東京新聞:二〇二七年、リニア中央新幹線が開通すれば、東京と中津川(岐…:社説・コラム(TOKYO Web)
どうぞお聞きください。
まぶたを閉じないと想い出せない様な美しい自然を壊して来た私たち。
若干違和感がある。最後の文章。
今の若者たちが住む社会を作ってきたのは私を含む大人ではないか?
以下
二〇二七年、リニア中央新幹線が開通すれば、東京と中津川(岐阜県)は約五十分で結ばれるそうだ。一九七一(昭和四十六)年八月、その若者は夜行列車で「九時間かけて」、新宿駅から中津川の坂下駅へ向かった
▼「列車内はギュウギュウ詰め。通路はもちろん連結部分やトイレにまで人があふれている」。冷房はない。坂下駅からさらにバスで三十分。そんな場所に二万五千人の若者が集まった。第三回中津川フォークジャンボリーである。その若者とは歌手のなぎら健壱さん。「日本フォーク私的大全」で書いている
▼正式には、「全日本フォーク・ジャンボリー」という。六九年から七一年まで三回開催された日本初の野外音楽フェスである。企画運営した笠木透さんが先週亡くなった。七十七歳。原野を切り開いて会場を設営した
▼反体制色が濃い時代においてフォークソングは政治や社会に対する抵抗やメッセージだった。売れた歌い手は商業主義と批判され、観客は「帰れ」と罵(ののし)った
▼第三回では、メーンステージが観客に占拠されている。ジャンボリーの意義、商業主義について八時間討論を続けたという。その裏では吉田拓郎が「人間なんて」一曲を九十分間演奏。なんと若者は熱く、青臭く、扱いにくい存在だったか
▼当時の若者の皆さん、お元気ですか。そして物分かりのいい今の若者たち。元気かい?
どうぞお聞きください。
まぶたを閉じないと想い出せない様な美しい自然を壊して来た私たち。