2月23日は池田さんの命日。早く逝きすぎた池田晶子さん(1960-2007)

池田の著作等から選び出した言葉。
使用されている著作はおそらくすべて読んでいるとは思うけど、忘却している方が多いですね。
また、池田ファンは本書の評価は微妙だと思う。
でも、池田晶子を知らない読書にとっては入門書として良いかとも思う。

知る事より考えること
食うために生きるのか 生きるために食うのか

40歳過ぎてから「14歳からの哲学」を読んだものとしては、自分のあまりの愚かさを
なんども池田さんの本から感じたものだ。

生死することにおいて、人は完全に平等である。すなわち、生きている者は必ず死ぬ。
癌だから死ぬのではない。生まれたから死ぬのである。すべての人間の死因は生まれたことである。

本書には記載されていないが、私の好きな一節

池田晶子さんの「暮らしの哲学」の中にある。

回帰する季節に記憶を重ねることで、人生の一回性を確認することに他なりません。中略。大人になっても夏は来ます。でも夏休みはもう決してやって来ない。毎年、夏の気配を感じとる頃、夏を待っているのか、夏休みをまっているのか、よくわからない感じになる。大人になって勝手に夏休みをとることができ、贅沢な旅行ができるようになっても、子供の夏休みの日々、あの濃縮された輝きにかなうものではないとういうことが、よくわかっている。おそらくすべての大人がそうでしょう。すべての大人は、もう決してやって来ない夏休みを待っている。人生の原点であり頂点でもある無時間の夏、あれらの日々を記憶の核として、日を重ね、年を重ね、流れ始めた時間の中で繰り返しそこに立ち戻り、あれらの無垢を超えることはもうこの人生にはあり得ないのだという事実に、今さらながら驚くのではないでしょうか。(夏休みは輝く)