2012年5月28日 長野県諏訪郡にある資料室にやっと訪問出来ました。

結核という不治の病だった戦前、多くの人々(特にお金持ちや文学者等)がこの病院に入院していた。
正木俊二医師(初代院長)は東大ーパスツールー慶應というスパーエリートでもあったと知った

「風立ちぬ」の堀辰雄、竹久夢二を始めとする作家も多く療養していた。

現在館長をされている荒川じんぺいさんにお話しを伺うと、堀辰雄の素顔が実は文学史の中で、あるいは一般の中でかなり違った捉え方されていることが分かった。非常に興味深いお話を伺えました。

結核はワックスマンによるストレプトマイシンの発見により薬物治療が可能になり、またさらに効果的な薬剤開発等により現在に至っているが、未だに2万人以上の新規感染者が日本では毎年登録されている。
そういうコンテクストでは未だ結核は大きな医療問題なのだ。

僕の父親は結核の後遺症で20数年前に亡くなったが、ドクターズデレイという診断の遅れのために長期入院を余儀なくされ、退院後の風邪をこじらせての最後だった。そして診断の少し前、東京に住んでいた僕の長男(当時保育園)がいきなりツ半陽性となり、保育園の先生や私たちも保健所に呼ばれ検査して大変ご迷惑をかけたのである。 その後、分かったことは、おそらく長男は爺ちゃん(私の父親)から感染したのだということだ。
長男は半年ほど予防薬を飲んでいたように記憶している。

そうそう、この療養所は1日3円から20円といった非常に高額な入院費が必要であったそうだ。当時の教師の給与が45円程度だったそうであるから、いかに高い療養費だということがわかるだろう。
そして十分な栄養管理のために一流の調理人を集めていたそうだ、だから引退後の犬養毅も療養所に食事に来ていたという記録もあるとの事だ。

現在この資料館の館長である荒川じんぺいさんは、まさにマルチな才能の持ち主で、装丁家、文筆家、ナチュラリスト、流木造形作家、焚き火家、写真家等々なんでもプロとして成り立ってしまう人なのである。さらに画像の様にイケメンかつスタイル抜群なのだ。ここまで揃ってしまうと妬むとやっかむというレベルを大きく越えて、ただただ拝むだけである(笑)

ちなみに多くの人が彼の森関係の本で都会から森に移住や週末移住をしてしまったのである。
ある意味、森移住の教祖でもあるのかもしれない。

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