図書館本
雑誌 文学界に2009,2010に発表したもの。
南木佳士ファンとしては読まざるを得ないのだけれど、最近の作品の単調さは残念ながら相性が合わないように感じる。
パニック障害からうつ病を発症し、その後、自然との触れ合いの中で、徐々に体調を回復された過程を小文に綴りながら生きておられる。
それは、多くの中年過ぎの輩にはある意味救いなのであるが、同じ文脈が何回も違う書の中に出てくるのは食傷気味でもある。
さらに、泌尿器の衰えの表現が多様されるのも、男という未練なのかと思ってしまう。
こんな文章に出逢うと嬉しいのは確かなのだが。
あのころ、山で針葉樹の香を嗅ぐとざわついていた心身がわずかずつ鎮まってきて、もてあましていた「わたし」は、いつの間にかただ歩いて汗をかくだけのからだのなかに回収されていった。その快感が病みつきになり、やがて針葉樹の香の依存症になって、ほとんど毎週山に入っていた。
また、茅ヶ崎の開高健記念館の別棟の勉強部屋を見た感想として。
ここを書斎と記さなかった彼の思慮深さをあらためて思い知るとともに、深夜、ウヲッカやストレートウイスキーを酔わない程度にすすりつつ、一字たりとも書き直しのない精緻な文を原稿用紙の上に愛用のモンブランの万年筆で紡いでいた本物の作家の苦しげな息づかいの残響が聴こえる部屋を覗き見てしまったことをやりきれない罪悪感を覚えたものだった。
今は京大教授の山極寿一さん(ゴリラの専門家)が南木佳士さんと同じ高校で同学年であったことは新たな発見であった。山極さんはバスケット部、南木さんはサッカー部だったそうだ。
僕は山極さんと1984年アフリカを旅(調査)した事を思い出したのである。そしてやっぱり女性にもてていたことも、本書の中の文章のように(笑)

先生のあさがお
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雑誌 文学界に2009,2010に発表したもの。
南木佳士ファンとしては読まざるを得ないのだけれど、最近の作品の単調さは残念ながら相性が合わないように感じる。
パニック障害からうつ病を発症し、その後、自然との触れ合いの中で、徐々に体調を回復された過程を小文に綴りながら生きておられる。
それは、多くの中年過ぎの輩にはある意味救いなのであるが、同じ文脈が何回も違う書の中に出てくるのは食傷気味でもある。
さらに、泌尿器の衰えの表現が多様されるのも、男という未練なのかと思ってしまう。
こんな文章に出逢うと嬉しいのは確かなのだが。
あのころ、山で針葉樹の香を嗅ぐとざわついていた心身がわずかずつ鎮まってきて、もてあましていた「わたし」は、いつの間にかただ歩いて汗をかくだけのからだのなかに回収されていった。その快感が病みつきになり、やがて針葉樹の香の依存症になって、ほとんど毎週山に入っていた。
また、茅ヶ崎の開高健記念館の別棟の勉強部屋を見た感想として。
ここを書斎と記さなかった彼の思慮深さをあらためて思い知るとともに、深夜、ウヲッカやストレートウイスキーを酔わない程度にすすりつつ、一字たりとも書き直しのない精緻な文を原稿用紙の上に愛用のモンブランの万年筆で紡いでいた本物の作家の苦しげな息づかいの残響が聴こえる部屋を覗き見てしまったことをやりきれない罪悪感を覚えたものだった。
今は京大教授の山極寿一さん(ゴリラの専門家)が南木佳士さんと同じ高校で同学年であったことは新たな発見であった。山極さんはバスケット部、南木さんはサッカー部だったそうだ。
僕は山極さんと1984年アフリカを旅(調査)した事を思い出したのである。そしてやっぱり女性にもてていたことも、本書の中の文章のように(笑)

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