「山賊」に出会い開いた登山道 北アルプスの人間交差点:朝日新聞デジタル


僕は登山はしないけど、源流には興味があり、黒部の本なんかは読んでいたし、伊藤さんの本ももちろん読んでいたので興味深い
冠松次郎が歩いた黒部、多くの職漁師、猟師が生きたアルプス。


以下記事


 北アルプス最奥部にある黒部の秘境に魅せられ、戦後すぐに山小屋経営に乗り出した故・伊藤正一さん。私財を投じて、登山口から山小屋まで1日で行ける最短ルート「伊藤新道」を切り開きました。「山賊」と恐れられていた猟師との出会いからヒントを得た登山道の物語です。

     ◇

 何という巨木だ! 大学時代から約40年間、登山を続けているが、これほど巨大なダケカンバは初めて見た。標高約2300メートルの登山道脇。目測で直径は1メートルを超える。高さは20メートル以上だろうか? 幹が途中で三つに分かれ、幹の一つは大きなこぶがある。樹木なのに何かを語りかけてくるような存在感があった。

 ガイド役で同行した三俣(みつまた)山荘2代目経営者の伊藤圭さん(40)が、巨木について教えてくれた。「樹齢は数百年でしょうか。俺が勝手に『ご神木』と名付けました。『いつも、安全に歩かせていただき、ありがとうございます』。感謝しながら、横を通っています」

 9月中旬、長野県大町市と北アルプス最奥の山小屋、三俣山荘を結ぶ登山道「伊藤新道」の上部を歩いた。

 標高約2500メートルの高山帯の稜線(りょうせん)から、約2100メートルの亜高山帯の展望台まで緩やかな傾斜で約2時間のルート。亜高山帯に入ると、豊かな森が迎えてくれた。森の入り口には、太いダケカンバが門番のような風格で何本も生えていた。シラビソやコメツガなど針葉樹の「緑のトンネル」から木漏れ日が差す。

 ゴールの展望台。8月下旬に、圭さんが倒木のシラビソで作った標識が立っていた。登山道の上部で数少ない展望が開ける場所。赤茶けた硫黄尾根の向こうに、天をつくような北アルプスの名峰、槍ケ岳が望めた。三俣山荘でもらった弁当を食べながら、圭さんと話が弾んだ。「25年前は、展望台の下は木が生えないガレ場だったのが、今やカラマツの若木が茂り始めている。森の再生力を感じます」

 ログイン前の続き伊藤新道は北アルプス最奥の秘境、黒部源流域への最短ルートの登山道だった。道を開いたのは、三俣山荘の初代経営者で、昨年93歳で亡くなった圭さんの父・正一さん。1956(昭和31)年、7年間の調査を経て私財約200万円(当時)を投じて完成させた。通常はがきが5円(現62円)の時代だった。

 三俣山荘など黒部源流の山小屋は、今でも各登山口から2日以上かかる奥地にある。

 「三俣山荘へ1日で行ける登山道をつくりたい」。大町市の湯俣温泉から、湯俣川沿いの下部ルートには5カ所、つり橋を架けた。標高の高い上部ルートは緩い斜面を切り開いて、山荘の立つ稜線へとつなげた。

 長野県松本市出身の正一さんは物理学者を志し、戦前、旧陸軍の研究所でターボプロップエンジンの開発に携わった。ところが、敗戦で研究は中止。新天地を求め、かつて訪れた黒部源流の自然に魅せられ、三俣蓮華(れんげ)小屋(現三俣山荘)の権利を買い取り、山小屋経営に乗り出した。

 だが、世間では「小屋が山賊に占拠され、登山者たちを脅している」とのうわさが立っていた。決死の覚悟で、2人の友人を連れて小屋に行った。そこにいたのは山賊ではなく、小屋を根城にして黒部源流でクマやカモシカを追い、イワナを釣って生計を立てていた猟師たちだった。

 これを機に、猟師たちと親交を深め、荒れ果てた小屋の再建や登山道整備などを手伝ってもらった。猟師はカモシカの毛皮で作った衣類で身を固め、冬場も北アルプスで猟をするサバイバルのプロ。「山賊」たちの協力なしでは北アルプス最奥の山小屋運営は難しかった。

■「物の怪」の秘境を開く

 東京育ちの圭さんは、子どものころから夏山シーズンは両親と弟の二朗さん(36)とともに三俣山荘で過ごした。

 山荘周辺はハイマツが茂り、色とりどりの高山植物が咲き乱れ、愛らしいライチョウの親子が姿を見せる。こんな別天地が、少年時代の夏の遊び場だった。

 24歳から山小屋の仕事を手伝い始め、いま、三俣山荘と近くの水晶小屋を経営する。二朗さんは、黒部川の源流を挟んだ雲ノ平山荘を運営。三つの山小屋周辺は豊かな原生林が茂り、手つかずの自然が残る。

 「北アルプスでも三俣山荘は、多くの山小屋と違って街の灯(あか)りが全く見えません」と圭さん。槍(やり)・穂高や立山などの3千メートル級の高峰が「壁」となる黒部源流は、人里から隔絶された世界なのだ。

 さまざまな登山道が目前で交わる三俣山荘は「北アルプスの交差点」ともいわれる。それは、人生の交差点でもある。

 8月下旬、東京都東村山市の高林龍さん(64)、シノブさん(62)夫妻は、40年ぶりに三俣山荘を訪れた。前回、龍さんは山荘の玄関で鷲羽岳(わしばだけ)をバックにシノブさんの写真を撮った。今回の目的は同じアングルでの撮影。「前に来た時、60代の夫婦が連泊して山を楽しんでいた。『将来、自分たちもあんな夫婦になりたいね』と話した」

 2日目の午後。悪天から、やっと雲が切れ、鷲羽岳が姿を見せて撮影は成功。40年前との違いは、公衆電話の看板がなかったこと。看板は山荘の受付に飾られており、いまは衛星電話に代わっていた。

 この夏、山荘でアルバイト勤務した静岡県湖西市の穴井真伊子さん(31)は「山荘の風景が人生を変えた」という。

 高校卒業後、地元で自動車関連の工場に就職した。来る日も来る日も、単調な仕事。5年前、屋久島に行き、登山に魅せられた。一昨年秋、単独で雲ノ平を目指した。強風のなか、黒部川の源流を渡り、雲ノ平への登山道で振り返ると、水平な稜線に立つ赤い屋根の山荘のかなたに槍ケ岳が見えた。「こんな光景は知らなかった。悩みが吹き飛んだ」。下山後、迷うことなく12年間勤めた工場を辞めた。

 三俣山荘初代経営者の正一さんは、猟師たちと伊藤新道を開いた。山の猛者さえ、タヌキが人を化かし、黒部川の源流に河童(かっぱ)がいたと語る「物の怪(け)」の暗躍する秘境を、一般登山者に開放したのだ。

 現在の黒部源流は、山ガールら大勢の登山者でにぎわう。圭さんは、「親父(おやじ)は山小屋や登山道などの舞台設定をしてくれた。俺たちの役目は、黒部源流の原始の自然を守り、多くの登山者たちに伝えることだと思う」と話す。

 実は、伊藤新道の下部ルートは谷筋の崩落が激しくなって五つのつり橋が壊れ、83年から一般登山者が安全に通行できなくなった。圭さんは、黒部源流の開拓を支えた新道の全線復旧も目標に掲げる。

 伊藤新道が復活すれば、主要登山道とつながる魅力的な周回コースができる。沢を登り、深い森を満喫し、眺望の広がる稜線を歩く……。登山口には北アルプスの自然を解説するビジターセンターをつくりたい。「山岳関係者だけでなく学者や自治体などの協力も得たい。伊藤新道の復活は俺たちの挑戦でもある」

 取材中、雲ノ平へ行き、夕暮れ間近に黒部川の源流を渡り三俣山荘への登り道にさしかかるときだった。森の中に人のような白い物が見えた。

 疲れとあせりからなのか、白い着物を着た、長い黒髪の女性が空中に浮かんでいるように見えた。山荘でデジカメの画像を拡大すると、謎の物体は枯れた木の幹だった。

 そういえば、生前、正一さんから「黒部源流域の淵(ふち)でカワウソを見た」と聞いた。近くの山小屋の主人からも黒部源流での目撃例を聞く。

 もしかしたら、物の怪たちは、いまも健在なのではないか。次は、絶滅したとされるニホンカワウソを探しに、黒部源流を訪ねようと思う。(近藤幸夫)

■今回の道

 1946年、伊藤正一さんが猟師に教えられた三俣蓮華小屋(当時)から湯俣川沿いのルートを初めて下り、登山道開設のヒントを得た。

 現在、沢沿いの下部ルートは、5カ所あったつり橋がなく、沢登りの経験者かガイドの同行が必要。沢の水量によるが、20回以上、川を渡らなければならないことがある。

 尾根からの上部ルートは、伊藤圭さんが毎年、草刈りなどの整備をしており、一般登山者も通行は可能。「かぶり岩」、「庭園」、「ご神木」、「展望台」などと名付けたポイントがある。

 秋は紅葉が見事で、展望台からの槍ケ岳の眺めは絶景の一つ。

 圭さんは「伊藤新道は、登山口から稜線まで沢や原生林などを通る。北アルプスの中でも変化に富んだ登山道。整備された上部のルートは、多くの登山者に歩いてもらいたい」と話す。

■おすすめ登山ルート

 三俣山荘の周辺は、中高年登山者らに人気の日本百名山のうち鷲羽岳(2924メートル)、水晶岳(2986メートル)、黒部五郎岳(2840メートル)の3座が間近にそびえる。最も近い鷲羽岳は三俣山荘に荷物を置いて、稜線をたどる往復約2時間の至近コースだ。

 また、三俣山荘から黒部川の源流まで下って祖父岳の斜面を登りかえすと、北アルプスの別天地と言われる雲ノ平に着く。周辺は、伊藤正一さんが「スイス庭園」「ギリシャ庭園」などと名付けた高層湿原が目を楽しませてくれる。

 また、三俣山荘へのルートで登山者が多い岐阜県の新穂高温泉から双六(すごろく)小屋を結ぶ小池新道からは、槍・穂高連峰の絶景が目を引く。夏山シーズン、稜線では、国の特別天然記念物・ライチョウの親子連れが愛らしい姿を見せてくれた。

 小池新道登山口の新穂高温泉には、新穂高ロープウェイがあり、西穂高岳への登山ルートをつないでいる。

■「黒部」を本で読むなら

 三俣山荘の初代経営者の伊藤正一さんが戦後の混乱期、「山賊」と呼ばれた猟師たちとの交流を描いた山岳名著『黒部の山賊』が2014年春に復刊された。

 『定本 黒部の山賊 アルプスの怪』で、山の怪談話や、クマやウサギなど山の動物たちの不思議な生態を炉端話のような語り口で紹介している。

 正一さんの初の写真集『源流の記憶「黒部の山賊」と開拓時代』では、山小屋運営を始めた初期のモノクロ写真のほか、黒部川源流の山並みの風景をとらえたカラー写真など、資料価値の高い作品が掲載されている。

 黒部の「山賊」の一人で、故鬼窪(おにくぼ)善一郎さんの語りを収録した『新編 黒部の山人 山賊鬼サとケモノたち』は、正一さんの著書の続編として読むと黒部源流の魅力が伝わる。いずれも出版社は「山と渓谷社」。





オリジナルの白日社《聞き書きシリーズ》がお勧め。

『イワナ・ 続源流の職漁者』白日社(鬼窪善一郎・平野与作 述 )
『イワナ・ 黒部最後の職漁者』白日社 (曽根原文平 述)
『黒部の山人 北アルプスの猛者猟師山賊鬼サとケモノたち』白日社(鬼窪善一郎 述 )

平の小屋物語―黒部の自然とイワナよ永遠に 秘境黒部の職漁師・3代記 今西 資博

釣り師 遠山品右衛門 甲山五一
黒部の弥三太郎―立山ガイドと釣り師の物語 甲山五一

黒部渓谷 冠松次郎
渓 冠松次郎

アルプスの主嘉門次 佐藤, 貢