asahi.com:縁側カフェ開店★明治トンネル抜け深沢集落-マイタウン山梨
民俗学者の宮本常一は旅する巨人(佐野眞一さんが命名)として日本全国を歩いた。そして日本が進歩なり、発展してきた過程で失ってきたものの一つに縁側を挙げていた。
縁側は生活の場であり、ちょっとした他者との関係の場でもある。腰を掛けるという行為が人を落ち付かせ、世間話を導きだすのだろう。
また、土間、居間、客間という一般的な家の造りも最近はほとんどなくなりつつある。
子供のころ、この記事の写真の様な立派な縁側ではない家の縁側でオヤジが作ってくれた池の金魚やフナを釣ったことを思い出す。
6畳と8畳だけの小さな家であった。
でも縁側に座って小さな庭を見ていると、なぜか飽きなかった。
脳化あるいは都市化という流れのなかで縁側は無用のものになっていったのだろう。
子供の頃の我家もこんな感じでした。昭和57年の台風の直撃を受けたことにより、木製建具からさらに雨戸サッシにしてからというもの「縁側スペース」がますます半減してしまいました。
その時おふくろが「仕方のないことだけど、お茶のみができなくなる、」と言っていました。
両端各1枚の戸のスペースの占領により、単なる建具の役しか果たさなくなったのは事実です。
家族の記念写真、ペットとのじゃれ合い、、、夜這いも(笑)