内村鑑三 非戦論の原理(明治四一年) | GAIA - 楽天ブログ


札幌農学校2期生、ある意味、上級生(クラーク博士に習った)から強制されたキリスト教であったが、終生キリスト者として生きた。1期生の大島正健らと友情関係を持ち続けた。

最後の文章を転載します。

人類が進むにしたがって戦争の害はますます増してその益は益々減じて来ます、したがって戦争は勝つも負けるも大なる損害たるにいたります。戦争はその代価を償わずその目的に達せざるにいたります。そうしてその時にいたれば国民はいやでも戦争を廃めます。そうしてかかる時は時々刻々と近づきつつあります。列強目下の軍備増大のごときも、かかる時機の到来を示すの外ありません。列強は今や餓死するか戦争するかの境に達しつつあります。戦えば敵の手にたおれ、戦わざれば債主の手にたおれんとしつつあります。ここにおいてか国民は生きんと欲すれば戦争を廃むるより外に手段の無き域に達しつつあります。そうして国民に生存欲の絶えざる限りは、彼らは余儀なくせられて戦争をやめます。
かかる場合に臨んで最も慧(かしこ)き国民は最も早く戦争を止める国民であります。そうして最も愚かなる国民は最後まで戦争とその準備とを継続する国民であります。国力を益なき戦争のために消費しつくして、彼らはまさに開けんとする平和的競争裡(り)に入って、憐れなる敗北を取らざるを得ません。獅子や虎のごとくに勢力の大部分を牙や爪に消費せずして、哲学者や慈善家のごとくに、これを脳と心とにたくわえおかなければなりません。これをなさずして目下の勢いに駆られ、万事を犠牲に供して戦争の準備をなすがごとき、これを愚の極といわざるを得ません。