魂が触れ合う時、それがヒトとヒトとの心の絆を生み出す。


研究にしてもビジネスにしても、かならず他人との関係性が存在する。
文化、宗教、歴史、違うものが沢山存在する。

国益や国境、領土の問題など、さらには人種の問題等が紛争の種になったりする。

果たして人間の智慧というものは動物のそれより賢いこいのだろうか?

同じ人間という括りの中で、普遍的な心の触れ合いを体験をした人だけが書けるのだろうと思う。
以下、和崎さんの文章の一部を備忘録的に記しておきます。

アフリカの民は、古い革袋に新しい酒を盛ろうとして苦しんでいる。圧倒的な現代の国家状況とその背後にある資本と北側の論理となんとか折り合いをつけて、それでも自らの尊厳を維持して生きていこうと、アフリカの民は苦闘している。
私たちも、その痛みを自らの痛みとして感じ、かれらとつながる場面を知っている。だれだって、利にあずかれなとき、中心を占められないときがある。そこに思いいたる感性と洞察こそが、だれもが持ちうるはずのその当たり前の想像力が、北と南に分断された地球をどこか深い信頼の中につなぎ留めるだろう。中略 世界は交差する。人は交わる。ヤシ酒は、違いを越えて生きていることを、じっと私に語りかけ求めた。北の日本は南のアフリカを「援け」ている、という。一方、アフリカもまた日本人を認める。わたしは、バムンと日本とがつながることの、その喜びと責務を、また構造的上下を個人の地平でクロスさせて超えてつながりうることの、その可能性を、ぐっと噛みしめながら、ヤシ酒を飲み干したのである。

バムンはカメルーンの地名(評者注)

アフリカに暮らして―ガーナ、カメルーンの人と日常
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