(インタビュー)分断される世界 仏人類学・歴史学者のエマニュエル・トッドさん:朝日新聞デジタル
備忘録として転載しておきます。是非彼の著作も読んでみてください。
パリやコペンハーゲンの連続テロ、過激派組織「イスラム国」の暴虐と、人間の価値や文明を否定する愚行が続く。フランスを代表する知性はしかし、母国で370万人が参加した追悼と抗議の大行進をも冷ややかに眺めていた。そして「9・11」以降、何かにつかれたように好戦的になるオクシダン(欧米や日本などの西側世界)を憂える。
――フランスの週刊新聞「シャルリー・エブド」襲撃事件では、表現の自由と宗教批判、信者への配慮などが内外で論議を呼びました。
「表現の自由は絶対でなければいけません。風刺の自由も絶対です。つまり、シャルリーにはムハンマドの風刺画を載せる権利があります。そして、フランス政府にはそれを守る義務がある。だから治安を担う内務相の責任は大きい。常駐の警官が1人ではなく3人だったら、あれほどの惨事は防げたでしょう」
「一方で私にも誰にでも、無論イスラム教徒にも、シャルリーを批判する権利がある。イスラム嫌いのくだらん新聞だと、事件の後も軽蔑し続ける権利が完全にあるのです」
――でもそれを口にしにくい状況でした。国中が「私はシャルリー」一色になりましたから。
「事件後の私たちは、酔っ払いが馬鹿を言っただけで捕まり、8歳か9歳の子が(学校での「テロ称賛」発言の疑いで)警察に呼ばれる国に暮らしています。国内メディアから20件ほど取材依頼がありますが、すべて断りました。何の得にもならない、心置きなく話せる環境ではないと感じるからです。本来は大統領さえののしれる国ですし、私もそうしてきましたので、この現実は耐えがたい。人々の感情が高ぶっていては安心して自由に話せません」
――何か脅しのようなものが?
「ありませんが、例えば仲間内のおしゃべりで私がシャルリーを批判する権利に触れたとします。社会的弱者が頼る宗教を風刺するのは品がないぜと。すると相手は『君は表現の自由に賛成じゃないのか、本当のフランス人じゃないな』と決めつけるわけです。上流の知識層でリベラルな人々が、あの大行進に参加した人々がです。『私はシャルリー』が『私はフランス人』と同義になっている。私はシャルリーじゃない、つまり宗教上の少数派を保護し、尊重しなければと言ったとたん、本物のフランス人ではないと……」
「今日の社会で表現の自由を妨げるのは、昔ながらの検閲ではありません。今風のやり方は、山ほどの言説によって真実や反対意見、隅っこで語られていることを押しつぶし、世論の主導権を握ることです」
――フランスの空気が変に?
「連続テロ以来、メディアも政治家も神話の中に生きている。私たちは米国人や日本人と同様、長所も短所もある普通の国民です。なのに、我々はテロに屈せず約400万人が行進した勇敢ですばらしい国民だ、1・11(大行進)の精神だと。まるでその精神が国内問題を一気に片づけてくれるかの期待さえある。でも(移民が多い)郊外の問題は解決できないし、イスラム嫌いは広がっている。経済危機も雇用難もそのままです。神話を終わらせるのは、私の異見ではなく現実でしょう」
――移民を同化させる政策が失敗した結果とも解釈できます。
「イスラム嫌いは(同化政策を採らない)英独でも広がっている。フランスの不思議は、欧州で極右が一番強いのに、異人種、異教間の結婚が多い点です。移民の子孫も家族レベルでは社会に定着しています。テロ容疑者だけがムスリムではなく、成功して家を買う人も多い」
■ ■
――イスラムを名乗る過激主義の横行は、かつてあなたが否定された「文明の衝突」にも見えます。
「この世界では二つの危機が重なり合っています。まずは米欧、日韓など発展の先頭を行く国々の危機です。消費社会の先に目標を定める必要があるが、うまくいっていない。消費社会はむしろ退化し、日本を含む西側諸国では若者にしわ寄せが及んでいます。それはまず、出生率の低下に表れる。ドイツや日本は人口の減少に直面し、先行きがますます不確実、不透明になっている」
「もう一つの危機は、移行期にある途上国のものです。皆が読み書きできるようになり、人口増のペースが鈍り始めた社会。イスラム圏が典型ですが、かつてのフランスや日本が経験したように、そこには迷いと混乱、暴力がつきものです。例えば教育水準でも、地球上の社会すべてが同じ時代にあるわけではない。米欧日やロシアでは若者の30〜50%が高等教育を受け、自由競争が彼らの生活水準を押し下げています。他方イスラム圏の教育水準は、先進国の1900年ごろにあたります」
――発展段階が違う社会が共存しているということですね。
「この二つの世界(西側とイスラム圏)はまるで違う時代に生きているのに、グローバル化により人が盛んに行き来するようになりました。両者の間には常に、おかしな衝突や相互作用が起きます。中でもアラブ系住民が多いフランスでの混乱は著しい。この国のムスリムは、近代化に伴う問題と同時に、現代社会の危機、例えば学歴や若者の失業など、先進国特有の問題にも直面しています。彼らの苦境と中東の混乱を結合させて語るのはまるで幻想ですが、典型的な『衝突』の事例です」
■ ■
――過激派組織「イスラム国(IS)」が日本人を殺害したことについては何を思いましたか。
「恐ろしい話だが、パリの連続テロに比べると、より偶発的だと考えます。国内でテロが起きない保証はないけれど、日本は原油確保のためアラブ世界には気をつかってきました。パニックに陥ることはない」
――このような過激勢力を台頭させた責任は欧米にもあります。
「はい。中東に近い欧州はイスラム社会とのしがらみが強い。(旧オスマントルコ分割時の)英仏の秘密協定や植民地支配にまでさかのぼれます。しかし、ISを生んだのは米国のイラク侵攻です。『欧米』ではなく米国の責任。米国が中東の政治的均衡を壊したのです」
「先ほど先進国と途上国の歴史のズレに触れましたが、西側世界の中でも時差がある。9・11後の米国は異常であり、欧州は分別ある古い世界として、それを戒める役回りを自覚していました。仏独ロの首脳が、平和主義者として共同で会見したんです。米国よ、正気に戻れと」
「ところがここ2年ほど、かつて米国が感染した好戦的なウイルスに欧州もやられた感があります。印象的なのは『ロシア嫌い』です。欧州はイラク戦争時の共同歩調を解いたうえ、ロシアにいら立つようになった。米国の姿勢に近づきました」
――まるで冷戦期ですね。
「驚いたことに、賢明で分別があると思われたカナダや豪州までが好戦的になった。スウェーデンもプーチンに厳しい。みんなロシアやアラブ世界にいら立っています。西側の熱病はまずリーダーの米国を襲い、欧州を巻き込み、好戦的な、いわば狂気が世界に広がりつつある」
「70年代に米知識人の著書で見た『西側ナルシシズム』の言葉を思います。米国人の基本的な個性は、自分の中に閉じこもることだという分析です。自分にしか関心のない個人が集まれば、自己偏愛的な社会ができあがる。地政学的には、自分たちこそ世界の真ん中だと考える国になる、というわけです。そんな傾向が先進国に拡散しているのです」
「こちらのメディアは『国際社会が非難している』という表現を使いますが、それは米国+同盟国だけだったりする。中国やインドが抜けたら人類の半分以下かもしれない。西側世界は熱狂しやすく、自己偏愛や不寛容が膨らみ、世界全体が見えていない。大いに心配しています」
■ ■
――日本は大丈夫でしょうか。
「居心地は悪いでしょう。西側世界の一員なのに、米欧のように世界の中心だなんて思えないからです。日本は安全保障的に西側であり続ける必要があるが、こと中東対応では最低限の連帯を口頭で示しておけばよい。戦略的課題はまず中国です。米国、中国、ロシアとどう付き合うか。巨大な中国は不安定ですから、対米の次に重視すべきは対ロ外交だと思われます。その正しい方向性がウクライナ危機でぼやけたのは、日本にとっては痛恨事ですね」
*
Emmanuel Todd 1951年生まれ。英ケンブリッジ大学博士。家族制度や人口による社会分析で知られ、70年代にソ連崩壊を予言した。
■取材を終えて
お宅での取材は2回目。いつにもましてくつろいだ様子で、はき慣れたジーンズから青いシャツがはみ出している。髪をかき上げながら、機知に富んだいつものトッド節だ。ただ今回は、ある種の覚悟を感じた。国内メディアに口をつぐみ、外国の新聞に語り続ける境遇を、ナチス占領下の国民に英BBCから抗戦を呼びかけた先人になぞらえる。国を代表する知識人にそうまで思わせるフランスは、やはり正気を失いかけているのだろうか。あの大行進に参加した一人として考え込んだ。個人主義の権化のような国にして、これである。社会が一色になりそうな時こそ、もろもろの自由や理性は大丈夫か、覚めた目を光らせたい。
(特別編集委員・冨永格)