大島校長から受け継がれた思想が石橋湛山に繋がっていくんですね。
広告取りや寄付で金集めて酒飲むためだけの同窓会総会を石橋湛山さんが見たらどう思うのだろう?
以下ニュース記事(NHK)
石橋湛山の書簡が見つかる
石橋湛山元総理大臣が60年余り前の公職追放中に、母校の旧制甲府中学に送った手紙が見つかり、研究者は「人柄を知るうえで貴重だ」と話しています。
手紙は旧制甲府中学、今の県立甲府第一高校の関係者の家で見つかりました。
昭和23年1月31日の日付の手紙には石橋湛山元総理大臣の座右の銘だったクラーク博士の「BOYSBEAMBITIOUS」の意味は「何事にも志を立てたなら、忍耐強く努力せよ」とのことだと奮起を促し、「老年ながら諸君に負けず、勉強するつもりです」と自らの決意も述べています。
湛山は当時、GHQの命令で公職追放されていた身分でした。
湛山の研究者で山梨平和ミュージアム理事長の浅川保さんは「不遇の中にあっても若い人を励ますやさしさや自己の信念など湛山の人柄を知るうえで貴重だと思う」と話しています。
また、甲府第一高校同窓会の大西勉事務局長は、「先輩である湛山の思想が受け継がれていることに誇りをもって励んでほしい」と話しています。
10月21日 10時29分
別記事
2010年10月22日(金)
石橋湛山 後輩にエール
「忍耐強く努力せよ」
甲府一高で手紙(レプリカ)展示
山梨県出身の政治家として唯一、内閣総理大臣に就任した石橋湛山(1884〜1973年)が1948年1月の公職追放中に、母校の旧制甲府中(現甲府一高)の後輩たちに送った手紙が都内で見つかり、甲府一高の130周年記念事業として、手紙のレプリカが同校に展示されている。
手紙は昨秋、元甲府一高教諭の親族宅で文書つづりに保管されているのが発見され、同窓生ら関係者に資料提供を呼び掛けていた同校に寄贈された。
手紙は、47年夏に湛山が自ら墨書して甲府中の生徒に贈った掲額「Boys be Ambitious!」に対し、当時の校長または生徒代表が書き送った謝意への返書とみられるという。
文面では、湛山が座右の銘としたクラーク博士の「Boys be Ambitious」の言葉の裏には「何ごとにも志を立てたなら忍耐強く努力せよ」との訓示が含まれていることを忘れぬよう後輩たちに語り掛け、「私も老年ながら諸君に負けず勉強するつもりです」と自らの決意もつづっている。
湛山は46年5月、大蔵大臣に就任。賠償費として日本が負担していた巨額の進駐軍経費の軽減を要求したことなどから米国の不興を買い、手紙をしたためた48年当時は、GHQの命令で公職追放されるという不遇にあった。
湛山の研究者で、山梨平和ミュージアム理事長の浅川保さん(64)は「人間そのものや、若者に対する湛山の考え方を裏付けている貴重な資料」と説明。レプリカを展示した甲府一高同窓会の大西勉事務局長(69)は「手紙には人として誠実に、ぐらつかずに生きてほしいという思いが込められている。生徒たちは、高い見識と先見性をもった先輩がいたことに誇りをもって励んでほしい」と話している。
広告取りや寄付で金集めて酒飲むためだけの同窓会総会を石橋湛山さんが見たらどう思うのだろう?
以下ニュース記事(NHK)
石橋湛山の書簡が見つかる
石橋湛山元総理大臣が60年余り前の公職追放中に、母校の旧制甲府中学に送った手紙が見つかり、研究者は「人柄を知るうえで貴重だ」と話しています。
手紙は旧制甲府中学、今の県立甲府第一高校の関係者の家で見つかりました。
昭和23年1月31日の日付の手紙には石橋湛山元総理大臣の座右の銘だったクラーク博士の「BOYSBEAMBITIOUS」の意味は「何事にも志を立てたなら、忍耐強く努力せよ」とのことだと奮起を促し、「老年ながら諸君に負けず、勉強するつもりです」と自らの決意も述べています。
湛山は当時、GHQの命令で公職追放されていた身分でした。
湛山の研究者で山梨平和ミュージアム理事長の浅川保さんは「不遇の中にあっても若い人を励ますやさしさや自己の信念など湛山の人柄を知るうえで貴重だと思う」と話しています。
また、甲府第一高校同窓会の大西勉事務局長は、「先輩である湛山の思想が受け継がれていることに誇りをもって励んでほしい」と話しています。
10月21日 10時29分
別記事
2010年10月22日(金)
石橋湛山 後輩にエール
「忍耐強く努力せよ」
甲府一高で手紙(レプリカ)展示
山梨県出身の政治家として唯一、内閣総理大臣に就任した石橋湛山(1884〜1973年)が1948年1月の公職追放中に、母校の旧制甲府中(現甲府一高)の後輩たちに送った手紙が都内で見つかり、甲府一高の130周年記念事業として、手紙のレプリカが同校に展示されている。
手紙は昨秋、元甲府一高教諭の親族宅で文書つづりに保管されているのが発見され、同窓生ら関係者に資料提供を呼び掛けていた同校に寄贈された。
手紙は、47年夏に湛山が自ら墨書して甲府中の生徒に贈った掲額「Boys be Ambitious!」に対し、当時の校長または生徒代表が書き送った謝意への返書とみられるという。
文面では、湛山が座右の銘としたクラーク博士の「Boys be Ambitious」の言葉の裏には「何ごとにも志を立てたなら忍耐強く努力せよ」との訓示が含まれていることを忘れぬよう後輩たちに語り掛け、「私も老年ながら諸君に負けず勉強するつもりです」と自らの決意もつづっている。
湛山は46年5月、大蔵大臣に就任。賠償費として日本が負担していた巨額の進駐軍経費の軽減を要求したことなどから米国の不興を買い、手紙をしたためた48年当時は、GHQの命令で公職追放されるという不遇にあった。
湛山の研究者で、山梨平和ミュージアム理事長の浅川保さん(64)は「人間そのものや、若者に対する湛山の考え方を裏付けている貴重な資料」と説明。レプリカを展示した甲府一高同窓会の大西勉事務局長(69)は「手紙には人として誠実に、ぐらつかずに生きてほしいという思いが込められている。生徒たちは、高い見識と先見性をもった先輩がいたことに誇りをもって励んでほしい」と話している。