(今こそ竹中労)大衆の情念を揺さぶる「怨筆」:朝日新聞デジタル


母校、甲府一高(旧甲府中学)の偉大なる先輩。闘うべき相手には徹底して攻撃をしかけるが、弱いものには優しかった。「沈まぬ太陽」の主人公である、故小倉寛太郎さんと同じ時代を甲府で過ごしている(湘南中学から疎開)。甲府中学での校長やめろ教頭やめろのストライキをおそらく竹中労さんと一緒にやったのだと思う。まさに今、竹中さんや小倉さんを時代がまた求めているのだろう。



記事
ルポルタージュとは主観である。ほとばしる情熱。あえてけんかをふっかけ、波風を立てる。

 1980年代末に起きた連続幼女誘拐殺人事件。宮崎勤元死刑囚(2008年に執行)の自宅から見つかったのは残酷なホラービデオだった。あのとき持ち上がったビデオ規制論。「どんな内容であってもそれは表現の自由」と擁護ログイン前の続きしたのが竹中労だ。

 テレビの討論番組で声高に訴えた。「『馬の糞(くそ)』でも表現の自由は擁護しなければいかんのです!」。馬の糞、とは何とも下品な表現。だが、確信犯的にあえて挑発的な言葉を使い、メッタ斬りするのが竹中のやり方であった。世の権威や風評に惑わされることなく、たとえ味方でも横っ面をひっぱたいた。

 俳優・嵐寛寿郎との共著として40年前に刊行され、今年3月に復刊となった傑作『鞍馬天狗のおじさんは 聞書・嵐寛寿郎一代』(七つ森書館)。評論家の佐高信さん(71)は解説に書いた。

 「思えば私は、竹中労の人斬り無頼の怨筆にほれて、ひそかにそれを愛読してきた。ひそかにというのは、竹中の怨筆には血を吸って輝きを増す妖刀村正の趣があり、世をはばかる斬れ味があるからである」

 「怨筆」は「えんぴつ」と読む。「いまのお前はそれでいいのか」と激しく揺さぶり、世の権威とは無縁な「大衆の情念」を掘り起こす文のことである。10代のとき、竹中の著作を読み、ストリートジャーナリズムの雑誌記者になりたいと思ったという漫才コンビ「浅草キッド」の水道橋博士さん(53)はインタビューにこたえている。

 「こと俺たちの漫才には、言葉を封じるものに対する反発が強い。その視点ってのは、間違いなく竹中労が作ってきたんです」(『KAWADE道の手帖 竹中労』)

 塀をつくれば、塀の中をのぞきこみたくなる。それが大衆心理であることを見抜いていた。「ルポルタージュとは主観である」と唱え、情念の層を盛ることを良しとした。客観的立場などありえない。取材するにあたっての大前提は「予断を捨てよ」ではなく「予断を持て」。そして、必ず現場を自分の足で歩いて確認し、「十を知って一を書くこと」の大切さを説いた。

 あふれる情熱は音楽のプロデュース活動にも及ぶ。沖縄が本土に復帰する前の69年から沖縄の取材を始め、レコードも出した。沖縄民謡ブームの先駆けといわれ、14年には名盤10作品がCDとなり日本コロムビアから再発売された。「沖縄の歌が最も熱かった時代の記録です」と担当プロデューサー遠藤亮輔さん。75年の「終戦の日」に東京・日比谷の野外音楽堂で開かれた「琉球フェスティバル」の実況録音も収録されている。

 週刊誌の連載記事で当時の佐藤栄作首相夫人を批判し連載が中止となり、言論弾圧だとして法廷闘争に訴えたことがあった。「いまの人はけんかを嫌う。あえて波風を起こすやり方を学ぶ必要があるのでは」と語るのはルポライター鎌田慧さん(77)。権威には決しておもねらない、したたかな反骨精神といえよう。

 坊主頭に背中の刺青。「いまあるモラルを信頼しないところから新しい文化は生まれてくる」と竹中は主張していた。社会全体に閉塞(へいそく)感が漂う中、既成概念をぶちこわす覚悟を迫っている。

 没後25年。「竹中英太郎記念館」(甲府市)には労の著書や写真も展示され、訪れる人が絶えない。実の妹で館長の紫(ゆかり)さんは「とても温かい人でした」。闘うべき相手には徹底して攻撃をしかけるが、弱い者には優しかった。

 (編集委員・小泉信一)

 <足あと> たけなか・ろう(本名つとむ) 1930年東京生まれ。現・東京外大除籍。父は画家の竹中英太郎。59年、東京毎夕新聞を退社し独立。「ルポライター」を名乗り、芸能人への直撃インタビューや独占手記など芸能ジャーナリズムに新機軸を打ち出す。社会評論、映画・レコード制作など幅広い分野でも活躍。「けんかの竹中」の異名をとり、様々な話題を投じた。91年5月、死去。遺骨は沖縄の海に散骨され、一部は甲府市のつつじが崎霊園に埋葬されている。

 <もっと学ぶ> 『完本 美空ひばり』(ちくま文庫)は、歌謡界の女王ひばりの真実に迫った名著。対象への情熱の強さこそ、優れたルポルタージュを生み出す力になることがわかる。

 <かく語りき> 「人は、無力だから群れるのではない。あべこべに、群れるから無力なのだ」(『決定版ルポライター事始』から)





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