図書館本
江戸、明治時代、禿山だらけだったという話は以前よりあった。
それがエネルギー革命での化石燃料のおかげで木材が燃料にならない時代になり、さらに肥料革命をあいまって日本の森はおそらく史上最高の材の量的蓄積状態となっていると指摘しています。しかし、では森の質的評価はどうでしょう?とういうのが本著の視点だと理解しています。人口増加も石油の導入による社会変革だというのが現時点は妥当でもあるわけですが。
森の機能、自然災害と森の機能、東日本大震災の復興としての海岸林のあるべき姿などを論じている。
ただ、気になるのは、治山ダム、治山堰堤、大規模ダムなどに関しては砂防という立場で非常に肯定的の様に思う、その事が、海浜の減少が単に森林からの砂の供給の減少ではないという立場に繋がるのだろうかと思ってしまう。そして、自然は管理、征服出来るという科学・技術万能な思想に基づくのであれば、危険な気もするのである。それは、未だに人類が知りえない自然の法則や原理を、人類が思い込みでメスを入れる行為にも思えるからである。この辺の思想はたとえば養老孟司さんが「手入れの思想」という表現をするが、まさに自然との関係性の中で人が出来る事の限界を自ずと知ることの重要性を示唆しているである。もちろん著者は渓流における生物の多様性等には注意を払っているが。
国土は生き物であり、また森林も生き物なのだ。その生き物を私たちは利用させていただくという現実を顧みない時、大きなしっぺ返しが起こるのであろう。
備忘録的メモ
砂浜海岸に広葉樹を植える事は反対はしない(宮脇さんの活動にたいする言葉かな?)が、実績のあるクロマツを中心にすべき。
海岸地域の飛砂の科学
里山、里地というテキストが本質を見誤らせる(四手井綱英さんの造語である里山に対しての意見か?)
かつての里山に大木はなかった(あたりまえかな)
森林劣化のピークは明治、そして「砂防」の名のもとに山腹工事の実施(森林破壊(劣化)による豪雨災害による)
治水三法(1897年) 河川法、砂防法、森林法 まさに開発と国土保全のジレンマ?
たった、四、五十年ではげ山は消えた。
表層崩壊と深層崩壊の違い(表層崩壊は森の機能で防ぐ事が可能のようだ)
人工林、天然林の機能的違いはそれほどない(水源涵養機能)
川砂利採取による川床低下 1960-1970年代
上流からの流砂のコントロールの重要性(管理可能?)
「自然はそのままほうっておくのが一番よい」という考え方を私たちは捨てる必要があることも確かである。(果たして本当か?放っておく事が必要な事はないのか?)
森林・林業再生プラン2009(おそらく梶原プラン)方向性は正しいが具体的方法には疑問が残る。
新しい森林の原理(環境原理、文化原理、物質利用原理)の提案
1990年代に砂防学会が山地、系優の保全に関して総合的に検討、著者が取りまとめた。普通種も含めた生態系全体の保全、渓床のダイナミクスの維持、土砂災害防止と両立する工法の工夫、渓流工事中の生物多様性保存に留意する等(果たして本当になされた?源流や渓流で釣りをする人々は懐疑的であろう)
目次
第1章 海辺の林は何を語るか―津波と飛砂
第2章 はげ山だらけの日本―「里山」の原風景
第3章 森はどう破壊されたか―収奪の日本史
第4章 なぜ緑が回復したのか―悲願と忘却
第5章 いま何が起きているのか―森林増加の副作用
第6章 国土管理の新パラダイム―迫られる発想の転換

森林飽和―国土の変貌を考える (NHKブックス No.1193) [単行本(ソフトカバー)]
江戸、明治時代、禿山だらけだったという話は以前よりあった。
それがエネルギー革命での化石燃料のおかげで木材が燃料にならない時代になり、さらに肥料革命をあいまって日本の森はおそらく史上最高の材の量的蓄積状態となっていると指摘しています。しかし、では森の質的評価はどうでしょう?とういうのが本著の視点だと理解しています。人口増加も石油の導入による社会変革だというのが現時点は妥当でもあるわけですが。
森の機能、自然災害と森の機能、東日本大震災の復興としての海岸林のあるべき姿などを論じている。
ただ、気になるのは、治山ダム、治山堰堤、大規模ダムなどに関しては砂防という立場で非常に肯定的の様に思う、その事が、海浜の減少が単に森林からの砂の供給の減少ではないという立場に繋がるのだろうかと思ってしまう。そして、自然は管理、征服出来るという科学・技術万能な思想に基づくのであれば、危険な気もするのである。それは、未だに人類が知りえない自然の法則や原理を、人類が思い込みでメスを入れる行為にも思えるからである。この辺の思想はたとえば養老孟司さんが「手入れの思想」という表現をするが、まさに自然との関係性の中で人が出来る事の限界を自ずと知ることの重要性を示唆しているである。もちろん著者は渓流における生物の多様性等には注意を払っているが。
国土は生き物であり、また森林も生き物なのだ。その生き物を私たちは利用させていただくという現実を顧みない時、大きなしっぺ返しが起こるのであろう。
備忘録的メモ
砂浜海岸に広葉樹を植える事は反対はしない(宮脇さんの活動にたいする言葉かな?)が、実績のあるクロマツを中心にすべき。
海岸地域の飛砂の科学
里山、里地というテキストが本質を見誤らせる(四手井綱英さんの造語である里山に対しての意見か?)
かつての里山に大木はなかった(あたりまえかな)
森林劣化のピークは明治、そして「砂防」の名のもとに山腹工事の実施(森林破壊(劣化)による豪雨災害による)
治水三法(1897年) 河川法、砂防法、森林法 まさに開発と国土保全のジレンマ?
たった、四、五十年ではげ山は消えた。
表層崩壊と深層崩壊の違い(表層崩壊は森の機能で防ぐ事が可能のようだ)
人工林、天然林の機能的違いはそれほどない(水源涵養機能)
川砂利採取による川床低下 1960-1970年代
上流からの流砂のコントロールの重要性(管理可能?)
「自然はそのままほうっておくのが一番よい」という考え方を私たちは捨てる必要があることも確かである。(果たして本当か?放っておく事が必要な事はないのか?)
森林・林業再生プラン2009(おそらく梶原プラン)方向性は正しいが具体的方法には疑問が残る。
新しい森林の原理(環境原理、文化原理、物質利用原理)の提案
1990年代に砂防学会が山地、系優の保全に関して総合的に検討、著者が取りまとめた。普通種も含めた生態系全体の保全、渓床のダイナミクスの維持、土砂災害防止と両立する工法の工夫、渓流工事中の生物多様性保存に留意する等(果たして本当になされた?源流や渓流で釣りをする人々は懐疑的であろう)
目次
第1章 海辺の林は何を語るか―津波と飛砂
第2章 はげ山だらけの日本―「里山」の原風景
第3章 森はどう破壊されたか―収奪の日本史
第4章 なぜ緑が回復したのか―悲願と忘却
第5章 いま何が起きているのか―森林増加の副作用
第6章 国土管理の新パラダイム―迫られる発想の転換

森林飽和―国土の変貌を考える (NHKブックス No.1193) [単行本(ソフトカバー)]