萌木の村 村民かわら版 | マンスリー上次さん 8月号
私の原風景と原体験は須玉町下津金です。
子供の頃の美しい風景や川が、どんどん護岸工事やら土地改良と言う名のもとでズタズタにされた光景を覚えています。
もういい加減に止めませんか?利権まみれな公共事業や利己的な投資の名前な銭儲け。
舩木さんのお考えにまったく同意する私です。
転載します。
今、私は皆さんに一緒に考えてもらいたいことがあります。私は萌木の村の景観を美しくする為、4年前からポール・スミザーさんの指導の元、庭づくりをしてきました。彼は私に「清里では清里だけにしかできないナチュラルな庭づくりをしなければならない」と提案してくれました。私は過去30年間にわたって、それなりのガーデナーと呼ばれる方や専門家・指導者の元でローズガーデンやハーブガーデンなどいろいろな庭づくりに挑戦してきました。今振り返ると、どの庭づくりも中途半端なことをしてきたと思います。私もそれなりに庭づくりについて勉強し経験も積んできました。その為、ポール・スミザーさんの考えに反発したりそれは無理だと対立することもありました。しかし今では、彼の言っていることは必然のことであると感じるのです。私は、ポール・スミザーさんが森林や植物のことにおいて深い知識を持ち、そしてデザイン力(センスと言っても良いです)においても高い能力を持っていると、心から信じられるようになりました。私はこの萌木の村の庭づくりの考え方を、清里駅の周辺・清泉寮の前庭・聖アンデレ教会・美し森へと広げていきたいと考えています。そして、遠景の美しいこの清里を身近な近景も美しく整備することによって、本当に美しいまちにしたいと思っています。
清里駅周辺の使われていない酷く荒れ果てた建物を、行政の力を借りながら取り壊し、景観整備をすることによって、世界一美しい清里を作り上げることができると思うのです。そうすれば太陽光パネルで収入を得なくても、この地で生きていくことができるのではないでしょうか。今の清里で生きていく為には、土地を持っている人は太陽光パネルでしか収入を得ることはできません。太陽光パネルのために景観が見苦しくなるから反対という人も、太陽光パネルに賛成の人も、もっともっとどうすればすべての人が未来にわたってこの地で生きていくことができるのかを考えてもらいたいのです。自分たちのことだけではなく、目先だけではなく、みんなの未来を考える時だと思います。
私は最近、疑問に思うのです。なぜ自然豊かなこの北杜の地において、自然を活かすのではなくむしろ台無しにする太陽光パネルを設置するのでしょう。逆になぜ原発事故の起きた福島の地では太陽光パネルでの発電をしないのでしょうか。東北の被災地は復興工事も進み、何も手つかずの広いスペースがあちらこちらに広がっています。さらに、福島原発からの送電線は東京に向かって整備されています。放射能汚染された土地はこれから何十年も生活する場所にできないと思います。そこをメガソーラーの拠点として、その収入を土地の所有者に戻すべきではないか、と考えるのは間違っているでしょうか。もっと故郷のこと、日本のことを考えて、私達の役割を考えるべきではないかと思います。
以前の萌木の村は、隣人の土地問題との戦いでした。美しい森の中へのマンション建設をはじめ、萌木の村の環境を守る為に7か所の土地を高値で買い取って守ってきました。きれいな美しいまちを作るためには多くの知恵と負担が必要だと思います。行政には是非ドイツ、オーストリア、イギリス等海外の先進地に学ぶことをお願いしたいと思います。未来の財産を失う事なく、今我々は何をすべきか、本物の一流と言われる田舎を作るために!
なぜ、この国には2つの基準があるのでしょうか。例えば、50ヘルツと60ヘルツです。お互いの縄張りを作り、既得権益を守ろうとします。私が子供の頃、地域には小さな水力発電所があり、集落はその発電量で賄われていました。それらの小さな発電所は東京電力と中部電力に吸収されました。また、人口問題にしても何が何でも今の人口水準を維持して、経済力を落とさずに経済的にのみ豊かになろうとする考え方はどう考えても無理があると思います。
ニュージーランドは人口400万人です。日本の四国を取り除いたくらいの国土の面積です。でも、人々は豊かに暮らしています。人口が少なくなっても、生きていく工夫があれば何も悩むことはありません。
私達は今、新しい時代に対して、今までの考え方ではなく、まったく新しい時代に対応するための生き方を考える時だと思います。私達は時代の進歩と共に(今は決して進歩していなかったのです)便利さ、効率、規格という名のもとに多くの知恵と伝統的な技術を失いました。田舎での生き方はまだ、その失いつつあるものを取り戻せる可能性が高いのかもしれません。
たった一度の人生で、皆さんが手に入れたいものは何でしょうか。私は“感動”が一番手に入れたい宝物です。だから、いつまでも挑戦し続けたいのです。同じ物、同じ事は感動が薄れていきます。同じ物、同じ事でも、ほんの少し前へ進むと、大きな感動を手に入れる事が出来ます。今、始まった清里フィールドバレエも同じ事です。昨年より、一歩前へ、ちょっと工夫を凝らした内容になっております。皆さんに感動をプレゼントする事が出来たなら、私はもっと大きな感動を手に入れる事が出来ると思っております。皆さんに会場でお会いする事を楽しみにしています。