図書館本 またまた自分の無知、無教養を痛感した一冊。

そして今村均という人を知ったことが嬉しい。おそらく大島正健を介して石橋湛山とも繋がる。

半藤さん(1930-)と保阪さん(1939-)の対談を通じてひも解く昭和史。
特に官軍と賊軍という切り口で昭和史(戦争史)を見ると興味深い、そして愚かに思える事実が次々と明らかになる。さらに、戦後の教育分野にも生き延びた軍隊閥の影が見える。
そして、保阪さんはあとがきで「官軍がはじめた戦争を賊軍が収めた」というのが太平洋戦争の本質ではないかと。

史実や聞き取りから得られる歴史を、僕たちは教科書で習うことがなかったと思う。
そんな戦後70年の今、また戦争に向かう強く危惧されている。
戦争を知らない国民が増え、歴史を修正しようとする一部勢力が存在し、戦争という仕事を正当化する流れも見え隠れする。

どうして日本が第二次世界大戦に突入し、本土決戦まで計画したのか?
良い戦争など存在しない、絶対悪としての戦争に2度と関わらないために、もう一度、戦争の本質を見ておくことは重要であろう。
太平洋戦争でこの国を滅ぼそうとししたのは官軍、もっとも近代日本を作ったのも官軍

備忘録メモ
官軍・賊軍史観という仮説(半藤) 薩長史観
吉田松陰「幽囚録」にみる極端なナショナリズム 侵略史観 アジアへの怒涛の進撃
陸軍長州、海軍薩摩 明治期 出世の法則
薩長の自信 日清、日露戦争
3国同盟反対 米内光政、山本五十六、井上成美 (賊軍トリオ)条約派
海軍 艦隊派と条約派 艦隊派による日米開戦へ
昭和の海軍 薩長(艦隊派)と反薩長(条約派)の図式
特攻作戦で2000万人が死ねば絶対勝てる 大西龍治郎 ポツダム宣言受託にむけての会議
長州と薩摩の国家観の違い 長州 皇国史観 哲学、思想がない 薩摩 南洲翁遺訓 
薩長の作った国家体制 天皇に立憲君主と軍事での大元帥という2つの役割
満州事変と派閥 宇垣系 一夕会 桜会 関東軍(石原莞爾:旧庄内藩 賊軍)の暴走ではない
宇垣派分裂 皇道派と統制派
昭和の陸軍の混乱 永田鉄山の死(長野出身、一夕会) 永田の死がなければ東条英機はない
東条英機の長州憎し(父親の屈辱、日ロ戦争、戦場でクビ)
昭和時代の陸軍大将 長州出身ゼロ 長州閥の負の遺産
陸軍は閥をつくりやすかった(海軍の3倍の人数)
石原莞爾 独自の軍事学を作ろうとした(陸大ではプロイセンの軍事学丸暗記) 東京裁判で東条英機との対立を聞かれ「対立などない、あいつには思想がないから対立のしようがない」 戦後の新憲法を評価  満州を「東洋のアメリカ」にするつもり 天皇に嫌われていた 2.26事件と石原の関係性
昭和になっても海軍は官軍が主流 海軍軍令部には山本五十六や米内、井上も入れず
山本五十六 1934年ロンドン軍縮会議の予備会議に行きたくなかった(すでに軍縮脱退が決まっていた)、渡航前に芸者さんと出来てしまう(ラブレターの存在)。 阿川弘之が書く海軍三羽烏は本来は違う。反主流派 そして我が闘争を原著で読んでいた。(日本をバカにいている) 三国同盟反対 1939
ヒトラーのハニートラップ ドイツ留学する海軍 美人のドイツ人メイド (日英同盟破棄後後) 対米強硬派の結成 昭和16年(1941)井上成美 「対米戦争に勝つのは不可能」

今村均という人物(保阪さんと半藤さんがベタほめ)
陸大19期歩兵科(後に大将が5人) 中学―士官学校―陸軍大学校 と幼年学校―士官学校―陸軍大学校という純粋培養コースとの違い 一説ではクリスチャンという話(これはたぶん大島正健氏の影響ではないだろうか、甲府中学で今村は習っている)
インドネシアでの善政(大宅壮一の証言)ラバウルで終戦 
韮崎に謹慎小屋を移設(世田谷から)贖罪のの反省を送った今村 日本に稀有なひと

敗戦後 陸海軍はなくなり、陸士も海兵も廃校、その時の在学生たちの何パーセントかは戦後、東大医学部に行った。そして20数年後に教授になった。東大インターン闘争時 s40年代
戦後に責任を取らなかった軍参謀たち 天皇の軍隊は解散したが天皇の官僚は解体しなかった

賊軍の昭和史
半藤 一利
東洋経済新報社
2015-08-06