懐かしの早川よみがえる - 山梨日日新聞 みるじゃん
上流文化というのは下流が存在し里があるから成立するテキスト。
上流から下流までの最近は流域学と言って、全体像として捉える学問として語られる。
何をいまさらなのだが、調査、解析をしないよりは良い。
この町にリニアの長大トンネルが作られる。
工事で金は沢山落ちるだろう、すでの多くの土建屋さんが進出している。
下流の金が上流に循環するのは良いだろう、
しかし、孫子に残す自然を大きく棄損する工事、そしてそこには駅も出来る訳ではない。
自然を壊し、景観を壊し、文化までも壊す。
多くの町民は既に知っている、ダムによって谷が砂で埋まり部落まで迫っている事を。
目先の事だけを貨幣の多寡で判断することの是非が問われているのだと思う。
国を破りて山河ありなのだけれど、、、
以下記事
2013年12月12日(木)
懐かしの早川よみがえる
大正末期以降の写真163枚
1959年8月20日ごろに撮られた伊勢湾台風直後の早川渓谷=早川町西山
1920年代に撮られた資材を運搬するためのリフトの写真=早川町内
NPO法人日本上流文化圏研究所(上流研)は、住民が持っている古い写真をインターネットで公開する「はやかわおもいでアルバム」事業を行っている。大正末期以降の町内の写真が収録されていて、懐かしむ町民も多い。
地域資源を掘り起こすために町が進める「フィールドミュージアム」事業の一環。データとして半永久的に残すと同時に、多くの人に早川町の姿を知ってもらおうと公開を始めた。
掲載写真は大正末期から約30年前まで163枚。1965〜75年に撮られた干し柿を作る女性や、74年に撮影された養蚕作業の様子など被写体はさまざまで、撮影時期や場所、どういう場面かの説明を付けている。全ての写真に地元住民が写っていて、白黒がメーン。住民からは「懐かしい」と好評という。
上流研の担当者は「まだまだ、貴重な写真が眠っていると思う。今後もどんどん追加していきたい」と話してい