若い頃、ひたすら早く進むことに意義を見出していたようにおもう。
そしてそれが価値があることだと。
1984年に初めてアフリカを仕事で訪問し(その時は駆け足の4カ国)、何かぼんやりと感じたことがあった。その後、それは生きる時間だとわかった。

ガキの頃、夏休みはかなり長い時間だと感じ、1年はさらに長い時間として体感していた。それが、歳を重ねるとともに、だんだんと短く体感するようになる。
同じ24時間を子どもと大人は違う様に生きる。そして自然は何事もないかのように同じ時間を刻んでいく。

アフリカで感じた「生きる時間」特に郊外に行けば行くほど時計の進み方がゆっくりである。もちろん、同じ24時間であるにもかかわらず。
おそらくこれは、日本の里にも昔は普通に存在した時間なのであろう。

自然が時間を刻んでいるのであり、人間が時間を支配していないのだろう。

昔は、アフリカ時間などと言って馬鹿にしていたが、今はそんな自分が恥ずかしい。逆アフリカの都市部の人たちが可哀そうでもある。
確かに市場経済という文脈で貨幣は手に入れたが、果たして「生きる時間」と交換してしまったのではないだろうかと、思ったのである。