山麓で生きる:/4 「自然農」で環境保護 大江正典さんと妻・和香子さん /山梨(毎日新聞) - Yahoo!ニュース
読んでいて、もうほのぼのしてしまいます。もちろん凄い努力と汗や涙が流れたのだと思います。
でも、こんな暮らしがしたいと思っています。
きっと未来には、こんな暮らしが「忘れられた日本人、その後」で言葉として残ってほしいなと。
ネットの方が消えてしまうと困るので完全コピペです。

山麓で生きる:/4 「自然農」で環境保護 大江正典さんと妻・和香子さん /山梨

1月5日13時0分配信 毎日新聞
 ◇生きたいように生きる−−大江正典さん(67)と妻・和香子さん(63)
 北杜市白州町の南アルプス山麓(さんろく)で、大江正典さん(67)は妻和香子さん(63)と自然農を営む。耕さず、農薬も肥料も使わない方法で、6000平方メートルの水田と畑で米や雑穀、野菜を栽培している。米は昨年秋、400キロほど収穫できた。
 食べ物のほとんどは自給自足。米を直売所で販売した代金や、本の印税などが現金収入だ。年収は200万円を下回るが、一度も貧しいと思ったことはないという。「自分が生きたいように生きることが幸せ」と夫婦で笑う。
 大江さんは徳島県出身。父は文楽人形制作の第一人者だった故・大江巳之助さんだ。自分の好きな道を進む父の姿を見て育った大江さんは「僕に会社勤めはできない」と思ったという。
 大卒後の65年、興味があった映画製作を学ぼうと渡米した。
 ベトナム反戦運動が一番激しかった時代。ニューヨークのスタジオに住み込み、反戦映画などを作るうち、その思想に共鳴するようになった。精神世界に傾倒したビートルズがそうしたように、大江さんも71年、当時交際していた和香子さんとインドへ旅立った。
 インドでは物質的な貧しさを苦にせず、笑顔で暮らす人々に出会って衝撃を受けた。「捨てれば捨てるほど豊かになるのではないか」−−。
 半年後に帰国。73年に和香子さんと結婚し、2人の子供が生まれた。東京で借家に住み、翻訳などで生計を立てながら、小さな畑を借りて家庭菜園を始めた。
 友人の紹介で旧小淵沢町に移住したのは83年。澄んだ空気と広々とした空に魅了された。2000平方メートルの農地を住宅と一緒に借り、町の農業委員会に農家として認定された。それは、環境問題にのめり込むきっかけにもなった。
 チェルノブイリ事故で反原発の機運が高まった時期でもあった。88年には映画製作や自然農を通じて培った人脈を生かし、環境保護を訴える野外イベント「いのちの祭り」を八ケ岳山麓で企画した。実行委員長として奔走した結果、喜納昌吉さん(現参院議員)や近藤房之助さんら国内外から多くのアーティストが参加。6000人の観客が集まり、メディアで話題になった。
 03年に、より広い農地を求めて現地に転居した。ただ、自給自足にも限界がある。大江さんの呼びかけで、田植えなどの作業を分担し、余剰農産物を融通し合う「湧湧(わくわく)村」というネットワークが01年にできた。同じように自然の中での暮らしを求めて移住した50人が参加している。メンバーが中心となってコンサートやドキュメンタリー映画の上映会を開くなどして、地域住民とも交流を深めている。
 昨年、北杜市大泉町で1人暮らしをしていた移住者の友人が自宅で倒れた。脳出血だった。老後も助け合って暮らせるよう、NPO法人を設立して、住み慣れた場所で介護サービスを受けられる「託老所」を造ることも考えている。
 「年を取っても、好きな場所で自分の生きたいように生きたいですね。現代社会は我慢を強いられる。『こうしたら楽しい、うれしい』という考え方ができなくなっている人が多いのではないでしょうか。一度立ち止まって考えてみることも大切だと思います」
 そう言って、大江さんはほほ笑んだ。【沢田勇】=つづく