図書館本

綿密な取材と歴史考証から水俣病問題を皇室と水俣との視点で綴られています。
盪海気鵝1958-)の目線もまた水俣病患者さん、そのご家族の目線なのだと思う。

経済優先と国策による公害病拡大、心ある科学者らの原因究明と患者支援、謝罪も補償もないがしろにする国と企業という構図。
高橋哲哉さんの「犠牲のシステム」が自然に頭によぎった。
「犠牲のシステムでは、或る者(たち)の利益が、他のもの(たち)の生活(生命、健康、日常、財産、尊厳、希望等々)を犠牲にして生み出され、維持される。犠牲にする者の利益は、犠牲にされるものの犠牲なしには生み出されないし、維持されない。この犠牲は、通常、隠されているか、共同体(国家、国民、社会、企業等々)にとっての「尊い犠牲」として美化され、正当化されている」

読んでいて何度涙したことだろうか。
命をかけた国、チッソとの闘い。
石牟礼さんもご高齢であり、胎児性患者の皆さんもお年をめされてきている。


備忘録メモ
祈るべき天とおもえど天の病む (石牟礼)
水俣病救済特別措置法は加害者が救済と使うべきでない。「補償」とすべき
石牟礼道子と皇后との出会い
天皇皇后両陛下と胎児性患者、緒方正美ら語り部のの会との面会 異例づくめの対応
川本輝夫 息子愛一郎、妻ミヤ子 
もやい直し 実生の森の木でのこけし作り
歴史的公害事件であるのに棄民として扱われてきた水俣病患者
第33回全国豊かな海づくり大会 平成25年10月27日 
 「あまたなる 人の患ひのもととなりし 海にむかひて魚放ちけり」天皇陛下
2014年歌会始 「慰霊碑の先に広がる水俣の海青くして静かなりけり」

故原田正純医師 1962年胎児性患者の存在を発表
雅子妃の祖父がチッソ社長江頭豊氏 雅子妃5歳の時江頭豊氏は訴訟派の台頭を抑えようとしていた
「もだえ神様」患者の悲しみ痛み、助けたいと念願しながら助けられず、泣き叫んで死者たちを見送った人々の絶望 皇后も、また天皇もまたもだえ神様なのではあるいまいか。
皇后の妹 正田恵美子 新潟の第2水俣病の発生原因を作った昭和電工の経営者一族に嫁いだ 義父の安西正夫 は1959年から71年まで昭和電工社長
石牟礼道子 第一回大宅壮一ノンフィクション賞1970 辞退 「苦海浄土 わが水俣病」
国救済調停案 第三者機関という御用学者 企業責任には触れず賠償案 患者側に一任を要求
二度目のなぶり殺し 水銀汚染でなぶり殺し、補償問題でなぶり殺し (金欲しさとかニセ患者とか)
厚生省突入 1970 東大の宇井純も 13名逮捕 渡辺京二も
自主交渉派 チッソ本社前、水俣工場前の座り込み、2年弱 水俣病センター相思社のメド
公益の名のもとに検察官は公害被害者を処罰し、公益の名のもとに公害加害者は安泰に生きられる。
「熱意とは事ある毎に意思を表明することだ」川本輝夫