おやじのぼやき

50歳
二十歳から数えて30年。当たり前である。
二十歳までの人生と二十歳以後の人生、特に分けて考えなくてもよいのかもしれない。
でもどうしても分けざるを得ない自分が存在する。
人それぞれ区切りとなる節目の様な時があるだろう。その節目がたまたま二十歳だっただけである。
二十歳、明らかに自分の生き方が変化した。あるいは生きる事を止めようとも思った。
そこから30年という月日が流れた。

遊びながら大学や大学院を過ごし、適当に金を稼ぎ、結婚し、子供ももうけた。
家も中古だが親のためだと思い、そして故郷に住むつもりで30歳で購入した。
だが、親父の死は、俺には好きに生きろという暗示だったのだと今は思う。
再び東京に戻り、また好き放題しながら今まで来てしまった。
多くの人に迷惑をかけ、まさに生かされている自分がある。

自分の歩いてきた道を否定するつもりはないが、人生50年と言われた時代を考えれば、おまけの人生が横たわっている。
さて、どれだけ利他的に生きられるのか。

内山哲学の様に、循環する時間の中で何かを蓄積出来るような自分を果たして形成可能なのだろうか。
色んな書物から色んな大切な事を学んだ、そして色んな地域の多くの利他的な人々にも教えをいただいた。

科学や技術が必ずしも人々を幸せにしないことは今や明らかな様に思うし、経済という文脈がどの程度人々を豊かにするのか分からない。
そんな事を西アフリカの国で考えながら時間が過ぎて行く。2009年10月6日

さて、どんな未来を夢見ながら歩こうかな。
いつも夢想人。
土に係わりたいとは切実に思うんだな。
自然資本者に今からなれるだろうか。。。