図書館本
日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか(2014)の矢部さん(1960- 以前博報堂)の本。
現天皇陛下のこれまでのご発言等から見えてくる歴史。
軍部に利用されたともされる昭和天皇の姿を見て来た明仁天皇である。
沖縄慰問、水俣慰問、戦争被災地への訪問と祈り。福島原発震災者へのメッセージ。
天皇という権威をかかげて、国民に法的根拠のない義務を強制することは絶対にしないという態度。
備忘録メモ
東京裁判A級戦犯起訴日 昭和21年4月29日( 昭和天皇誕生日)
A級戦犯処刑日昭和23年12月23日( 明仁天皇誕生日 15歳)
1992年中国訪問 「この両国の関係の永きにわたる歴史において、我が国が中国国民に対し多大の苦難を与えた不幸な一時期がありました。これは私の深く悲しみとするところであります」
68才誕生日会見
「私自信としては、桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると「続日本紀」に記されていることに韓国とのゆかりを感じています」平成13年(2001年12月18日)
平成27年1月1日「昨年は大雪や大雨,さらに御嶽山の噴火による災害で多くの人命が失われ,家族や住む家をなくした人々の気持ちを察しています。
また,東日本大震災からは4度目の冬になり,放射能汚染により,かつて住んだ土地に戻れずにいる人々や仮設住宅で厳しい冬を過ごす人々もいまだ多いことも案じられます。昨今の状況を思う時,それぞれの地域で人々が防災に関心を寄せ,地域を守っていくことが,いかに重要かということを感じています。
本年は終戦から70年という節目の年に当たります。多くの人々が亡くなった戦争でした。各戦場で亡くなった人々,広島,長崎の原爆,東京を始めとする各都市の爆撃などにより亡くなった人々の数は誠に多いものでした。この機会に,満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び,今後の日本のあり方を考えていくことが,今,極めて大切なことだと思っています。
この1年が,我が国の人々,そして世界の人々にとり,幸せな年となることを心より祈ります。」
平成25年 80才誕生日会見
「80年の道のりを振り返って,特に印象に残っている出来事という質問ですが,やはり最も印象に残っているのは先の戦争のことです。私が学齢に達した時には中国との戦争が始まっており,その翌年の12月8日から,中国のほかに新たに米国,英国,オランダとの戦争が始まりました。終戦を迎えたのは小学校の最後の年でした。この戦争による日本人の犠牲者は約310万人と言われています。前途に様々な夢を持って生きていた多くの人々が,若くして命を失ったことを思うと,本当に痛ましい限りです。
戦後,連合国軍の占領下にあった日本は,平和と民主主義を,守るべき大切なものとして,日本国憲法を作り,様々な改革を行って,今日の日本を築きました。戦争で荒廃した国土を立て直し,かつ,改善していくために当時の我が国の人々の払った努力に対し,深い感謝の気持ちを抱いています。また,当時の知日派の米国人の協力も忘れてはならないことと思います。戦後60年を超す歳月を経,今日,日本には東日本大震災のような大きな災害に対しても,人と人との絆を大切にし,冷静に事に対処し,復興に向かって尽力する人々が育っていることを,本当に心強く思っています。」
「やはり、強制になるということではないことが望ましいですね」
(平成16年10月28日の園遊会で、米長邦雄(当時東京都教育委員会委員)が「日本中の学校にですね、国旗を挙げて、国歌を斉唱させるというのが、私の仕事でございます」と言った際の今上天皇のお言葉)
平成元年8月ご即位に際し
「憲法は,国の最高法規ですので,国民と共に憲法を守ることに努めていきたいと思っています。終戦の翌年に,学習院初等科を卒業した私にとって,その年に憲法が公布されましたことから,私にとって憲法として意識されているものは日本国憲法ということになります。しかし,天皇は憲法に従って務めを果たすという立場にあるので,憲法に関する論議については言を謹みたいと思っております。」
美智子皇后の歌
初夏の光の中に苗木を植うるこの子供らに戦あらすな 平成7年 題「植樹祭」
日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか(2014)の矢部さん(1960- 以前博報堂)の本。
現天皇陛下のこれまでのご発言等から見えてくる歴史。
軍部に利用されたともされる昭和天皇の姿を見て来た明仁天皇である。
沖縄慰問、水俣慰問、戦争被災地への訪問と祈り。福島原発震災者へのメッセージ。
天皇という権威をかかげて、国民に法的根拠のない義務を強制することは絶対にしないという態度。
備忘録メモ
東京裁判A級戦犯起訴日 昭和21年4月29日( 昭和天皇誕生日)
A級戦犯処刑日昭和23年12月23日( 明仁天皇誕生日 15歳)
1992年中国訪問 「この両国の関係の永きにわたる歴史において、我が国が中国国民に対し多大の苦難を与えた不幸な一時期がありました。これは私の深く悲しみとするところであります」
68才誕生日会見
「私自信としては、桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると「続日本紀」に記されていることに韓国とのゆかりを感じています」平成13年(2001年12月18日)
平成27年1月1日「昨年は大雪や大雨,さらに御嶽山の噴火による災害で多くの人命が失われ,家族や住む家をなくした人々の気持ちを察しています。
また,東日本大震災からは4度目の冬になり,放射能汚染により,かつて住んだ土地に戻れずにいる人々や仮設住宅で厳しい冬を過ごす人々もいまだ多いことも案じられます。昨今の状況を思う時,それぞれの地域で人々が防災に関心を寄せ,地域を守っていくことが,いかに重要かということを感じています。
本年は終戦から70年という節目の年に当たります。多くの人々が亡くなった戦争でした。各戦場で亡くなった人々,広島,長崎の原爆,東京を始めとする各都市の爆撃などにより亡くなった人々の数は誠に多いものでした。この機会に,満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び,今後の日本のあり方を考えていくことが,今,極めて大切なことだと思っています。
この1年が,我が国の人々,そして世界の人々にとり,幸せな年となることを心より祈ります。」
平成25年 80才誕生日会見
「80年の道のりを振り返って,特に印象に残っている出来事という質問ですが,やはり最も印象に残っているのは先の戦争のことです。私が学齢に達した時には中国との戦争が始まっており,その翌年の12月8日から,中国のほかに新たに米国,英国,オランダとの戦争が始まりました。終戦を迎えたのは小学校の最後の年でした。この戦争による日本人の犠牲者は約310万人と言われています。前途に様々な夢を持って生きていた多くの人々が,若くして命を失ったことを思うと,本当に痛ましい限りです。
戦後,連合国軍の占領下にあった日本は,平和と民主主義を,守るべき大切なものとして,日本国憲法を作り,様々な改革を行って,今日の日本を築きました。戦争で荒廃した国土を立て直し,かつ,改善していくために当時の我が国の人々の払った努力に対し,深い感謝の気持ちを抱いています。また,当時の知日派の米国人の協力も忘れてはならないことと思います。戦後60年を超す歳月を経,今日,日本には東日本大震災のような大きな災害に対しても,人と人との絆を大切にし,冷静に事に対処し,復興に向かって尽力する人々が育っていることを,本当に心強く思っています。」
「やはり、強制になるということではないことが望ましいですね」
(平成16年10月28日の園遊会で、米長邦雄(当時東京都教育委員会委員)が「日本中の学校にですね、国旗を挙げて、国歌を斉唱させるというのが、私の仕事でございます」と言った際の今上天皇のお言葉)
平成元年8月ご即位に際し
「憲法は,国の最高法規ですので,国民と共に憲法を守ることに努めていきたいと思っています。終戦の翌年に,学習院初等科を卒業した私にとって,その年に憲法が公布されましたことから,私にとって憲法として意識されているものは日本国憲法ということになります。しかし,天皇は憲法に従って務めを果たすという立場にあるので,憲法に関する論議については言を謹みたいと思っております。」
美智子皇后の歌
初夏の光の中に苗木を植うるこの子供らに戦あらすな 平成7年 題「植樹祭」
