特集ワイド:豊かさとは 歴史学者・坂野潤治さん− 毎日jp(毎日新聞)

田原総一朗さんも、坂野さんの文章を良く引きますよね。坂野さんの本は読まねばと思いつつ、、、

これは備忘録的に貼っておきたいと思います。

<この国はどこへ行こうとしているのか>
 ◇両立する「成長と平等」−−坂野潤治さん(75)

 「今はもう崩壊の時代に入っちゃっていますね」

 新緑がまぶしい庭を望む東京都大田区の自宅で、歴史学者の坂野潤治さんはあっさりそう答えた。幕末の1857(安政4)年からファシズムが台頭する1937(昭和12)年までの80年間の歴史を改革、革命、建設、運用、再編、危機の六つの時代に分けて描いた著書「日本近代史」(ちくま新書)は200字詰め原稿用紙で1200枚を超える大著。新書大賞2013(中央公論新社主催)で3位に入るなど、大きな反響を呼んだ。

 実は危機の時代の先には、日中全面戦争に始まり、太平洋戦争の敗戦で終わる「崩壊の時代」があるという。この7段階の歩みは戦後史の中にも見いだせるというので、今はどの時代にあたるのかと尋ねたところ、冒頭の答えが返ってきた。内心、まだ「危機」のあたりだろうと思っていたので意外だった。

 「危機の時代は小泉純一郎政権から野田佳彦政権まで。第2次安倍晋三内閣で崩壊の時代に入りました。みなさん、今はアベノミクスに満足しています。昨日もタクシーに乗ったら、運転手さんが『いい時代になりました』と言っていました。安倍内閣の支持率が70%近くという世論調査の結果は正しく反映していると思う。しかしその先に何があるのかなんて誰も想像できません。未来がなくて、今の状態だけに満足している」

 今が戦前の第1次近衛文麿(このえふみまろ)内閣が発足した崩壊の時代の始まりと重なって見えるというのだ。近衛内閣はあらゆる政治勢力を包摂して発足し、異議を唱える者が絶え果てた時代という。確かに今も巨大与党に対抗する勢力の衰退が止まらない。「あの時は戦争に負けて焼け野原になったように崩壊の形が目に見えた。しかし今回はこの国の体制がどういう形で崩壊するのか、その姿すら浮かびません」

 格差の縮小が社会に活力をもたらす−−というのが坂野史観の神髄だ。日本近代史の中で格差を縮小した社会改革は1871(明治4)年の廃藩置県と、農地改革や労働三法をはじめとする戦後改革の2度しかなかったという。廃藩置県で士農工商の士がなくなり、農工商が張り切って近代日本の礎を築いた。戦後改革で小作農や労働者が解放されて戦後復興を成し遂げた、とみる。

「そうした戦後改革の遺産を食いつぶし、格差を拡大させたのが小泉政権、そのまま放置して固定化させたのが民主党政権です。正社員を派遣社員にして賃金を安く抑え、国際競争に勝とうと訴えた。まるで芥川龍之介の小説『蜘蛛(くも)の糸』のように下層の人たちを踏み台にして自分たちだけが生き残ろうとした。このあたりから危機の時代が始まったんです」

 続いて崩壊の時代の話に入り、アベノミクス批判が展開すると構えていたら、そう短絡的ではないのが、この人の論のユニークなところだ。

 「野党的な立場の評論家はアベノミクスが崩壊するのを心待ちにしています。そりゃ、いつかは崩壊するでしょう。でもね、格差を縮小するチャンスはバブルの時しかないんです。大恐慌の時にはそんなことは言っていられない。せっかく景気が回復してくるならば、野党は今こそ、固定化した格差を縮小する構想を練っておくべきです。生活保護を拡充し、失業者を派遣社員に、派遣社員を正社員にして、みんなが少しずつ豊かになって社会全体が元気になるような構想を描いておく。国民は豊かになると政治にものを言いたくなる。それを追い風にするんです」

 3・11以降、成長神話から脱却し、もう少しつつましやかに生きる道はないかと多くの日本人が痛感したのではないか。しかし坂野さんは言う。

 「今、豊かさを語る多くの人は成長を否定して、貧困の平等社会みたいなものが理想と言う。極端な例だと江戸時代の暮らしに戻ろう、と。しかし、私は成長自体は良くも悪くもなくニュートラル(中立)だと思っています。成長至上主義は格差拡大につながりますが、先ほど言ったように格差縮小のチャンスととらえることもできます。もうひとつ、平等と聞くと、みなさんは怠け者が増えて成長を阻害するようなイメージを持つかと思いますが、平等とは固定化した格差を縮小することだと解釈すれば、『成長と平等』は両立します。実際に戦後の日本経済はみんな平等の終身雇用のもとで発展してきたではありませんか」

 3・11の翌朝、坂野さんは自宅近くのコンビニエンスストアにたばこを買いに行った。釣り銭を募金箱に入れようとしたら、既に箱には1000円札がいっぱい詰まっていた。慌てて財布から1000円札を取り出して入れた。

 「この話を記事にされると恥ずかしいんだけど、あの時、日本人はまだ最後の遺産を持っていたんだと実感しましたね。政治指導者はおたおたしていたけど、国民は連帯感を発揮した」。「絆」と言わず、「連帯感」と表現するところに“60年安保の闘士”の残影がのぞく。

「欧米では社会民主主義政党やリベラルが政権を取った時にバラマキをして、保守政党の時に財政を引き締めるのが常識なんです。ただ日本では戦前、それが逆でした。戦後も自民党がバラマキをして、民主党政権が引き締め、安倍政権がまたバラマキをしている。民主党に再び政権を担うチャンスがあるとしたら、福祉国家を掲げるべきです。累進課税を強化してお金持ちから税金をいっぱい取り、土木工事の代わりに保育所や老人ホームをたくさん建てて、福祉に働く場をつくるような政策を進めたらいい。赤字財政のため5年で破綻するでしょう。そうしたら自民党に政権を戻して財政を立て直してもらったらいいんです。私は今の状況に失望していないんだけど、民主党の政治家は元気がないですね」

 なぜ日本では福祉国家が目標にされてこなかったのか。

 「即効性がないからです」と答えは明快だった。「保育所を一つ造ったからといって、子どもを預けられるようになった女性がすぐに正社員になれるわけではありません。橋や道路を造ればすぐに結果が見て分かる。しかし政治はすぐ目に見える成果を上げることではなく、社会をよくするためにある。日本の野党は、オイルショックの時に欧州で福祉国家は挫折したからと、自民党の批判しかしてこなかったが、一度ぐらい福祉国家を目指してみてはどうか。みんなが困っている人のことを考えて手をさしのべる社会こそ、豊かな社会と言えるのではないでしょうか」

 「崩壊の時代」を回避する知恵は逆説的な発想にある。老練の歴史家はそんな示唆を与えてくれた。