マンニョン様は独り:〜紫尾の山里は今〜/4 マタギ説を追う 魅力的な現王兄弟伝説 /鹿児島 - 毎日新聞
秋田のマタギに関して
◇過疎化で伝承途絶えつつ
2010年に廃村になった津田集落(薩摩川内市東郷町藤川)の開祖・マンニョン様(津田万右衛門)は一体誰で、どこからやって来たのか。
旧東郷町郷土史などによると、泊野現王、津田万右衛門、笹野道清の3兄弟(伝承によって4兄弟、5兄弟もある)が京都からやって来て、現王が山頂から矢を放ち、届いた津田に万右衛門を住まわせ、自らはさつま町泊野に住んだ。兄弟とも弓術や狩猟に長じていたという。
志学館大非常勤講師(宗教民俗学)の森田清美さん(75)は「日光修験系のマタギか、あるいはそのような狩猟法と信仰を説く修験者らがやって来て住みついた」とする説を立てている。
熊猟などで知られる東北の狩猟集団・マタギ。そのライセンスともいえる日光派の秘伝の巻物「山立根本巻」などにマタギの祖として「万三郎」という人物が登場する。「万右衛門」と響きが似てないだろうか。
現王を祭る神社は、鎌倉時代に関東から入ってきた渋谷東郷氏の領地に点在し、出水山地の紫尾山は、かつて修験道が盛んな霊峰だった。
長兄の現王の伝承も興味深い。
14年11月24日、さつま町泊野の宮田集落にある現王神社で、例祭があった。氏子らが社殿の前で杉の葉などを燃やし、あおいで社殿に煙を入れる。煙が社殿に充満し、「社殿に隠れていたムササビが(驚いて)飛び出したこともあった」というほどだ。
神を刺激し発奮させ、力を引き出そうという説があるが、現王神社は昔からこの土地独特の狩猟信仰の対象となった。祭神の現王は、平安期の武将・藤原秀郷(ふじわらのひでさと)(別名・俵藤太)という伝承もある。秀郷は平将門の乱を鎮圧したり、大ムカデ退治の伝説で有名だ。
現王神社の氏子、宮田彰一さん(61)の家の先祖は秀郷という言い伝えがある。「うちの家系には『秀』の字を名前にとった人が多い。家紋は『三俵』。俵藤太が由来ではと思う」と話す。秀郷は、秋田に伝わる狩猟免状に「俵藤太之末孫定六と申又鬼(またぎ)」と登場する。
宮田家には、代々、「オコゼ」が伝わっている。山の神に見せると喜び獲物を授けてくれるという呪具だ。オコゼは和紙でくるまれており、昔、猟師たちが“神通力”を帯びたその和紙をもらいにきた。
また、宮田集落に伝わる町指定文化財「狩り踊り」。イノシシ狩りにまつわる道化芝居だが、芝居中、道化役の「三助」が“陰部”(実際は偽物)を見せ観客を笑わせる。山の神もこれを喜ぶという。陰部を神に見せる儀式やオコゼもマタギの習俗にはある。
今は、もう宮田家にオコゼの和紙をもらいに来る猟師もいない。森田さんは「紫尾山系の狩猟伝承などは民俗学的に貴重」と話すが、過疎高齢化が進む。
山から人の営みとともに魅力的な伝承も消え、シカやイノシシが跋扈(ばっこ)するだけの荒れ地になるのだろうか。【宝満志郎】
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■ことば
◇マタギ
主に東北地方で古い伝統を守る狩猟集団。山立(やまだち)とも呼ばれる。多くの禁忌(タブー)を持ち、独特の山言葉を使う。秘伝書から日光派、高野派などに分かれる。強力な熊と戦うというドラマ性、独特の自然観・宗教観、神秘的でストイックな習俗などから、多くの物語や映画の題材になってきた。
秋田のマタギに関して