asahi.com(朝日新聞社):葬儀場の出棺見えても「我慢すべき」 住民側が逆転敗訴 - 社会
我慢という問題でなく。この様な裁判が成り立つ事に興味があります。

子供の声が大きいからと公園に規制をしたり、学校に文句する輩がいることが最近報じられている。

生死という普遍に対して、どうしてストレスや不満が生じるのだろうか。
我慢するという感情が湧いてくる根源には何があるのだろう?
出棺を見る事がどれほどの苦痛なのだろう。

やっぱり、脳化した都市社会の弊害が蓄積してきているんだろうね。

日本の団地というのも、脳化社会の典型的象徴だと思っています。核家族制度、孤独死、年金や貯金だけに頼る社会。親が死んでも親が住んだ団地に子供たちが戻る事がない社会。

ああすれば、こうなる、という脳が作りだした社会、そこに身体性は入り込んでいない。自然を管理できると思いこんでいる科学主義の責任も大きいのだろう。