図書館本
島薗先生(1948-)は2013年東大を退職され、上智大学特任教授(グリーフケア研究所長)で研究を継続されるとのこと。また放射線健康影響に関しても積極的に被曝者側の立場で発言を続けています。
さて本書ですが、最初は非常に読みやすく、宮沢賢治の「ひかりの素足」映画「おくりびと」を読み解きながら進みます。後半は個人的には難しいです。
2011年3月不条理すぎる多くの死を残された者はどの様に捉えるのか?
多様な宗教との係りとしての死(死後の世界)、あるいは個としての自然普遍的な死を当たり前な現象として弔うのか。日本の文化歴史の中で育まれてきた「死」「生」に対する思想(想い)を考える(勉強する、身につける、悟る)には非常に有用な一冊だろうと思う。
一人称の死、二人称の死そして三人称の死、2011年の不条理はこのすべての「死」を同時に私そして私たちに与えたのだろう。
備忘録的メモ
宗教は信じないが、よき死には関心がある。
死学、生死学、死生学 生と死の表裏一体性
鈴木大拙 生死観と日本的霊性
武士道と死生観 国体論と「修養」「武士道」
井上雄彦「バガボンド」における武士道
内面性:読書、宗教体験、芸術体験を通して形成
柳田国男、遠野物語 99節 津波で死んだ妻と出会う男、111節姥捨て 幽冥論 固有信仰
折口信夫 円環的永遠回帰的な時間意識(孤独な漂泊者(折口)に共鳴し、自らなぞる)
戦時の死生観 「戦艦大和ノ最後」学徒出陣将校らの死、海軍のメンツを保つために3千数百の命の喪失
目次 一条さんのブログより転載http://d.hatena.ne.jp/shins2m/20120312/1331478060
「プロローグ」
第1章:「おくりびと」と21世紀初頭の死生観
一.死に向き合うことの勧め
二.死を超える力はいずこから
三.『納棺夫日記』から「おくりびと」へ
四.欧米からの移入と日本の死生学
第2章:死生観という語と死生観言説の始まり
一.死生観という語が優勢になった経緯
二.加藤咄堂の武士道的死生観
三.死生観はなぜ必要か?
四.死生観論述の時代背景
第3章:死生観を通しての自己確立
一.教養青年の死生観
二.志賀直哉の自己確立
三.死生観を描く教養小説
四.死生観文学の系譜
第4章:「常民」の死生観を求めて
一.死生観を問う民俗学
二.柳田国男――他界憧憬と幽冥論の間
三.折口信夫――「古代研究」を目指す自己
四.固有信仰論に世代間連帯の思想を見る
五.近代人の孤独から死の意識を透視する
第5章:無惨な死を超えて
一.「戦中派の死生観」の内実
二.内なる虚無との対面
三.共同行為としての戦争の意味・無意味
四.死生観と倫理
五.他者に即して戦争の死を捉え返す
第6章:がんに直面して生きる
一.死生観の類型論
二.岸本英夫――「生命飢餓状態」と「別れのとき」
三.高見順――予期される死から身近な死へ
四.死に向かう旅路
「エピローグ」
日本人の死生観を読む 明治武士道から「おくりびと」へ (朝日選書) [単行本]
島薗先生(1948-)は2013年東大を退職され、上智大学特任教授(グリーフケア研究所長)で研究を継続されるとのこと。また放射線健康影響に関しても積極的に被曝者側の立場で発言を続けています。
さて本書ですが、最初は非常に読みやすく、宮沢賢治の「ひかりの素足」映画「おくりびと」を読み解きながら進みます。後半は個人的には難しいです。
2011年3月不条理すぎる多くの死を残された者はどの様に捉えるのか?
多様な宗教との係りとしての死(死後の世界)、あるいは個としての自然普遍的な死を当たり前な現象として弔うのか。日本の文化歴史の中で育まれてきた「死」「生」に対する思想(想い)を考える(勉強する、身につける、悟る)には非常に有用な一冊だろうと思う。
一人称の死、二人称の死そして三人称の死、2011年の不条理はこのすべての「死」を同時に私そして私たちに与えたのだろう。
備忘録的メモ
宗教は信じないが、よき死には関心がある。
死学、生死学、死生学 生と死の表裏一体性
鈴木大拙 生死観と日本的霊性
武士道と死生観 国体論と「修養」「武士道」
井上雄彦「バガボンド」における武士道
内面性:読書、宗教体験、芸術体験を通して形成
柳田国男、遠野物語 99節 津波で死んだ妻と出会う男、111節姥捨て 幽冥論 固有信仰
折口信夫 円環的永遠回帰的な時間意識(孤独な漂泊者(折口)に共鳴し、自らなぞる)
戦時の死生観 「戦艦大和ノ最後」学徒出陣将校らの死、海軍のメンツを保つために3千数百の命の喪失
目次 一条さんのブログより転載http://d.hatena.ne.jp/shins2m/20120312/1331478060
「プロローグ」
第1章:「おくりびと」と21世紀初頭の死生観
一.死に向き合うことの勧め
二.死を超える力はいずこから
三.『納棺夫日記』から「おくりびと」へ
四.欧米からの移入と日本の死生学
第2章:死生観という語と死生観言説の始まり
一.死生観という語が優勢になった経緯
二.加藤咄堂の武士道的死生観
三.死生観はなぜ必要か?
四.死生観論述の時代背景
第3章:死生観を通しての自己確立
一.教養青年の死生観
二.志賀直哉の自己確立
三.死生観を描く教養小説
四.死生観文学の系譜
第4章:「常民」の死生観を求めて
一.死生観を問う民俗学
二.柳田国男――他界憧憬と幽冥論の間
三.折口信夫――「古代研究」を目指す自己
四.固有信仰論に世代間連帯の思想を見る
五.近代人の孤独から死の意識を透視する
第5章:無惨な死を超えて
一.「戦中派の死生観」の内実
二.内なる虚無との対面
三.共同行為としての戦争の意味・無意味
四.死生観と倫理
五.他者に即して戦争の死を捉え返す
第6章:がんに直面して生きる
一.死生観の類型論
二.岸本英夫――「生命飢餓状態」と「別れのとき」
三.高見順――予期される死から身近な死へ
四.死に向かう旅路
「エピローグ」
日本人の死生観を読む 明治武士道から「おくりびと」へ (朝日選書) [単行本]