電力と国家 佐高信 集英社新書 2011
図書館本
いかに東電、その他電力会社が堕落していったかの内面的考察である。
結局、企業も政治も行政も「人」なのである。私利私欲に駆られた人間が国を破滅に導く。
歴史にイフは無いという。だが、仮に松永安左エ門、木川田一隆の思想が企業に引き継がれていればフクシマの悲劇は起こらなかったのではないだろうか。
佐高さんも限られたページの中では思いを書ききっていないとは思うが、筋を通した利他的な男にほれ込むのはいつもと同じだろう。石橋湛山や城山三郎等々。
威張り腐った役人(厄人)が大嫌いだった電力の鬼、松永安左エ門。福澤諭吉に惹かれ慶応に入学。不器用なまでに「民の精神」にこだわっていたとのこと。
佐高的には商売人の小林一三や平岩外四(東電社長、会長)などは、まったく小さな人間に見えてしまうと。
戦前の日発の解体により電力を9分割案で民営しようとする松永、GHQは民営と発送電分離、国(与野党とも)は電力事業の国営化を官僚を巻き込んで画策したようだ。
しかし、松永、木川田のコンビはGHQも巻き込み、発送電一括での民営化を実現する。昭和26年5月電力の国家管理は終止符を打ち、民営化となるわけである。
そして、原子力発電の主導権争いが再度起こる(東電に1955年原子力発電課新設)
この日本における原子力発電をめぐる政官民の遺恨を背負った流れが今日の許認可組織が馴れ合いという体制を作ってしまったのだろう。
木川田自信も原発を「悪魔のような代物」と言っていたという。だから自分の故郷に原発を持ってこようとしたのではと佐高は書く。そしていい加減な官に任さず、民の責任で管理しようと。
そして佐高はさらに書く、東電の変質は平岩外四から始まったと。平岩は官と戦った創業者の精神を受け継ぐことが出来なかったと。民間が主導する電力で日本を豊かにするのだという気概、そして企業の社会的責任への自覚がなかったのだと。
昭和46年(1971年)の遺書は木川田らに預けられた。
「一つ、死後の計らい事、何度も申し置くとおり、死後の一切の葬儀、法要はうずくの出るほど嫌いに是れあり、墓碑一切、法要一切不要。線香類も嫌い。死んで勲章位階(もとより誰もくれまいが、友人の政治家が勘違いで尽力する不心得かたく禁物)これはヘドが出るほど嫌いに候。財産は倅および遺族に一切くれてはいかぬ。彼らが堕落するだけです」と書かれ、戒名もいらぬと。
追記:僕は「社畜」というテキストは佐高さんの造語だと思っていたら、中堅スーパーのサミット元会長で経済小説作家の安土敏さんだそうです。そして会社の仮面をはずせないという意味では、東電会長の勝俣や前社長となった清水正孝もリッパな「社畜」であると、佐高は書いている。
また、元福島県知事の佐藤が書いた書籍の中にも東電と官僚のやり口の汚さは書かれている。
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いかに東電、その他電力会社が堕落していったかの内面的考察である。
結局、企業も政治も行政も「人」なのである。私利私欲に駆られた人間が国を破滅に導く。
歴史にイフは無いという。だが、仮に松永安左エ門、木川田一隆の思想が企業に引き継がれていればフクシマの悲劇は起こらなかったのではないだろうか。
佐高さんも限られたページの中では思いを書ききっていないとは思うが、筋を通した利他的な男にほれ込むのはいつもと同じだろう。石橋湛山や城山三郎等々。
威張り腐った役人(厄人)が大嫌いだった電力の鬼、松永安左エ門。福澤諭吉に惹かれ慶応に入学。不器用なまでに「民の精神」にこだわっていたとのこと。
佐高的には商売人の小林一三や平岩外四(東電社長、会長)などは、まったく小さな人間に見えてしまうと。
戦前の日発の解体により電力を9分割案で民営しようとする松永、GHQは民営と発送電分離、国(与野党とも)は電力事業の国営化を官僚を巻き込んで画策したようだ。
しかし、松永、木川田のコンビはGHQも巻き込み、発送電一括での民営化を実現する。昭和26年5月電力の国家管理は終止符を打ち、民営化となるわけである。
そして、原子力発電の主導権争いが再度起こる(東電に1955年原子力発電課新設)
この日本における原子力発電をめぐる政官民の遺恨を背負った流れが今日の許認可組織が馴れ合いという体制を作ってしまったのだろう。
木川田自信も原発を「悪魔のような代物」と言っていたという。だから自分の故郷に原発を持ってこようとしたのではと佐高は書く。そしていい加減な官に任さず、民の責任で管理しようと。
そして佐高はさらに書く、東電の変質は平岩外四から始まったと。平岩は官と戦った創業者の精神を受け継ぐことが出来なかったと。民間が主導する電力で日本を豊かにするのだという気概、そして企業の社会的責任への自覚がなかったのだと。
昭和46年(1971年)の遺書は木川田らに預けられた。
「一つ、死後の計らい事、何度も申し置くとおり、死後の一切の葬儀、法要はうずくの出るほど嫌いに是れあり、墓碑一切、法要一切不要。線香類も嫌い。死んで勲章位階(もとより誰もくれまいが、友人の政治家が勘違いで尽力する不心得かたく禁物)これはヘドが出るほど嫌いに候。財産は倅および遺族に一切くれてはいかぬ。彼らが堕落するだけです」と書かれ、戒名もいらぬと。
追記:僕は「社畜」というテキストは佐高さんの造語だと思っていたら、中堅スーパーのサミット元会長で経済小説作家の安土敏さんだそうです。そして会社の仮面をはずせないという意味では、東電会長の勝俣や前社長となった清水正孝もリッパな「社畜」であると、佐高は書いている。
また、元福島県知事の佐藤が書いた書籍の中にも東電と官僚のやり口の汚さは書かれている。
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自分の頭で考える、他者の意見に耳を傾けて再考する柔軟さ、客観視できる、1人でも意見を言える、恐れない、こうした自立した強を教育できれば…と思います。