈みがあり、決して良いとはいえない状態が続いています。竹内さんの両親、そして妻・趙さんの両親でさえも、当初二人の結婚に抵抗がありました。そんな状況を肌で感じながら、竹内さんは南京で暮らし、日本と中国の“いま”をありのまま伝え続けました。その活動は日本に対する中国人の理解を深め、竹内さんの存在は“両国の架け橋”と呼ばれるまでになりました。
「南京の日本人」を通して見えてくる日中関係のいまを日本人に投げかけ、ともにこれからを考える。番組では2017年12月に大規模改装を終えた南京大虐殺紀念館(通称)の内部を取材。また12月13日の国家哀悼日(旧日本軍が南京を占領した日)に撮影した、南京市内の様子も収録しています。両国の現状を脚色しないよう音効は最小限とし、ナレーションも極力客観的な表現にとどめています。