信濃毎日新聞[信毎web] あすへのとびら 大鹿村とリニア 若い世代が見つめる未来
参考までに
山梨の早川町には上流研なるシンクタンクがあるらしいですが
何も考えてないのでしょうか?
大鹿の若い人は真剣に考えている。応援します。
あすへのとびら 大鹿村とリニア 若い世代が見つめる未来 11月23日(日)
平行線だった。
JR東海が今月、下伊那郡大鹿村で開いたリニア中央新幹線の事業説明会。人口1100人の村で、300人近くが出席していた。
工事への理解を求めるJRに対し、住民からは「風景は一度失ったら取り戻せない」「JRの利益の裏返しが村の犠牲だ」という根本的な反論が相次いだ。
大鹿村は今のままでいい―。そう訴える若い世代が多かったことが印象に残った。
リニアの路線は村の南部を東西に通る。残土を運び出すための作業用トンネル坑口を4カ所設け、変電施設を造り、小渋川の上流に橋を架ける。最大で1日1700台余の大きな工事用車両が生活道路を走る。暮らしや観光業への影響は避けられない。
JRが工事概要を説明した後の質疑応答は2時間半に及んだ。
「所得は少ないが、村民は豊かな自然の中で生きている」「手を付けなければ山は壊れない。水が枯れることも、生命が失われることもない」。質問というより訴えに近い発言が続いた。
JR側は「切実な心配を受け止め、少しでも解消したい」と返すのがやっと。「地元の理解と同意がなければ着工できない」と何度も繰り返した。
村は以前から、小渋川の橋を地中化するよう求めている。が、JRは説明会でも「工事の難度が増す」として受け入れなかった。環境保全協定の締結については「考えていない」と回答。変電施設の送電線を地中化する要望に関しては、何の説明もなかった。
最低限と言っていい条件すら聞き入れられないことが、JRに対する住民の不信を高めているのだろう。出席者からは「一方的だ」と憤る声が上がった。
<このままでいい>
会場には真剣に説明を聴く子どもたちがいた。飯田市内の中学校に通う杉浦夏音さん(15)は「大鹿の豆腐や塩は、おいしい水で作られている。山に穴を開けたら水は汚れる。地域の人たちはとてもつらいと思う」。地元の高校生伊波瑠奈さん(18)は「大好きな村をこのまま残したい。何かが犠牲になることを『便利になる』とは言わない」と話した。
説明会場の玄関前にパネルが並んでいた。村の風景写真の横に短いメッセージを添えている。〈守りたい「景色」がある 守りたい「暮らし」がある〉。用意したのは、住民有志でつくる「大鹿の100年先を育む会」だ。
育む会ができたのは、リニア計画が具体化し始めた2010年の秋だった。情報を集め、村の人たちとともに理解を深めようと、新聞を発行してきた。
今は10〜70代の40人が参加している。村の特長を知ろうと、古老の話を聞いたり、植生を学んだり、と活動の幅を広げている。
代表の前島久美さん(32)は「80代以上の人たちが健在で、今のコミュニティーには安定感や安心感がある」と言う。問題は、その世代がいなくなってから。人口が少なくなり、リニアまで通るとなれば「コミュニティーが崩れていくような心配がある」。
村にとっての課題は、リニアだけではなく、将来をどう成り立たせるかにある、と前島さんは感じる。「どう暮らしていきたいのかを村のみんなで話し合い、まとまりのあるエネルギーに変えていきたい」と話した。
もう一つの有志団体「NO!リニア連絡会」代表の山根沙姫さん(36)も思いは同じだ。リニアに賛成か反対かで、人間関係がこじれるのでは意味がない。「小さな村だからこそ対話を重ね、何ができるのかを考えたい」。村民の意思を、諦めることなく全国に発信するつもりでいる。
<新しい価値観が>
二つの会は伊那谷をはじめ、県内外の有志や団体と協力し合っている。「大鹿村を守れ」と題した英語の文章をまとめ、10月に韓国で開かれた生物多様性条約締約国会議で訴えている。郷土に寄せる強い気持ちが伝わってくる。
説明会場のパネルにはこんな言葉も。〈その向こうから「いいもの」が来たことは一度もない〉
「リニアの夢」が始まったのは半世紀も前だ。国を挙げて成長を追い求めた50年は村にとり、若者が都会に流れ、離農が進み、集落が疲弊した歳月だった。
大鹿村の人口の3割をIターン者が占める。3・11後にUターンしてきた若者もいるという。昔に戻るのではなく、それぞれができる仕事を探し、自然や文化を共有しながら緩やかに結び付く。新しい価値観の芽が、この村で育ちつつあるように感じられた。
「理解と同意」を得るとしたJR東海は、大鹿村とどう向き合うのか。若い世代が見つめる未来をないがしろにはできない。
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