これからの日本の森林づくり 四手井綱英他 ナカニシヤ出版 2009
これほどまでに日本の森を考えた人がいたのだろうか?
四手井先生(1911年11月30日 - 2009年11月26日)が亡くなる直前に出版された。
四手井先生、奥様そしてお弟子さんたちとの共作ではあるが、その源流は森を生態として捉えて科学を始めた四手井綱英という一人の男の生き様である。そして単なる「里山」提唱者ではないのだ。
林業と森林を真剣に考えた人々の後世への伝言でもある。
森の人(四手井綱英の九十年 森まゆみ 晶文社 2001)の中で先生は「私は21世紀に何を望むかではない、次の世紀に生きる人々に「あやまる」ことしか残さなかったと答えている。悪化した森林や自然をこのままにして、私はこの世から去らねばならない。努力はしたが、何もならなかった。それほど日本ばかりでなく地球の自然は壊れてしまった。私たちが「壊した」といった方がいいだろう。まことに申し訳ないと思っている。みなさんの手で地球を十分に守れる、もっとよい森林にしてくださいとお願いするしかない」と語られていた。
本書も付箋紙だらけになってしまった。林学や生態学などを習った事のない小生には専門用語や木の名前すら分からないのであるが、森林という環境が如何に人間にとって有用であるかは痛いほどわかる。
お弟子さんも書かれているが、明らかに我が国の林業は国策の失敗である。それは大学での林学が(特に東大)林業(ドイツ林業の誤訳)とその経営に偏っていたのだ。天然更新と植樹の問題、里山と奥山。経済という文脈だけで計画された林業(森林)政策。
研究者を離れての冒険部や登山の話も非常に興味深い。そこには利他的という言葉しか当てはまらない四手井綱英という一人の男がいる。
奥様のあとがきが心にしみわたる。
まったく面識のない四手井先生であるが、たくさんの事をその著作で教えていただいた。
本当にありがとうございました。日本の森がこれ以上破壊されない様に少しでも何か出来ればと思っています。
四手井綱英が語る これからの日本の森林づくり
クチコミを見る
森林はモリやハヤシではない―私の森林論
クチコミを見る
これほどまでに日本の森を考えた人がいたのだろうか?
四手井先生(1911年11月30日 - 2009年11月26日)が亡くなる直前に出版された。
四手井先生、奥様そしてお弟子さんたちとの共作ではあるが、その源流は森を生態として捉えて科学を始めた四手井綱英という一人の男の生き様である。そして単なる「里山」提唱者ではないのだ。
林業と森林を真剣に考えた人々の後世への伝言でもある。
森の人(四手井綱英の九十年 森まゆみ 晶文社 2001)の中で先生は「私は21世紀に何を望むかではない、次の世紀に生きる人々に「あやまる」ことしか残さなかったと答えている。悪化した森林や自然をこのままにして、私はこの世から去らねばならない。努力はしたが、何もならなかった。それほど日本ばかりでなく地球の自然は壊れてしまった。私たちが「壊した」といった方がいいだろう。まことに申し訳ないと思っている。みなさんの手で地球を十分に守れる、もっとよい森林にしてくださいとお願いするしかない」と語られていた。
本書も付箋紙だらけになってしまった。林学や生態学などを習った事のない小生には専門用語や木の名前すら分からないのであるが、森林という環境が如何に人間にとって有用であるかは痛いほどわかる。
お弟子さんも書かれているが、明らかに我が国の林業は国策の失敗である。それは大学での林学が(特に東大)林業(ドイツ林業の誤訳)とその経営に偏っていたのだ。天然更新と植樹の問題、里山と奥山。経済という文脈だけで計画された林業(森林)政策。
研究者を離れての冒険部や登山の話も非常に興味深い。そこには利他的という言葉しか当てはまらない四手井綱英という一人の男がいる。
奥様のあとがきが心にしみわたる。
まったく面識のない四手井先生であるが、たくさんの事をその著作で教えていただいた。
本当にありがとうございました。日本の森がこれ以上破壊されない様に少しでも何か出来ればと思っています。
四手井綱英が語る これからの日本の森林づくり
クチコミを見る
森林はモリやハヤシではない―私の森林論
クチコミを見る