言葉狩りをするつもりはまったくありません。

ただ
「原子力村」という新聞報道を見た時の違和感を少し考えてみた。

この「村」という言葉に明らかに悪意を感じるのである。
小さくまとまっている集落を僕は「村」として認識している。他の方はどうなのか?

宮台x飯田 対談本では原子力ムラと表記されていた。

いずれにせよ、「むら」である必然性が分からないのでる。

原子力ギャング団、原子力暴力団ではいけないの?
あるいは原子力町民、原子力市民、原子力街住人でもよいはずである。

明らかに「村」にたいする偏見と上から目線を感じるのである。

高度成長期、多くの村人や所謂僻地と呼ばれる(都会人が勝手に名付けた)地域から多くの日本人が
所謂都市に出てきて、都市化という脳化社会が形成された。
そして団地という「効率」だけを考えた、棺桶すら乗らないエレベーターなる乗り物を備えた住居に住みだした。

もしこんな社会の流れが進歩だとか発展という文脈で語られるのであれば、それに対して
ノーと言える「村人」に僕はなりたいと思う。

小林秀雄も養老孟司も池田晶子も内山節もその本質において全く同じ事を言葉で表現していることを
バカはおいらは最近気がついたのである。