反戦貫き出陣、戦没…東大生手記を文化財指定へ 甲州市、全国初 - 毎日新聞



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反戦貫き出陣、戦没…東大生手記を文化財指定へ 甲州市、全国初

毎日新聞2019年3月4日 18時00分(最終更新 3月4日 18時13分)


 反戦を貫きながら学徒出陣し、フィリピン沖で戦死した東大生・中村徳郎(とくろう)氏(1918〜44年)の日記や手紙の資料47点について、ゆかりのある山梨県甲州市の市教育委員会が文化財指定の手続きを進めている。条例に基づき、3月中に開く市文化財審議会で正式決定される見通し。文化庁によると、太平洋戦争に焦点を当てた資料の指定は全国初とみられる。

 指定されればきちんとした保存が定められ、未公開だった資料が公開される。戦没学徒の思想や時代背景の研究に貢献しそうだ。

 資料は、中村氏が家族に宛てた手紙や長年つづった日記で、一部は遺稿集「きけ わだつみのこえ 日本戦没学生の手記」や、わだつみ会編の書籍「天皇陛下の為(ため)のためなり」に収録されている。学校で義務づけられていた軍事教練を拒否するなど、反戦の言動がうかがえるが、大半は未公開だった。

 上官の目を盗み、戦争に納得できない心情を兵営で赤裸々に表現した日記は、面会に来た弟の克郎(かつろう)氏(25〜2012年)にこっそり託したもの。また、中村氏が国内有数の登山家として名をはせた旧制一高山岳部時代のノートや写真もある。

 中村氏は、研究対象とされてきた戦没学徒の一人で、岡田裕之・法政大名誉教授は「編集者が切り取った部分ではなく、資料の全体像が見られれば心情に深く迫れる」と期待する。保坂一仁(かずひと)市教育長は「ありのままの資料がないと、歴史が変わって伝わる恐れがある。文化財指定により、記録を正しく残せる」と話す。県や国指定の文化財指定も目指すという。

 甲州市(旧塩山町)は、弟の克郎氏の疎開先で、戦後は産婦人科医として開業。兄の無念な気持ちをくみ、49年に出版した「きけ わだつみのこえ」編集の中心人物でもあり、兄の資料を保管していた。現在は同市が管理し、一部が08年に開館した市の「わだつみ平和文庫」に展示されている。

 文化庁の高梨真行(まさゆき)・文化財調査官は「戦争関連の資料の文化財指定を戦争賛美と誤解される懸念もあるが、それでも条例に基づいて厳重に保存される価値がある。戦争体験を語れる人が減り、文書による記録は歴史的価値が高まっている」と話す。【荒木涼子】
「きけ わだつみのこえ」に収録された中村徳郎氏の主な記述

1943年2月20日 学問が時世をリードするというのでなくてはならない。現在では学問が時世にリードされている。

4月29日 夕暮れの武蔵野を戦車で西へ。夕げのみそ汁の香がする。かすかに嗅ぎあてた時の嬉(うれ)しさ。

5月15日 不敗国であるとて、誇りに思って済ましていられるだろうか。うぬぼれた国で興隆した国はない。

1944年3月5日 戦いの最中にも平静でありたい。真理への思慕を喪(うしな)って国家の隆昌はない。

3月12日 日本がどういう風になっても、私たちはこれを背負って立つべく運命付けられている。

6月5日 父上、母上に。長い間あらゆる苦難と戦って私をこれまでに育んで下さったご恩は忘れません。私は何も恩返しをしませんでした。不孝をお許し下さい。慚愧(ざんき)に堪えません。






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中村徳郎
昭和19年6月20日午前8時

父上母上様。弟へ。
門司市大里御幸町 辰美旅館        徳郎

何もかも突然で、しかも一切がほんの些細な運命の皮肉からこういうことになりました。しかし別に驚いておりません。克郎(弟)に一時間なりとも会うことが出来たのはせめてもでした。実際は既にその前日にいなくなっているはずでした。そうしたら誰にも会えなかったのです。
中略
最も伴侶にしたかった本を手元に持っていなかったのは残念ですが致し方ありません。それでも幾冊かを携えてきました。
中略
今の自分は心中必ずしも落ち着きを得ません。一切が納得が行かず肯定が出来ないからです。いやしくも一個の、しかもある人格をもった「人間」が、その意思も意志も行為も一切が無視されて、尊重されることなく、ある一個のわけもかわらない他人のちょっとした脳細胞の気まぐれな働きの函数となって左右されることほど無意味なことがあるでしょうか。自分はどんな所へ行っても将棋の駒のようにはなりたくないと思います。
 ともかく早く教室へ還って本来の使命に邁進したい念切なるものがあります。こうやっていると、じりじりと刻みに奪われてゆく青春を限りなく惜しい気がしてなりません。自分がこれからしようとしていた仕事は、日本人の中にはもちろんやろうという者が一人もいないと言ってよいくらいの仕事なのです。しかも条件に恵まれている点において世界中にもうざらにないくらいじゃないかと思っています。自分はもちろん日本の国威を輝かすのが目的でやるのではありませんけれども、しかしその結果として、戦いに勝って島を占領したり、都市を占領したりするよりもどれほど眞に国威を輝かすことになるか計りしれないものがあることを信じています。
 自分をこう進ましめたのは、いうまでもなく辻村先生の存在が与って力ありますが、モリス氏の存在を除くことが出来ません。氏は自分に、真に人間たるものが、人類たるものが何を為すべきかということを教えてくれました。また学問たるものの何者たるかを教えてくれたような気がします。私はある夜、西蔵(チベット)の壁画を掛けた一室で、西蔵の銀の匙で紅茶をかきまわしながら、氏が私に語った"Devote yourself to Science."という言葉を忘れることが出来ません。

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