ニューギニアで発見の遺骨、DNA鑑定で身元判明 「村上」姓の印鑑も手がかり - MSN産経ニュース
20年以上前。白血病ウイルスの調査研究でパプアニューギニアを訪問した。強行軍でポートモレスビー、ラバウル、ブリテン島と回ったと記憶している。
そして、訪問地には必ず、戦争の爪あとがあり、どうして、ここまで日本は進出したのだろうと。そして慰問の方々にもお会いした。
今なお、戦闘機や戦争の遺品がある。
スライドフィルムから読み込んだ画像が確か保存してある。後日アップしたいと思う。
多くの日本人の若者の命が散っていった地である。
僕は多くの慰霊碑を見て、若者を戦地に送ってはいけないとその時思った。
その後、きけけわだつみのこえを読んで一層その想いを強くした。
いつの時代も若者を犠牲にして時代が作られてきたという事実を年長者は反省しなければいけないのだと。
かれこれ25年前、フィリピンの小さなリゾート地ハンドレッド・アイランドを訪ねた時です。夜、ロビーでお茶を飲みながら、暇そうなフロントマンと会話をしてました。
彼から「祖父は日本軍に殺された。この近くの村まで日本軍は侵攻してきて、壮年の男が皆殺しに遭った」と聞いて、びっくりしました。首都マニラからも遠く離れていて、沖合に小島が散らばっているだけの辺境の地です。
実感として「戦争って愚かなことだ」という思い、さらに「日本の歴史教育は甘いな」という思いを抱きました。戦争を引き起こしたことは恥ではありませんが、残虐行為を総括できていないことは、わたし的には恥です。
以前、内田樹『日本辺境論』のことでコメントしようかと思ったことがありました。前半、延々と東京裁判について内田が自己の論拠として紹介していたでしょ。敗戦後、戦争責任と真摯に向き合う者がいないことに、渡しは怒りというより、むしろ恥を感じました。辱めを受けた、という気持ちです。