ここで暮らす楽しみ 山尾三省(1938-2001) 山と渓谷社 1999

96−98年にかけて月刊誌「Outdoor」に連載された文章。
この月刊誌もすでに無い。
当時、私は月刊誌であるBe-PalとこのOutdoorを購読していた。そしてまさに96−98年は家族でベルギーに住んでいたので、日本からかなりの割り増し料金で送ってもらっていたのだ。そして、その頃はまだ山尾さんの感性を理解出来ないでいたと思う。屋久島に住んでいる、変わった思想家としてくらいしか認識してなかったと。

そして、今改めて読み返す山尾さんの文章。
自分の中に、なんのためらいも違和感も無く浸み込んでくる。

備忘録的メモ
ぼく達は、管理されシステム化された社会のみで息をすることができず、アウトドアという時代の衣装をまとって、じつは縄文文化的な直接生命の世界へ出かけてゆくのである。
ぼくがこれまでに身につけてきた野の作業、山の作業法の究極は、決して急がないこと、集中すること、のふたつだ。両者のバランスが崩れないかぎり、どんな作業に取り組んでも、その作業はかぎりなく楽しい。
自分とは何か、神とは何かという問いに明確な解答を得たわけでないが、少なくともひとつの答えを与えられている。それは、神(自分の最も深い関心)というのは、自分の外部と同様に内部にも存在する究極のもので、その本質は、自分及びすべての自分達に、善いもの、美しいもの、愛しいもの、幸せなもの、静かなもの、永遠なもの、真実なもの、等々として現れてくる。
人間が暮らしてゆく上で是非とも必要な五つの根。空気、水、土、火、そして木。
山尾さんの畑は福岡正信さんの自然農法を真似ている(無肥料ではなく、台所の生ごみとし尿は使うけれど)

山尾さんの遺書は一読の価値があります。ウエブ等で見ることが出来ますので、是非。
水の問題、原子力の問題です。
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