Life 天国の君で君に逢えたら DVD
残念ながら原作にはかなわないかな。
原作に描かれている飯島夏樹はもっと生と死を生々しく捉えていたように思う。
ただ、最後のクレジットで飯島さん自身やご家族の写真が流れたのにはぐっときた。
死という普遍があるからこそ生が輝くのである、だから長生きさえすれば良いというものではないのだろう。飯島夏樹という男、そして父親の生き様を見て(読んで)、僕らが生を考えるのだ。飯島ののぞみはそこにあるのだろう。
原作を読んだ時の感想
2007年06月02日06:58
ガンに生かされて 飯島夏樹 新潮社 2005
「天国で君に逢えたら」を読んで感動し、この本を読んでみた。
こちらは、まさに闘病日記であり、そして遺書なのである。飯島さん自身が書かれているように、鬱に苦しみ、パニック障害に見舞われた経験をさらけ出し、や がて執筆することに生きがいを見出す。そして「生かされている」自分を発見する。それは奥さん、そして4人の子供に対する男として、父親としてのダイイン グメッセージであるのだが、実は「生」に対する授業なのだと思う。
余命宣告を受け、「死」を認めざるを得ない現実を家族と共に「生」きていく。38歳で一流のウインドサーファーとして生涯を閉じた飯島夏樹と言う人間の生き様から多くのものを学んだ。
おそらく聖書の中の言葉であろう、「一切れの乾いたパンがあって平和であるのは、ご馳走と争いに満ちた家にまさる」と書き示している。
そして、最後に、
今に至るまで、体調は悪化しても、心は希望で溢れています。
人間ですから、いつもいつも元気ではいられないようです。
この数日の眠れぬ夜は、満月のせいもあるでしょう。こうなってみると、とれも自然に敏感になるようで、自分が野生に戻ったかのようです。
色々な事が感じられるようになりました。その中から得た多くの発見や学びを、読者の皆さんと心から分かちあえたら、嬉しく思います。
僕の病状を心配して下さってアリガトウ。でも僕ですら、自分の命が明日どうなっているのかは、全くの謎。これからも、皆さんが、僕の綴る文章と、本当の対話が出来続けますように。
僕が勇気付けられるのは、この本に込めた思いが、人から人へと、まるで渓流の美しい水が流れるように伝わっていくことです。
虹の島ハワイより 2005年2月23日 飯島夏樹
2月28日逝去
天国で君に逢えたら
「死」を受け入れて「生」を前向きに捉える, 2007/5/23
一人の男が38歳の生涯を閉じる。彼は想い出を天国に持っていくのではなく、家族に「生」という言葉では表しきれない大切なものを引き継いだ。そして、書くことにより「生」を多くの読者に伝えた。
あとがきに奥様が書かれているように、主人公は飯島さんの分身であり、「死」を決して暗い、あるいは悪いイメージで描いていない。死と向き合うこ とにより、より充実した「生」を描いているのだと思う。飯島さん自身がうつ病になり、その回復への糸口が「書く」ことであったのだそうだ。ガンセンターと いう「生」「死」が隣合う現場を湿った環境とせず、ユーモアあるいはコメディーにも近いタッチでありながら登場人物全てが愛に満ち溢れている。
飯島さん自身が病院を隅々まで歩きまわり観察しインタビューして書き綴ったこの作品は、病院の理想像を描いているのかもしれない。
直近に読んだ、秋元康さんの「象の背中」における48歳サラリーマンが癌で死んでいくホスピスもある種の理想的「終の場所」を描きたかったように感じる。
現代は死を隠蔽する社会といわれる。特に都会においては、死に接する事は少なく病院で生まれ病院で死で迎える。
本書はそんな都会に住む人々に「生」と「死」を考える時間を与えてくれる教科書でもあるのではないか。もちろん、自分で「考える」事がもっとも重要なことであるのだが。
通勤電車では読まない方がよいと思います。

Life天国で君に逢えたら スタンダード・エディション
クチコミを見る
残念ながら原作にはかなわないかな。
原作に描かれている飯島夏樹はもっと生と死を生々しく捉えていたように思う。
ただ、最後のクレジットで飯島さん自身やご家族の写真が流れたのにはぐっときた。
死という普遍があるからこそ生が輝くのである、だから長生きさえすれば良いというものではないのだろう。飯島夏樹という男、そして父親の生き様を見て(読んで)、僕らが生を考えるのだ。飯島ののぞみはそこにあるのだろう。
原作を読んだ時の感想
2007年06月02日06:58
ガンに生かされて 飯島夏樹 新潮社 2005
「天国で君に逢えたら」を読んで感動し、この本を読んでみた。
こちらは、まさに闘病日記であり、そして遺書なのである。飯島さん自身が書かれているように、鬱に苦しみ、パニック障害に見舞われた経験をさらけ出し、や がて執筆することに生きがいを見出す。そして「生かされている」自分を発見する。それは奥さん、そして4人の子供に対する男として、父親としてのダイイン グメッセージであるのだが、実は「生」に対する授業なのだと思う。
余命宣告を受け、「死」を認めざるを得ない現実を家族と共に「生」きていく。38歳で一流のウインドサーファーとして生涯を閉じた飯島夏樹と言う人間の生き様から多くのものを学んだ。
おそらく聖書の中の言葉であろう、「一切れの乾いたパンがあって平和であるのは、ご馳走と争いに満ちた家にまさる」と書き示している。
そして、最後に、
今に至るまで、体調は悪化しても、心は希望で溢れています。
人間ですから、いつもいつも元気ではいられないようです。
この数日の眠れぬ夜は、満月のせいもあるでしょう。こうなってみると、とれも自然に敏感になるようで、自分が野生に戻ったかのようです。
色々な事が感じられるようになりました。その中から得た多くの発見や学びを、読者の皆さんと心から分かちあえたら、嬉しく思います。
僕の病状を心配して下さってアリガトウ。でも僕ですら、自分の命が明日どうなっているのかは、全くの謎。これからも、皆さんが、僕の綴る文章と、本当の対話が出来続けますように。
僕が勇気付けられるのは、この本に込めた思いが、人から人へと、まるで渓流の美しい水が流れるように伝わっていくことです。
虹の島ハワイより 2005年2月23日 飯島夏樹
2月28日逝去
天国で君に逢えたら
「死」を受け入れて「生」を前向きに捉える, 2007/5/23
一人の男が38歳の生涯を閉じる。彼は想い出を天国に持っていくのではなく、家族に「生」という言葉では表しきれない大切なものを引き継いだ。そして、書くことにより「生」を多くの読者に伝えた。
あとがきに奥様が書かれているように、主人公は飯島さんの分身であり、「死」を決して暗い、あるいは悪いイメージで描いていない。死と向き合うこ とにより、より充実した「生」を描いているのだと思う。飯島さん自身がうつ病になり、その回復への糸口が「書く」ことであったのだそうだ。ガンセンターと いう「生」「死」が隣合う現場を湿った環境とせず、ユーモアあるいはコメディーにも近いタッチでありながら登場人物全てが愛に満ち溢れている。
飯島さん自身が病院を隅々まで歩きまわり観察しインタビューして書き綴ったこの作品は、病院の理想像を描いているのかもしれない。
直近に読んだ、秋元康さんの「象の背中」における48歳サラリーマンが癌で死んでいくホスピスもある種の理想的「終の場所」を描きたかったように感じる。
現代は死を隠蔽する社会といわれる。特に都会においては、死に接する事は少なく病院で生まれ病院で死で迎える。
本書はそんな都会に住む人々に「生」と「死」を考える時間を与えてくれる教科書でもあるのではないか。もちろん、自分で「考える」事がもっとも重要なことであるのだが。
通勤電車では読まない方がよいと思います。

Life天国で君に逢えたら スタンダード・エディション
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